第八章 第4話 覚悟
文字数 3,948文字
永延元年(九百八十七年)、藤原文脩 は、当主の座に就くと直ぐに、兼家に多くの貢物 を贈ると共に、朝廷の為死力を尽くす旨の解 を太政官 に奉 った。
忠平 、師輔 、実頼 、兼通 。その誰もが手を焼いて来た下野藤原 を臣従させることが出来る。兼家は大きな満足感を覚えた。
早速、兼家は、文脩 を内舎人 に任じ、都へ呼び寄せた。文脩 が松寿丸 の将来を端野昌孝 に約束したのは、単に口先だけのことでは無く、文脩 なりの目算が有ってのことだったのだ。
千方と言う重石が取れたことで、文脩 は己の考えに基づいた、下野藤原 の将来に向けて走り始めていた。完全に切れてしまっていた下野藤原と都との繋がりを回復したのだ。
「あ奴は、実質的な謀叛人に御座います。それはあの時、信濃に行っていた兄・満仲が申しておりました。あの騒動を実際に主導していたのは千方であり、謀叛を考えていたのは、間違い御座いません」
満季が兼家にそう訴えている。平忠常 に草原 を襲わせる計画を説明した後、そう畳み掛けた。
「それを、兼通 めが有耶無耶 にして収めてしまったと満仲は申しておったのう」
兼通に関しての腹の立つ話なので、兼家ははっきりと覚えている。
「御意 。この機会に千方めを始末してしまおうと思っておりますが、下野藤原 が介入して来ると面倒なことになると案じております」
満季がそう言うと、兼家は大きく頷いた。
「分かった。何が有っても草原 と関わらぬよう、文脩 には釘を刺しておこう。何、内舎人 にしてやったばかりじゃ。文脩 は虚気 では無い」
文脩は素直に従うと決め付けている。
「有り難う御座います。我等、今日があるのも全て御前様 のお蔭で御座います。しかしながら、こたびは兄がご迷惑をお掛けすることに成ってしまい、大変申し訳も御座いません」
満仲の突然の出家 には満季も驚いたし、その真意を理解出来ないでいる。
「驚いたわ。あの満仲が出家 するとはな」
「弟の手前に取っても、驚天動地のことで御座いました。疲れが出たので御座いましょうか」
「あの男も、見掛けに依らず弱きところを持っていたと見えるな」
「及ばずながら、これからは、兄の分までお仕えする覚悟で御座います」
満季は満仲の代わりに自分を重用して欲しいと、露骨に売り込む。
「頼りにしておるぞ」
「ははっ。ひとつお願いが御座います」
兼家が満季を睨 んだ。
「なんじゃ、無心か」
「次期武蔵守 を拝命致しとう御座います。確実に千方を葬る為に」
兼家は、少し考えるように満季から視線を外した。
「良かろう。やってみよ」
少し間を置いてから、そう答える。
前年の寛和 二年(九百八十六年)、忠常の父・忠頼(村岡次郎)と叔父・忠光が、大般若経 六百巻の書写を比叡山 延暦寺 へ奉納しようとした平貞盛 の弟・繁盛 の一行を武蔵 で襲い納経を妨害した為、繁盛が朝廷に訴え出、忠頼らに追討令が出されていた。
「忠常殿。その件、主 から摂政 様にお願いして、追討令を無効にして頂くようお計らい致しましょう」
忠常の館を訪れているのは鏑木当麻 である。
「真 か。繁盛は父の仇敵 じゃ。あれくらいのことで追討など受けてたまるかと父も申しておった。そうしてくれるなら有難い」
この件は、既に満季 から兼家に願い出、内諾を得ていることだったので、鏑木は自信満々で答えた。
「それで、安心してあの男の野望を挫 いて頂けますな」
と迫る。
「元々、埼玉郷 だけに収まっている気など無い。埼玉郡 全体に勢力を広げて行くに際し、まず、隣の草原郷 を従わせて見せる」
忠常に取っても、渡りに船と見えて、忠常は大いにやる気を見せた。
「これは頼もしい」
鏑木 は満足そうに頷いた。
上新郷村 は草原 の内の西北に当たり、埼玉郷 と接している。その薮 を切り開いて開墾を始めた者達が居る。
そう言う報せが入ったが、豊地 も千方も知らないことであった。確認の為人を派遣することにしたが、既に事件は起こってしまっていた。村の年寄り達は、豊地に報せを出す一方、確認の為、開墾現場に入って行った。どこの者か聞くが、無視して誰も答えない。ならば出て行くように迫ったところ、突然襲い掛かられ、さんざんに打ち据えられると言う事件が起こったのだ。
豊地は直ぐに郎等達を出動させた。だが、それ以上の人数の村岡の郎等達が現れ、小競り合いとなり、草原 の郎等達は押し返されてしまった。
「麿が出向いて、話を着ける」
そう言うと、千方は太刀を手にして既に立ち上がっていた。
「殿に危害を加える意図が有るかも知れません。殿が出向かれるのには反対です。態勢を整え直して、もう一度、麿が参ります」
豊地はそう言い張った。
