第二章 第7話 危うき勝利と虚しさと Ⅰ
文字数 10,362文字
郎党の案内で近くを見て回った後、千方達は舘で都留儀 の話を聞いた。都留儀は祖父から聞いた話として、倶裳射 と大鹿 との逸話を語った。そして、
「我等は、大和 と争わず、従いつつ、我等の手でこの国を徐々に豊かにして行く道を選んだのです。今では、多くの者達が我等の意を汲んで協力してくれています。しかし、いつの世にも不満を持つ者はおるものです。それは何としても抑えねばなりません。そして、抑えきれぬとあらば討つしかありません。我等の力で陸奥 の安寧 を保つことが出来ることを、大和に対して常に示して行かねばならんのです」
と付け加えた。
「なかなか気苦労の多いことで御座いますな」
そう朝鳥が言った。
「いや、何の。大和と戦ってはならぬ。それが我が祖・大鹿の遺訓でございます」
都留儀 は噛み締めるように述懐する。
「成程……」
と朝鳥が頷く。
「渡来人と同じように、我等もやがて大和人 となって行くことでございましょう。ですが、我等の風習、祭りなどは出来るだけ残して行きたいとは思っています。とは言え、何代も経た今でも、心の中では大和を敵だと思っている者も確かにおります。特に移配されていた者達の末裔にはそう考えている者が多ございます。ひどい扱いを受けたり、全員が餓死したりした所も御座いますれば……」
実際に承和 十四年(八百四十七年)の日向国 の記録には「移配蝦夷がすべて死亡した」と有る。
承和年間は、ここ陸奥国 でも天変地異が多発し、情勢が不安定となって、蝦夷の大規模反乱の噂が飛び交っていた時期でもあるのだ。
「餓死? …… 朝廷は蝦夷稲 を支給しているのでは?」
千方が質 した。
「はい、確かに大和朝廷は蝦夷稲 を支給し、生きる為の最低限の生活を保障してくれました。しかし、大和人 の間でさえ、都から赴任した国司が搾取を繰り返し己の利のみを追及し、その結果、耐え切れなくなった者達が都に訴えるということが起きている時代です。俘囚 の為に用意された食糧を横流しして自分の懐 へ入れてしまう国司も少なくは御座いません。その量が僅かな場合もありますが、殆ど全部を横流しして俘囚には全く渡らないという状況も起こり得ます。全部が死んでしまったのですから、その真相を語り継ぐ者はおりませんが、噂では、そのようなことが起こった可能性がありますし、吾もそう思うております」
思わず千方が膝を進め、
「朝廷は、初め蝦夷にも口分田 を与えたと聞いておりますが……」
と都留儀に問う。
「ふふ、仰りたいことは分ります。大和人と同じように口分田 を与え、王民化を図ろうとしたが、蝦夷達はその生活に馴染めず、狩ばかりしていて田畑を耕そうとしない為、やむ無く蝦夷稲 を支給するようになったということで御座いましょう。大和の民にさえ、十分な口分田を与えることが難しくなっている時に、俘囚にまともな田畑を与えることが出来たとお思いですか? それに、ここ胆沢 の者達は元々田を作っておりました。田畑を耕す習慣が無かったのでは無く、耕せる状態では無かったのです」
そう都留儀が述懐すると、
「六郎様。その蝦夷稲 こそが、大和の者達が俘囚を嫌い、差別をする原因となっているので御座いますよ。蝦夷稲 は税として各国に割り当てられており、それを貸し付けた利子によって蝦夷に支給する食糧を賄 っております。つまり、大和の民達にしてみれば、それでなくとも生活が大変なところへ以て来て、蝦夷を養う為の食糧までも税として供出させられていた訳です。それなのに、当の蝦夷は田畑を耕しもせず、狩ばかりして遊んでいるように見える。面白く無いのも当然です。それが、俘囚を蔑視する原因となっております」
と朝鳥が続けた。
「日下部 殿もそのようにお思いか?」
都留儀が朝鳥に聞く。
「はい、以前は正直そう思うておりました。ですが、古能代の父・祖真紀と度々話すうち、色々考えました。建前通りの蝦夷に対する政策が行われておれば、そこまでの保護を与えられておりながら、働きもせず蝦夷稲 で食べている俘囚を大和の民達が侮蔑するのは当然と言えますし、多くの大和人 達がそう思うのも仕方無いでしょう。
しかし、大和人である我等でさえ、都の者達のやり方には腹立たしい思いを少なからず抱いているのです。都から下って来る受領 の多くが、己の利のみを求め、私服を肥やすことに躍起になっている有様を見れば、俘囚に対する政 が建前通り行われていたとは思えませぬ」
