第五章 第12話 駆け抜けた男

文字数 3,259文字

 円融(えんゆう)天皇は、高明(たかあきら)の娘を妻としていた兄・為平(ためひら)親王を差し置いて摂関家に依って擁立された守平(もりひら)親王である。
 母は故・師輔(もろすけ)の娘であり、伊尹(これまさ)の妹である安子(あんし)(応和四年(九百六十四年)没)。高明失脚から六ヶ月後の九月二十三日、冷泉(れいぜい)天皇の譲位を受けて帝位に昇った。そして、東宮(とうぐう)(皇太子)には、冷泉院と伊尹の娘・懐子(かいし)との間に生まれた師貞(もろさだ)親王が立てられた。
 伊尹(これまさ)は、(みかど)の伯父であり、皇太子の外祖父(がいそふ)と言うことになる。伊尹の思惑としては、円融帝は繋ぎである。皇太子・師貞(もろさだ)親王が(みかど)の座に就き、(みかど)の外祖父となることが権力の頂点を極めることになるからだ。

『あの二人を何とかせねばならぬな』と伊尹(これまさ)は思う。二人とは、弟の兼通(かねみち)兼家(かねいえ)のことだ。権力を掌握して行くに当たっては、二人には両の腕として働いてもらわねばならない。しかし、この二人、同じ母から生まれたとは思えないほど仲が悪い。伊尹としては、特に兼通を嫌って遠ざけているつもりは無いのだが、下の弟である兼家の方が話し(やす)いので、ついつい兼家の方に肩入れしてしまい勝ちである。
 兼通(かねみち)高明(たかあきら)と接近し、その娘と六男・正光の婚約を纏めたことは、兼家ばかりで無く、伯父である師尹(もろただ)師氏(もろうじ)の反発をも買った。兼家は兼通(かねみち)を一族の裏切り者と激しく糾弾し、高明追い落としの為一族の結束を図ろうとしていた伊尹としても、兼通を蚊帳(かや)の外に置かざるを得なかったのだ。しかし、将来のことを考えて、兼家も兼通も、(みかど)の身の回りの世話をする蔵人所(くろうどどころ)(おさ)である蔵人頭(くろうどのとう)を経験させた後参議とした。だが、弟の兼家を先、兄である兼通を後に回しにせざるを得なかった為、その後の昇進にも差が付いてしまったのだ。
 兼通(かねみち)の性格からすれば、恨んでいるに違いない。頂点に立つのはまだ先のことと思い、ついつい気配りをおろそかにしてしまった結果だ。伊尹(これまさ)は己の無神経さを悔やんだ。だが、兼通と兼家がいがみ合ったままだと、伊尹自身もやり(にく)いことになるし、九条流の将来を考えてみても良いことは無い。何としても和解させる必要が有ると思った。だが、兄弟三人で話し合ったことなど一度も無いのだ。
 訪ねて来ても、兼家の牛車(ぎゅっしゃ)が有れば、兼通は入らずに帰ってしまうし、兼家も同じだ。二人を呼びつけて意見しようとしたこともあるのだが、同席と知ると、何のかんのと理由を付けて二人とも来ないのだからどうしようも無い。伊尹は頭を抱えた。兼通の立場を少しずつ上げて、少なくとも兼家と同等くらいにしてからでないと、話は始まらないだろうと思った。

 兼通(かねみち)と言えば、実頼(さねより)の指示で、千常(ちつね)との和議を実際に行ったのは兼通だと言うことが分かった。朝廷の権威を汚すような和議には反対だったが、ひょっとすると、それに因って蝦夷の蜂起が避けられたとすれば、やむを得なかったかとも、伊尹(これまさ)は思う。
 実頼は、和議に付いては一切表沙汰にはしなかった。表向きは飽くまで朝廷からの説諭(せつゆ)に応じて、千常(ちつね)(みずか)らが兵を退()いたことにしてあるのだ。それに茶々を入れれば兼通の顔を潰すことになる。得策では無いと伊尹は思った。
 高明を失脚させることに成功したのだから、千常、千方ら末端の人事などどうでも良いと言えばどうでも良いのだ。それよりも今は、兼通(かねみち)を離反させないことの方が遥かに大事であると伊尹(これまさ)は考えた。

 千常(ちつね)との和議に憤懣(ふんまん)()(かた)無い男が一人居た。満仲である。兼通(かねみち)は、他の者達を遠ざけて千常と二人だけの席で和議を結んだ。それまで、決裂必至の雲行きだったにも関わらず、終わって見れば和議が成立していた。みっともない譲歩をしたに違いないのだ。それが証拠に、千常も千方も、罰せられるどころか直ぐに出世している。
 謀叛人を出世させるなど聞いたことが無い。和議などでは無く、朝廷が千常と千方に屈服したと言うことに他ならない。満仲には、千方、千常以上に兼通が憎く思えた。だが、満仲はそんな不満を他人に漏らすような男ではない。理性とは言わないが、何の得にもならず、下手(へた)をしたら己を追い詰める結果になると判断すれば、感情を押し殺すことが出来る男と言える。全てを計算し、例え感情が高ぶっても、考えも無くそれに流されたりはしない。だが、恨みを忘れない男でもある。