「これは単なる領地争いでは無い。裏に満季 が居る。麿と満季の二十年以上に渡る確執から出ていることだ」
と千方は譲らない。
「忠常を操っているのは満季だと仰せですか」
「そうだ。下野藤原 の当主を降りた麿を、一挙に潰そうとしておる」
「ならば尚のこと、話し合いに行くなど危険ですし、意味が無いではありませんか」
必死に止めようとする豊地に、千方が静かに笑った。
「話し合いでは無い。脅しに行くのだ」
豊地は驚いた。
「村岡を脅す? お戯 れを。村岡の郎等の数は草原 の数倍。とても敵いません。おまけに、忠頼も忠常も争いを好む気の荒い者達。争えば潰されます。 …… ひょっとして、隠 れ郷 の者達を使うおつもりですか?」
「いや、あの郷も下野藤原の配下。麿の手の者では無い。草原 の郎等達も使わぬ。ここに居る五人だけでやる」
豊地は呆 れたと言う表情で黙った。来客の気配がした。少しして、雛 が現れる。
「統領と大道和親 (犬丸)殿が参っております」
そう千方に告げる。
「誰か呼んだのか?」
と四人に聞くが、皆、首を横に振る。
祖真紀 と和親 が入って来た。千方と豊地に挨拶をする。
「何か察して参ったか」
千方が祖真紀 に尋ねた。祖真紀は千方の身辺で起こっていることは全て把握している。
「お役に立つべき時と思い、参上致しました」
「下野藤原 の力を借りる訳には行かぬ」
祖真紀の言葉を嬉しく思いながらも、頼る訳には行かないと千方は思う。
「実は、手前も隠居致しました。祖真紀 の名は日高丸に譲り、昔の名乗り・古能代 に戻りました。郷 も祖真紀も下野藤原の配下ですが、隠居した今、吾 がお仕えするのは六郎様を置いて他に御座いません。下野 の殿(文脩)のご了承も頂いております」
「統領の補佐を命じられておりましたが、統領が隠居した以上、元の六郎様の郎等に戻して頂きます」
古能代に続き和親もそう申し立てる。見回すと、武規 (夜叉丸)ら四人はニヤニヤしている。
「そのほうら、知っておったな」
千方は郎等達を見回して、そう言った。
「統領が一緒なら、恐いものは無い」
そう力強く言ったのは、武規 である。
「もはや、吾は統領などでは無い」
「居て頂けるだけで百人力です」
智道 (秋天丸)も嬉しそうだ。
七人は上新郷村 の村外れの現場に向かった。自然堤防の上で砂地ではあるが、松や笹が繁っている。一見、開発するには不適切と思われる土地だが、少し掘れば土が表れ、更に掘れば水も湧き出す。
数十人が、松を切り倒し、根を掘り出し、砂山を崩している。表面の砂さえ取り除けば水利の面からも耕地とすることが可能な土地だ。近付いて行くと、薮から出て来た郎等風の者達に取り囲まれた。頭 らしき者が合図をすると何人かが弓を構えようとした。だが構えた時には、既に古能代 らの放った矢が、弓を構えようとした者達の腕や肩の皮膚の表面を切り裂いていた。弓矢を取り落とす者。千方一党の反撃の素早さに唖然としている者も居る。
「おのれ。掛かれ!」
号令の許 、一斉に掛かって来る。
騎馬同士の戦いである。狭い場所で千方側七人と村岡側二十人弱が入り乱れる。狭い場所では手綱捌 きの差が出る。村岡側の数人が肩や腿 に傷を負って落馬する。いつの間にか村岡側は隅に追い込まれ、千方側の者に対峙 出来る位置にいる者は数人で、後の者は周りを仲間に囲まれている状態に成ってしまった。千方は、決して殺すなと命じていた。敵を追い詰めたところで改めて弓を構えさせた。村岡側で後ろに居る者達の中には、前に居る者の陰に隠れようとする者もある。
「農夫達を連れて、引き揚げて貰おうか。それとも、打ち合って命のやり取りをするか」
絶対的に有利な態勢を作った上で、千方が詰め寄る。
「このまま済むと思うなよ」
頭 らしき男が言う。
「忠常が出張って来ているのかと思うたが、汝 如 きで遇 らえると思われたとは、麿も見縊 られたものよな」
「若を甘く見ると吠 え面 かくことになるぞ」
村岡の郎等がそう喚く。
「楽しみにしておると伝えよ」
千方は笑顔で答えた。
「ひとまず、引き揚げじゃ」
村岡の郎等達と農夫達は、すこすごと引き揚げて行った。
「見事に喧嘩を売られましたな」
去って行く村岡の者達を見送りながら、古能代 が言った。
「勝てると思うか?」
千方が古能代に問う。
「殿のお覚悟次第です。北武蔵全体を争乱に巻き込むお覚悟と見えますが、もし下野 の殿から横槍が入った時は、どうなさいます?」
「縁を切る。それしか有るまい」
「草原 単独で村岡と戦うとなると、常識的なことをやっていては無理。それに付いては策も考えますが、満季 に踊らされることにはなりませんか? 忠常から見れば殿は、母方の祖父・将門 の仇 の子と言うことになりますが、こちらにすれば、敢 えて忠常と戦わなければならない理由も無いのでは?」