と答えた朝鳥を一瞬見詰めて、都留儀が笑う。
「大和の方にしては、随分と思い切ったことを言われますな」
「都の公卿 達も我等も同じ大和人ですが、あの、白粉 を塗り紅 を引いた方々と、大和人では無いが我等と同じく武を尊ぶ命 らとどちらを身近に感じるかと言えば、正直今では、我等・坂東の兵 と命 ら俘囚の方が、遥かに近いような気がしております。我等も京人 からは、東胡 と蔑まれております。ですが『朝廷と戦ってはならぬ。戦わずして力を養って行く』と言うのが我が主 、と言っても六郎様のことではなく父上である大殿のお考えです。都留儀殿のお考えを伺い、大殿のお考えと良う似ておると思いました。もちろん、他に大和人のおらぬここだけの話ですが……」
そう言って朝鳥が笑う。
「ほう、前 将軍様が…… 成程。一度お会いしてみたかったものです。遥任 と言うことでお目通りする機会が無かったのは、実に残念です」
延暦八年(七百八十九年)、巣伏 の戦いで阿弖流爲 に大敗を喫した征東将軍・紀古佐美 は、敗戦を棚に上げて『蝦夷達は攻撃を逃れたけれども、水田・陸田ともに田植が出来なかったので、放置しても滅ぶでしょう』と桓武 天皇に報告を送っている。
呆 れた言い訳は別にして、胆沢 の蝦夷が、既に農耕を行って定住していたことがはっきりと書かれているのだ。それなのに、その後の時代に於いても『俘囚は皆、狩猟・漁労を生業 とし、養蚕を知らず、定住しないので、調庸 を徴収することが出来ない』などと言う地方からの報告が上って来る。
延暦十七年(七百九十八年)太宰管内 諸国からの解 を受けて、太政官は四月十六日の太政官符を以て、全国の移配俘囚から調庸 を徴収しないことを定めた。
蝦夷の移配は既に奈良時代から行われており、その戦闘能力の高さから、防人 として大宰府にも多くの俘囚が移配されていた。
実際、全国的な口分田の不足と班田収受制 の衰退の中で俘囚に満足な口分田が与えられたとは考え難い。
全国一斉に班田 が実際に行われたのは、延暦十九年が最後であり、延暦二十年(八百年)には六年ごとの班田 を十二年に一度に改めており、延暦の元号の終わりと共に、班田収受制の崩壊が始まるのである。
当初、俘囚にも調庸 の義務が課されていたが、まともな口分田を与えることは出来ない。与えるべき十分な口分田が無いとは言えないから、荒地でも何でも形だけのものを与える。その土地で米など作れる訳が無いのは分るから、俘囚達は狩猟や漁労で食糧を調達しようとする。もちろん、調庸 など徴収することは出来ない。
国司はその分を負担して納めなければならなくなる。そこで、俘囚達が農耕をしようとしない為だと都に報告する。太政官の方でも、班田が不足していることは分っているので、国司の言い訳を目くじら立てて追及することも無く、調庸の免除と公粮 の支給に踏み切ったのだろう。
朝廷は当初楽観的に考えており、調庸の免除は『子孫が増えるまで』とし、子の代までと考えていた。しかし、孫の世代と思われる貞観十一年(八百六拾九年)になっても公粮 の支給は続いており、調庸の免除も継続されていた。
全ての土地でそうだった訳では無く、移配蝦夷の中には『野心』などを理由に処罰される者がいる一方で、誠実に蝦夷政策を実行した数少ない国司の許 、移配先で富裕化したり善行によって叙位 されたりするなど、朝廷の政策に順応する蝦夷も確かに現れた。
自ら課役の負担を申し出た例や、郡司に任命された例も有る。そうした者達は競って中央の貴氏姓に改名しようとした。それには呼称の上で内民化を勝ち取ろうとする意図が有った。しかし、辺境出身もしくは蝦夷出身と分かるような形でしか改名は許されなかった。
また、自ら課役の負担を申し出た者達に対して、太政官は、なぜかそれすらも容易に許さなかったのだ。それが、表向きの王民化政策の裏で差別を温存することになる。
条件さえ整えば、進んで王民化を望む者達も出て来る蝦夷を、大和人 とは違う存在として置きたい理由が有った。大多数の蝦夷は見知らぬ土地で理不尽な支配に抵抗を続けたのである。
その主な方法は反乱と越訴 であった。越訴 とは、居住地から抜け出し都に上って訴えることである。俘囚といえども、国府に訴えることは出来る。