 満仲は、兼通(かねみち)とは犬猿の仲である兼家(かねいえ)の舘に盛んに出入りしている。満仲からは口にしないが、兼家が満仲同様、兼通のやったことを批判しているのを聞いて密かに溜飲を下げているのだ。いずれ兼家が兼通を叩いてくれるだろうと思っており、その為に何かを命じられれば喜んで何でもするつもりでいる。だが、兼家の不満は、兄・伊尹(これまさ)がなぜか兼通の行為を問題視していないことだ。
「こたびばかりは、兄上のお考えが読めぬわ」
 そう言って兼家は溜め息をついた。
「摂政に成られ、兼通様も手足として使わねばならぬと思われているからで御座いましょう。何しろお身内で御座いますから。しかし、摂政様が真に頼りにされているのは中納言様に相違御座いません。近々、大納言にとのお声が掛かるのでは御座いませんか」
 庭に片膝をついて(はべ)らなければならない身分から脱して、(ひさし)に座して兼家と話せる身分となった満仲が、当たり障り無く、兼家を(なだ)める。
「うん、そうは思うておるがのう」
 兼家は忌々しさを拭えぬ(てい)ではあるが、理屈としては満仲の言う事を理解しようとしている。 
「摂政(伊尹(これまさ))様が太政大臣と成られた暁には、中納言(兼家)様が左大臣と成られることは間違い御座いません」 
 満仲の世辞に、兼家は満足そうに頷く。長年に渡って他氏排斥を繰り返して来た藤原・摂関家であるが、高明を追い落としたことにより、遂に外に有力な政敵は居無くなった。だがそうなると、不思議と内紛が始まるものなのだ。壮絶な兼家と兼通(かねみち)との争いの前触れとなる確執、既にその萌芽が芽生えている。そして、摂関家の内紛は(みかど)をも巻き込んで行く。

 円融天皇(元・守平親王)は、六歳で母・安子(あんし)を亡くしている。安子の死後は妹である藤原登子(ふじわらのとうし)重明(しげあきら)親王の妻)に育てられ、他の兄弟と共に中宮(ちゅうぐう)権大夫(ごんのだいぶ)を務めていた兼通(かねみち)に庇護されていた。普通なら、立太子に際して守平(もりひら)親王を強く推すのは兼通のはずだ。しかし、兼通は、六男・正光の妻に高明(たかあきら)の娘を迎えており、やはり高明の娘を妃としている為平(ためひら)親王は守平親王の兄である。また、兼通自身、立太子に口を出せる身分でも無かったことから、兼通が積極的に、皇太弟として守平親王を推すと言うことは無かった。
 その頃、伊尹(これまさ)は、守平親王を皇太弟とし、高明の力を奪う計画を立て、実頼を初め摂関家の人々を結束させる為走り回っていたが、高明に近い兼通に情報が漏れることを恐れて、兼通を蚊帳の外に置いていた。伊尹が守平親王を皇太弟としたのは、飽くまで、高明の娘婿(むすめむこ)である為平親王が立太子され、高明が権力を掌握することを恐れた為であり、積極的に守平親王を支持してのことでは無かった。
 伊尹の目的は、いずれ冷泉(れいぜい)帝と自らの娘・懐子(かいし)から生まれた師貞(もろさだ)親王を(みかど)とすることにより、(みかど)の外祖父として権力を振るうことにあるので、守平親王・すなわち円融帝は中継ぎとしか考えていない。しかし、伊尹(これまさ)が強引に皇太子とした師貞(もろさだ)親王は生後一年にも満たない赤子(あかご)である。少なくとも数年で譲位(じょうい)させられると言うことにはならない筈だ。それが唯一の安心材料ではあるが、円融帝の摂関家、特に伊尹に対する不信感は根深い。
 円融帝が信頼を寄せているのは、四歳年上の同母姉・資子内親王(ししないしんのう)と母代わりの藤原登子(ふじわらのとうし)重明(しげあきら)親王の妻)であり、登子は母・安子(あんし)の妹である。

 伊尹(これまさ)は、天禄(てんろく)二年(九百七十一年)十一月二日、正二位(しょうにい)昇叙(しょうじょ)し、太政大臣(だじょうだいじん)宣下(せんげ)を受け、摂政(せっしょう)・太政大臣と成った。ここに名実共に頂点を極めたのである。後は師貞(もろさだ)親王の成長を待つのみ。外に政敵が無くなった途端、上に居た年寄達が次々と他界してくれたのだから、言うことは無い。(まさ)に我が世の春と言える。
 ところが、急激に出世を遂げたこの男に、天は余命を残していなかった。翌、天禄三年十一月一日。伊尹(これまさ)薨去(こうきょ)する。享年四十九歳であった。
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