そう言う古能代に、
「誰の差し金であろうが、この草原 に手出しして来る者は打ち払う。それが、満季の意図を打ち砕くことにもなる」
と千方は言い切った。
「分かりました。殿がそのお覚悟であれば、死力を尽くします」
古能代が頭を下げ、他の郎等達も揃って頭を下げる。
早速、兼家は、
千方と言う重石が取れたことで、
「あ奴は、実質的な謀叛人に御座います。それはあの時、信濃に行っていた兄・満仲が申しておりました。あの騒動を実際に主導していたのは千方であり、謀叛を考えていたのは、間違い御座いません」
満季が兼家にそう訴えている。
「それを、
兼通に関しての腹の立つ話なので、兼家ははっきりと覚えている。
「
満季がそう言うと、兼家は大きく頷いた。
「分かった。何が有っても
文脩は素直に従うと決め付けている。
「有り難う御座います。我等、今日があるのも全て
満仲の突然の
「驚いたわ。あの満仲が
「弟の手前に取っても、驚天動地のことで御座いました。疲れが出たので御座いましょうか」
「あの男も、見掛けに依らず弱きところを持っていたと見えるな」
「及ばずながら、これからは、兄の分までお仕えする覚悟で御座います」
満季は満仲の代わりに自分を重用して欲しいと、露骨に売り込む。
「頼りにしておるぞ」
「ははっ。ひとつお願いが御座います」
兼家が満季を
「なんじゃ、無心か」
「次期
兼家は、少し考えるように満季から視線を外した。
「良かろう。やってみよ」
少し間を置いてから、そう答える。
前年の
「忠常殿。その件、
忠常の館を訪れているのは
「
この件は、既に
「それで、安心してあの男の野望を
と迫る。
「元々、
忠常に取っても、渡りに船と見えて、忠常は大いにやる気を見せた。
「これは頼もしい」
そう言う報せが入ったが、
豊地は直ぐに郎等達を出動させた。だが、それ以上の人数の村岡の郎等達が現れ、小競り合いとなり、
「麿が出向いて、話を着ける」
そう言うと、千方は太刀を手にして既に立ち上がっていた。
「殿に危害を加える意図が有るかも知れません。殿が出向かれるのには反対です。態勢を整え直して、もう一度、麿が参ります」
豊地はそう言い張った。
「これは単なる領地争いでは無い。裏に
と千方は譲らない。
「忠常を操っているのは満季だと仰せですか」
「そうだ。
「ならば尚のこと、話し合いに行くなど危険ですし、意味が無いではありませんか」
必死に止めようとする豊地に、千方が静かに笑った。
「話し合いでは無い。脅しに行くのだ」
豊地は驚いた。
「村岡を脅す? お
「いや、あの郷も下野藤原の配下。麿の手の者では無い。
豊地は
「統領と
そう千方に告げる。
「誰か呼んだのか?」
と四人に聞くが、皆、首を横に振る。
「何か察して参ったか」
千方が
「お役に立つべき時と思い、参上致しました」
「
祖真紀の言葉を嬉しく思いながらも、頼る訳には行かないと千方は思う。
「実は、手前も隠居致しました。
「統領の補佐を命じられておりましたが、統領が隠居した以上、元の六郎様の郎等に戻して頂きます」
古能代に続き和親もそう申し立てる。見回すと、
「そのほうら、知っておったな」
千方は郎等達を見回して、そう言った。
「統領が一緒なら、恐いものは無い」
そう力強く言ったのは、
「もはや、吾は統領などでは無い」
「居て頂けるだけで百人力です」
七人は
数十人が、松を切り倒し、根を掘り出し、砂山を崩している。表面の砂さえ取り除けば水利の面からも耕地とすることが可能な土地だ。近付いて行くと、薮から出て来た郎等風の者達に取り囲まれた。
「おのれ。掛かれ!」
号令の
騎馬同士の戦いである。狭い場所で千方側七人と村岡側二十人弱が入り乱れる。狭い場所では
「農夫達を連れて、引き揚げて貰おうか。それとも、打ち合って命のやり取りをするか」
絶対的に有利な態勢を作った上で、千方が詰め寄る。
「このまま済むと思うなよ」
「忠常が出張って来ているのかと思うたが、
「若を甘く見ると
村岡の郎等がそう喚く。
「楽しみにしておると伝えよ」
千方は笑顔で答えた。
「ひとまず、引き揚げじゃ」
村岡の郎等達と農夫達は、すこすごと引き揚げて行った。
「見事に喧嘩を売られましたな」
去って行く村岡の者達を見送りながら、
「勝てると思うか?」
千方が古能代に問う。
「殿のお覚悟次第です。北武蔵全体を争乱に巻き込むお覚悟と見えますが、もし
「縁を切る。それしか有るまい」
「
そう言う古能代に、
「誰の差し金であろうが、この
と千方は言い切った。
「分かりました。殿がそのお覚悟であれば、死力を尽くします」
古能代が頭を下げ、他の郎等達も揃って頭を下げる。