しかし、大和人と俘囚の間で争いことが起きれば、どちらの言い分が通るかは分り切ったことだ。役人やまして国司の不法行為などは、訴える相手が加害者そのものなのだから言うまでも無い。大抵は、訴えを受け付けはするが、放置していつまで経っても処理しようとしないのだ。
俘囚達は苛立 ちと恨みを募らせ、やがて反乱を起こすことになる。
とは言え、反乱を起こすのは命懸 けであり、最後の最後と俘囚達も思っている。そこで、最後の望みを託し、都に上り中央の役人に直接訴えようとしたという訳だ。
太政官も手を打たざるを得なくなる。既に述べたことではあるが、千方の曾祖父・播磨介 ・藤原藤成 以下、備前介 、備中守 、筑前介 、筑後守 、肥前介 、肥後守 、豊前介 を専当 国司に任じた。その後、各国の掾 が専当国司に任じられることになる。
「夷俘 に厚く教喩 を加え、彼等の申請に速やかに処分を与えることを命じる。もし、撫慰 方 に乖 きて、叛逆を致し、及び都に入りて越訴 せしむれば、専当の人ら、状に准じて罪を科さむ」
俘囚を良く教え諭 し、一方で申請は速 やかに処理するようにせよ。もし、俘囚達が教え諭 しても聞かず、叛逆をしたり、都に入って越訴 したりするようなことになれば、専当国司にも罰を与えると言うのだ。
朝廷は一所懸命蝦夷を王民化させようとしているのに、国司達が誠実に職務を果たさない為、俘囚の越訴 や反乱が相次ぐのだ。彼等の訴えを速やかに処理し、そういうことが起こらないようにせよ。もし、越訴 や反乱が起これば、担当者である専当国司をも罰する、と言う朝廷の断固たる姿勢を見せているかのようだ。
しかしこれは、朝廷が本気で蝦夷対策をやろうとしているのに、国司達がいい加減なことばかりしているから越訴 や反乱が相次ぐのだと、班田の不足に荘園の拡大などが関わっていることを棚上げして、国司に全ての責任を押し付けているだけのことなのだ。
確かに、私利私欲に走る国司が多かったことは事実だろう。しかし、彼等が私利私欲に走るのは、公卿 達に貢物 を贈らなければ出世出来ないからである。口分田が足らないことの一因は、上級貴族達が荘園として、元々国有だった土地を私物化しているからだ。そういった根本的なことを棚に上げて、すべてを国司の責任として丸投げしているに過ぎない。面倒な徴税を国司に丸投げし、ちゃんと納めれば出世させ、納められなければ左遷するというやり方と同じなのだ。
太政官にしてみれば、俘囚の反乱が頻発するのは困るし、都に上って越訴 などされては余計面倒だから、担当を決めるので責任を持って何とかしろ。出来なければ罰するぞと言う訳だ。
これに因 って俘囚に対する扱いが少しは良く成ったとは思うが、根本的な解決策とはなる筈も無かった。
当時の為政者達、それは藤原摂関家の者達を中心とした上級貴族達であるが、彼等が己の栄耀栄華を満たす為に全てのものを犠牲にしても顧みず、国家さえも食い物にしていたからである。
推定五百万人から六百万人の人口の中の、たったの数十人の高級貴族とその身内、下級貴族まで合わせても、九百人から千六百人が構成する社会。それが、源氏物語に描かれているような絢爛 たる、王朝絵巻・王朝文化の正体なのだ。
与えられた居室 に戻った千方が朝鳥に言った。
「もしもの話だが、将門が陸奥の蝦夷と手を結んでいたら、日本 が真っ二つに割れていたのではないかな?」
「ふふふ。何故 そのようなことをお考えになりますかな?」
朝鳥は千方の成長の度合を考え方の上でも見てみたいと思った。
「蝦夷は強い。もし、坂東と手を結んでいたら、朝廷も迂闊に手を出せぬほどの勢力になっていたのではないかと思ってな。俘囚 の方が、京人 よりも遥かに我ら坂東武者に近いような気がしていると、先程そのほうも申したではないか。もし、将門が蝦夷と手を結んでいたら、どうなっていた?」
「下野藤原家 は滅びておりました。大殿も手前も討ち死にしておったでしょうな」
と朝鳥が答える。『また、例に寄って朝鳥の意地の悪い言い方が始まったな』と千方は思った。
「単に勢力はどれ程のものになっておったかと思うただけじゃ! もし、そうなっても父上は将門と戦ったであろうか?」
朝鳥の答え方に千方は少々不機嫌になっていた。
「剣呑 なことを申されますな。大殿は朝敵を征伐されたのですぞ。それで従四位下 を賜 ったのです。お忘れなさいますな」
妙に形式張った言い方をする朝鳥に千方は失望した。
「分った。この話はもうやめよう。…… しかし、そのほうも以外と面白味の無い男だな」と投げやり気味に嫌味を返す。
「本気でも無いのに戯言 で物騒なことを口走り、それを誰かに聞かれて通報され罪に落される者も少なくは御座いません。口は災いの元。お気を付けなされませ」
朝鳥の言い方に千方はムッとした。
「ここは陸奥じゃ。そのような者おる訳も無かろう」
「いえ。例えば、この舘に何かの不満を持つ者がおり、偶然聞いたことを是幸 いと訴え出て恩賞に与 ろうとするかも知れません。……」
朝鳥が厳しい顔付きでそう言った。そして、
「夜叉丸、秋天丸。廊下を見張っておれ」
と二人に命じた。
「え? あ、はい」
秋天丸は一瞬戸惑ったように答えて廊下に出た。夜叉丸は無言で同じ行動を取った。
これも、朝鳥の教育のひとつなのであろう。千方には日頃の言動に注意を払うよう求める一方、夜叉丸と秋天丸には、いちいち命じられなくても、このような時には、辺りを見張るよう躾 けるつもりなのだ。
それでいて、朝鳥自身は、物騒なことを平気で口にしたりするのだが、本人はその矛盾を余り自覚していない。己自身のことと千方に教育すべきことは別と思っている節 が有る。身分や立場が違うということなのだろうか。
「六郎様」
朝鳥が少し声を落として言った。
「大殿は色々なことをお考えの上で、立場を決められました。まず、第一には勝つこと。次に、何がご自身に取って、下野藤原 家に取って、更には坂東の兵 に取って良いことか。色々お考えになったのでしょう。
実は、麿もお供しましたが、大殿は将門が謀叛に突き進み始めた後、一度、秘かに会いに行っておられます。その会談の後、大殿は明らかに不機嫌になられました。お心の内は明かしては頂けませんでしたが、恐らく大殿は、それまで将門に期待を抱いておられたのだと思います。その期待が見事に裏切られたという感じでした。麿は別室で待たされていたので会談の様子は分りませんでしたが、舘を出た後、一言 『愚かな』と仰いました。将門のやろうとしていることが坂東の為になることでは無いと、見抜かれたのだと思います」
「朝敵となることだからか?」
と千方が聞く。
「ふふ。朝敵で御座いますか? 六郎様は、朝廷とはどう言うものと思われますか?」
「帝 が政 を行う場であろう」
「では、帝 とは?」
「帝 は全ての氏族の祖先である天照大神 の直系の末裔であろう」
「では、朝廷の権威とは何で御座いましょう」
「う? それは、以前兄上にも問われたことがある。日本 の総本家であり、全 ての大和人 の親である帝 の権威ではないのか?」
「では、政 を行っておられるのは、帝 で御座いましょうか?」
朝鳥はそう本質に迫る。
「違うのか?」
「確かに桓武 の帝 はご自身で政 を行っておられたと聞いております。桓武帝 は山部王 時代より、大学頭 や侍従として実務を熟 されておりましたゆえ。
しかし、前帝 (朱雀 天皇)は八歳で即位されました。
元よりご自身で政 を行うなど無理な話です。そこで、伯父である藤原忠平 候が摂政 として実際の政 を行うようになったのです。そして、帝 元服の後には、帝を補佐すると称して、関白 として実権を握り続けました。
前帝 の御在位中に将門と純友 の乱が有り、他にも富士の山の噴火や地震・洪水などの災害・変異が多かった為、弱冠二十四歳の御歳 に弟君 である今上帝 (村上天皇)に譲位 されご隠居されました。世が乱れ天変地異が頻発するのは、天子に徳が無いからと言われます。それが為、前帝 (朱雀 天皇)は退位せざるを得無くなったという訳です。
しかしながら、実際の政 は忠平候が行っていたのですから、前帝 としては、さぞかし無念な想いを抱きながら譲位されたのだと思います。その忠平候も昨年八月に亡くなられました」
千方が薄笑いを浮かべながら朝鳥を見る。
「一年も山中におったのに、そのようなこと、何故 知っておる?」
「お舘へご挨拶に伺った際、聞き及びました。忠平候重病といえども、依然、お子である左大臣・実頼 候、右大臣・師輔 候のご兄弟が大きな権力を握っておりましたし、今もそうです。朝廷の権威とは、必ずしも帝 の権威ということでは無いということで御座いますよ」
「では、朝廷の権威とは何か?」
以前千常に聞かれた事を、千方は朝鳥にぶつけた。
「一言 で申すなら、官位で御座います」
「官位?」
「はい。位階を与え、それに応じた官職に任ずることを『官位』と申します。それは、朝廷にしか出来ぬことで御座います。位階を得なければ官職には就けません。位階を与えるのは、建前上は帝 ですが、実のところ公卿方 の思惑次第ということです。それが、朝廷の権威であり力で御座います。
大臣以外の官職を決める儀式を除目 と申します。朝廷が震え上がったのは、将門がこの除目を行ったからです。同じ頃、瀬戸内 の海賊を束ねて、前伊予掾 ・藤原純友 と言う者が反乱を起こしておりましたが、朝廷は、一時この純友と和解をして、まず、将門を討とうとしたのです。
変では御座いませんか? 将門が次々と坂東各国の国衙 を襲い、印鎰 を奪い国司を追放していたとしても、坂東は、都から見れば遥か彼方 。すぐに攻め込まれる心配は御座いますまい。それに引き替え、瀬戸内は目と鼻の先、実際、純友は一時、都に攻め入ったりもしていたのです。それに、四国との交通は元より、海路のほとんどが遮断されておりました。普通ならば、まず純友を討ち、足元を固めてから将門を討とうとするでしょう。将門の勢いに脅威を感じたとも、皇位を僭称したことが何としても許せなかったとも取れましょうが、実のところ、除目 を行ったことに最も恐怖を覚えたのではないでしょうか。なぜなら、限られた官職に就ける者はほんのひと握りの者でしかありません。それが、公卿 方への貢物 や追従 に寄って決められているとしたら、官職を得ることが出来ずに、不満を抱いている者は数多くおる筈です。しかし、朝廷に従うしか出世の道は無いと、全てを受け入れて耐え忍んでいた者達に、『官職を与える』と将門が声を掛けたらどう成りましょう。官職を得られず都で鬱々とした日々を過ごしていた地方豪族の子弟達の中には、将門に賭けてみようと言う気になって、地方 に帰り親を説得して兵を挙げる者も出て来たことでしょう。朝廷は、それを最も恐れたのではないでしょうか。
己自身が嘗 て同じように都で鬱々とした日々を過ごしていたことがある将門には、その辺りのことは良く分かっていた筈です。そして、除目 を行えるのは朝廷だけですから、それを行う為には新皇 などと名乗る必要が有ったのではないでしょうか。共に戦った者達に官職を与えたかっただけではありますまい」
朝鳥の説明は、千方にとっても納得の行くものだった。
「何でも良う知っておるのう。朝鳥は嘗 て荒武者であったと聞いたが、そればかりでは無いようじゃのう」
感心したように朝鳥の顔を見て千方が言った。朝鳥は不満げに口を少し曲げた。
「六郎様。”嘗 て”では御座いません」
朝鳥は、今でも現役の荒武者だと言いたいのだ。
「う? そうか?」
と千方が惚 ける。
「只の口煩 い爺 とお思いですかな?」
朝鳥は不満げだ。
「そんなことは無い。太刀もそのほうから学んでおったではないか。ま、正直。多少口煩 いと思うておらんことは無いがな……」
そう言って、千方が思わせ振りに笑う。
「お役目で御座いますゆえ」
朝鳥は尚も不満げだ。
「そうじゃな。うん、大儀 である」
と千方が躱 す。
「二荒山大明神 でお会いした折、草原 のお舘様が麿にこう言われました。
『六郎は調子者ゆえ、浮付 かぬようしっかり躾 けて下され』と」
千方は訝 しげに眉根 を寄せた。
「…… 本当に爺 様がそう申されにたのか? その言葉、そのほうの考えでは無いのか?」
「いいえ。確かにお聞きしました」
「ま、良い。ところで、荒武者のそのほうが、なにゆえ朝廷のことまでそんなに詳しいのだ?」
「はい。実は学者もどきの知り合いがおりまして。官職には就いておりませんが、実に色々な書物を読み漁 っております。偏屈な男ですが、酒好きで、飲むと話が面白い。正直申せば、その男の話の受け売りで御座いますよ。
…… ところで、陸奥 と将門の関わりですが、将為 という将門の末弟 が、乱の直後の天慶三年四月に陸奥国に於いて、舅 の陸奥権介 ・伴有梁 と言う者と共に謀叛を起こしたと言う話が伝えられておるようですが、確かなことかどうか分りません。その噂から、将門は陸奥の蝦夷と誼 を通じ、謀議を重ねて居たと申す者もおります。
しかし、どうでしょうか? 将門の目はむしろ都に向けられており、陸奥には向いていなかったと麿は思います。将門が坂東を占拠した後、承平の乱は、ごく短い間に終結しました。その間、将門は日々戦いに明け暮れておりましたから、蝦夷と連絡を取り合ったり工作をしたりする暇 が有った筈が御座いません。成り行きで突き進んだだけで御座いましょう。
もし仮に、将門が蝦夷との連携を模索したとしても、一体誰と話したと言うのでしょうか? 安倍とて未 だ陸奥の蝦夷を束ね切れてはおりません。当時、蝦夷を束ねて将門との連携を図れる者などおらなかったのです。
…… もし、殿と六郎様が坂東を制し、安倍が陸奥の蝦夷を完全に束ねることが出来た時には、或いは坂東の兵 と陸奥の蝦夷の連携ということも可能になるかも知れませんな」
千方が朝鳥をじろりと見た。
「口に気を付けよと申して置きながら、飛んでもないことを申すな。麿に謀叛を焚 き付ける気か?」
と嗜 める。
「どう致しまして。大殿も都留儀 殿も朝廷との戦 など望んでおりません。しかし、朝敵となった将門が悪で、朝廷が正義などと単純にはお考えにならぬことです。
尤 も、生きて行く為には建前が必要です。他人の前で、本音で喋っていたら、命が幾つ有っても足りないと言うこともお心に留めて置かれることです」
「朝廷のすることが善とは限らぬと言いたいのか?」
と千方が念を押す。
「祖真紀から阿弖流爲 の最期をお聞きになられましたでしょう。例えば、阿弖流爲を悪の首魁 とお思いになりますか?」
「いや、思わぬ。蝦夷の間では英雄だ」
と千方は答える。
「ところが、朝廷は阿弖流爲 を『悪路王 』と呼んでおりました。当時、闘っていた敵の首領ですから、そう呼んでも可笑しくは無いのですが、正義や悪という言葉は、誰に取っての正義か、誰から見ての悪なのかと言うことを考える必要が有るということで御座います。誰から見ても正義、誰から見ても悪などというものは存在しません。力を持った者から見ての正義や悪が世に罷 り通り、歴史にもそのように残って行くというもので御座いますよ」
「…… と言うことは、狐支紀 という者も、必ずしも悪とは言えぬと言うことか?」
と千方が聞く。
「狐支紀 には狐支紀の正義が御座いますでしょうな。狐支紀から見れば、安倍の方が悪と言うことになりましょう」
「そんなことを考えたら、戦えぬのではないか?」
と千方。
「はい。仰る通りです。戦いに際して考えるのは、敵か味方かと言うことだけで御座います。敵は討たねばなりません」
「敵か味方か、考えるのはそれだけと言うことか」
「はい、そうしなければ、命は保てません。戦 に於いてはそれ以外のことは考えぬこと。それが最も大事なことで御座います」
「修羅 よな、戦 とは……」
これも千常の口真似だ。
「はい」
と朝鳥が頷く。
「ところで、古能代達はどうしているであろうの。今一度行ってみたいものだな」
と千方が話題を変えた。
「行かれますか?」
「良いのか? 行っても」
「麿も、そろそろ口煩 い爺 の役に少々飽きて参ったところで御座います」
「先程麿が申したことを根に持っておるのではないのか?」
朝鳥の口振りに不満を読み取った千方が尋ねる。
「どう致しまして。お子と喧嘩するほど若くは御座いません」
今度は千方がムッとした。
「”お子” とは何だ。既に初冠 は済ませておる。童 扱いするな。…… やはり根に持っておるな。荒武者・朝鳥の姿を見せたいのであろう」
「そのようなことは御座いません。行って見てもすぐに戦 が始まる様相 は御座いません。…… 行きたく無いのであれば、それでも宜しいのですぞ」
意地の悪い男だなと思った。
「分かった。都留儀殿に話してくれ」
と千方の方が譲った。
「我等は、
と付け加えた。
「なかなか気苦労の多いことで御座いますな」
そう朝鳥が言った。
「いや、何の。大和と戦ってはならぬ。それが我が祖・大鹿の遺訓でございます」
「成程……」
と朝鳥が頷く。
「渡来人と同じように、我等もやがて
実際に
承和年間は、ここ
「餓死? …… 朝廷は
千方が
「はい、確かに大和朝廷は
思わず千方が膝を進め、
「朝廷は、初め蝦夷にも
と都留儀に問う。
「ふふ、仰りたいことは分ります。大和人と同じように
そう都留儀が述懐すると、
「六郎様。その
と朝鳥が続けた。
「
都留儀が朝鳥に聞く。
「はい、以前は正直そう思うておりました。ですが、古能代の父・祖真紀と度々話すうち、色々考えました。建前通りの蝦夷に対する政策が行われておれば、そこまでの保護を与えられておりながら、働きもせず
しかし、大和人である我等でさえ、都の者達のやり方には腹立たしい思いを少なからず抱いているのです。都から下って来る
と答えた朝鳥を一瞬見詰めて、都留儀が笑う。
「大和の方にしては、随分と思い切ったことを言われますな」
「都の
そう言って朝鳥が笑う。
「ほう、
延暦八年(七百八十九年)、
延暦十七年(七百九十八年)
蝦夷の移配は既に奈良時代から行われており、その戦闘能力の高さから、
実際、全国的な口分田の不足と
全国一斉に
当初、俘囚にも
国司はその分を負担して納めなければならなくなる。そこで、俘囚達が農耕をしようとしない為だと都に報告する。太政官の方でも、班田が不足していることは分っているので、国司の言い訳を目くじら立てて追及することも無く、調庸の免除と
朝廷は当初楽観的に考えており、調庸の免除は『子孫が増えるまで』とし、子の代までと考えていた。しかし、孫の世代と思われる貞観十一年(八百六拾九年)になっても
全ての土地でそうだった訳では無く、移配蝦夷の中には『野心』などを理由に処罰される者がいる一方で、誠実に蝦夷政策を実行した数少ない国司の
自ら課役の負担を申し出た例や、郡司に任命された例も有る。そうした者達は競って中央の貴氏姓に改名しようとした。それには呼称の上で内民化を勝ち取ろうとする意図が有った。しかし、辺境出身もしくは蝦夷出身と分かるような形でしか改名は許されなかった。
また、自ら課役の負担を申し出た者達に対して、太政官は、なぜかそれすらも容易に許さなかったのだ。それが、表向きの王民化政策の裏で差別を温存することになる。
条件さえ整えば、進んで王民化を望む者達も出て来る蝦夷を、
その主な方法は反乱と
しかし、大和人と俘囚の間で争いことが起きれば、どちらの言い分が通るかは分り切ったことだ。役人やまして国司の不法行為などは、訴える相手が加害者そのものなのだから言うまでも無い。大抵は、訴えを受け付けはするが、放置していつまで経っても処理しようとしないのだ。
俘囚達は
とは言え、反乱を起こすのは
太政官も手を打たざるを得なくなる。既に述べたことではあるが、千方の曾祖父・
「
俘囚を良く教え
朝廷は一所懸命蝦夷を王民化させようとしているのに、国司達が誠実に職務を果たさない為、俘囚の
しかしこれは、朝廷が本気で蝦夷対策をやろうとしているのに、国司達がいい加減なことばかりしているから
確かに、私利私欲に走る国司が多かったことは事実だろう。しかし、彼等が私利私欲に走るのは、
太政官にしてみれば、俘囚の反乱が頻発するのは困るし、都に上って
これに
当時の為政者達、それは藤原摂関家の者達を中心とした上級貴族達であるが、彼等が己の栄耀栄華を満たす為に全てのものを犠牲にしても顧みず、国家さえも食い物にしていたからである。
推定五百万人から六百万人の人口の中の、たったの数十人の高級貴族とその身内、下級貴族まで合わせても、九百人から千六百人が構成する社会。それが、源氏物語に描かれているような
与えられた
「もしもの話だが、将門が陸奥の蝦夷と手を結んでいたら、
「ふふふ。
朝鳥は千方の成長の度合を考え方の上でも見てみたいと思った。
「蝦夷は強い。もし、坂東と手を結んでいたら、朝廷も迂闊に手を出せぬほどの勢力になっていたのではないかと思ってな。
「
と朝鳥が答える。『また、例に寄って朝鳥の意地の悪い言い方が始まったな』と千方は思った。
「単に勢力はどれ程のものになっておったかと思うただけじゃ! もし、そうなっても父上は将門と戦ったであろうか?」
朝鳥の答え方に千方は少々不機嫌になっていた。
「
妙に形式張った言い方をする朝鳥に千方は失望した。
「分った。この話はもうやめよう。…… しかし、そのほうも以外と面白味の無い男だな」と投げやり気味に嫌味を返す。
「本気でも無いのに
朝鳥の言い方に千方はムッとした。
「ここは陸奥じゃ。そのような者おる訳も無かろう」
「いえ。例えば、この舘に何かの不満を持つ者がおり、偶然聞いたことを
朝鳥が厳しい顔付きでそう言った。そして、
「夜叉丸、秋天丸。廊下を見張っておれ」
と二人に命じた。
「え? あ、はい」
秋天丸は一瞬戸惑ったように答えて廊下に出た。夜叉丸は無言で同じ行動を取った。
これも、朝鳥の教育のひとつなのであろう。千方には日頃の言動に注意を払うよう求める一方、夜叉丸と秋天丸には、いちいち命じられなくても、このような時には、辺りを見張るよう
それでいて、朝鳥自身は、物騒なことを平気で口にしたりするのだが、本人はその矛盾を余り自覚していない。己自身のことと千方に教育すべきことは別と思っている
「六郎様」
朝鳥が少し声を落として言った。
「大殿は色々なことをお考えの上で、立場を決められました。まず、第一には勝つこと。次に、何がご自身に取って、
実は、麿もお供しましたが、大殿は将門が謀叛に突き進み始めた後、一度、秘かに会いに行っておられます。その会談の後、大殿は明らかに不機嫌になられました。お心の内は明かしては頂けませんでしたが、恐らく大殿は、それまで将門に期待を抱いておられたのだと思います。その期待が見事に裏切られたという感じでした。麿は別室で待たされていたので会談の様子は分りませんでしたが、舘を出た後、
「朝敵となることだからか?」
と千方が聞く。
「ふふ。朝敵で御座いますか? 六郎様は、朝廷とはどう言うものと思われますか?」
「
「では、
「
「では、朝廷の権威とは何で御座いましょう」
「う? それは、以前兄上にも問われたことがある。
「では、
朝鳥はそう本質に迫る。
「違うのか?」
「確かに
しかし、
元よりご自身で
しかしながら、実際の
千方が薄笑いを浮かべながら朝鳥を見る。
「一年も山中におったのに、そのようなこと、
「お舘へご挨拶に伺った際、聞き及びました。忠平候重病といえども、依然、お子である左大臣・
「では、朝廷の権威とは何か?」
以前千常に聞かれた事を、千方は朝鳥にぶつけた。
「
「官位?」
「はい。位階を与え、それに応じた官職に任ずることを『官位』と申します。それは、朝廷にしか出来ぬことで御座います。位階を得なければ官職には就けません。位階を与えるのは、建前上は
大臣以外の官職を決める儀式を
変では御座いませんか? 将門が次々と坂東各国の
己自身が
朝鳥の説明は、千方にとっても納得の行くものだった。
「何でも良う知っておるのう。朝鳥は
感心したように朝鳥の顔を見て千方が言った。朝鳥は不満げに口を少し曲げた。
「六郎様。”
朝鳥は、今でも現役の荒武者だと言いたいのだ。
「う? そうか?」
と千方が
「只の
朝鳥は不満げだ。
「そんなことは無い。太刀もそのほうから学んでおったではないか。ま、正直。多少
そう言って、千方が思わせ振りに笑う。
「お役目で御座いますゆえ」
朝鳥は尚も不満げだ。
「そうじゃな。うん、
と千方が
「
『六郎は調子者ゆえ、
千方は
「…… 本当に
「いいえ。確かにお聞きしました」
「ま、良い。ところで、荒武者のそのほうが、なにゆえ朝廷のことまでそんなに詳しいのだ?」
「はい。実は学者もどきの知り合いがおりまして。官職には就いておりませんが、実に色々な書物を読み
…… ところで、
しかし、どうでしょうか? 将門の目はむしろ都に向けられており、陸奥には向いていなかったと麿は思います。将門が坂東を占拠した後、承平の乱は、ごく短い間に終結しました。その間、将門は日々戦いに明け暮れておりましたから、蝦夷と連絡を取り合ったり工作をしたりする
もし仮に、将門が蝦夷との連携を模索したとしても、一体誰と話したと言うのでしょうか? 安倍とて
…… もし、殿と六郎様が坂東を制し、安倍が陸奥の蝦夷を完全に束ねることが出来た時には、或いは坂東の
千方が朝鳥をじろりと見た。
「口に気を付けよと申して置きながら、飛んでもないことを申すな。麿に謀叛を
と
「どう致しまして。大殿も
「朝廷のすることが善とは限らぬと言いたいのか?」
と千方が念を押す。
「祖真紀から
「いや、思わぬ。蝦夷の間では英雄だ」
と千方は答える。
「ところが、朝廷は
「…… と言うことは、
と千方が聞く。
「
「そんなことを考えたら、戦えぬのではないか?」
と千方。
「はい。仰る通りです。戦いに際して考えるのは、敵か味方かと言うことだけで御座います。敵は討たねばなりません」
「敵か味方か、考えるのはそれだけと言うことか」
「はい、そうしなければ、命は保てません。
「
これも千常の口真似だ。
「はい」
と朝鳥が頷く。
「ところで、古能代達はどうしているであろうの。今一度行ってみたいものだな」
と千方が話題を変えた。
「行かれますか?」
「良いのか? 行っても」
「麿も、そろそろ
「先程麿が申したことを根に持っておるのではないのか?」
朝鳥の口振りに不満を読み取った千方が尋ねる。
「どう致しまして。お子と喧嘩するほど若くは御座いません」
今度は千方がムッとした。
「”お子” とは何だ。既に
「そのようなことは御座いません。行って見てもすぐに
意地の悪い男だなと思った。
「分かった。都留儀殿に話してくれ」
と千方の方が譲った。