第七章 第3話 歳月

文字数 4,649文字

 天元(てんげん)二年(九百七十九年)、千方は陸奥(むつ)に居た。前年の正月二十九日に鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)に任じられ、胆沢(いさわ)城内に()る鎮守府に赴任している。

 下野(しもつけ)から郎等のひとりが訪ねて来ていた。兄であり養父である千常(ちつね)が、源肥(みなもとのこゆる)と遂に合戦することになったことを報告に来たのだ。
『案ずるには及ばぬ』という千常からの伝言も(たずさ)えていた。
『やはりな』と千方は思った。
 千常の性格では早晩そうなることは目に見えていた。周りの土豪達と揉めていると言うことだったが、一方で、(こゆる)に同調する者が出て来たと言うことらしい。
『父・秀郷(ひでさと)から引き継いで来た地盤を(こゆる)に荒らされては、もはや話し合いの余地など無い。戦うしか無い』それが、千常の出した結論だった。

 その時、父・秀郷(ひでさと)なら、こんな時どうしただろうかと千方は考えてみた。恐らく、各方面から工作して、結局、(こゆる)を自陣に取り込んでしまったのではないかと考えた。たが、性格から言って、千常にそんな真似は出来ない。だが、文脩(ふみなが)なら、ひょっとして、それが出来るのではないかと思ったのだ。
 寒河(さんが)(小山(おやま))の舘で、千常から(こゆる)の話を聞いた時、文脩(ふみなが)にやらせてみてはと提案したのは、文脩の器量を試してみてはと思ったからだ。結果に寄っては、千常が文脩を見直す切掛けになるかも知れないと思った。だが、千常に頭から否定されてしまった。後は、千常と恐らく参陣するであろう文脩の無事を祈ることくらいしか出来ない。

 用件の報告が済み、郎等と坂東の近況などについてあれこれと雑談していると、その郎等は、出立する直前に都から戻った者から聞いた話を思い出した。
「どのような話か?」
 千方が聞く。
安倍晴明(あべのせいめい)様が皇太子・師貞(もろさだ)親王様の(めい)那智山(なちざん)の天狗を封ずる儀式を行ったそうに御座います」
「ほう~っ。天狗を封ずる儀式をな。そうか、晴明(せいめい)殿がな。皇太子からの信頼は大変なものだと聞く。親王様が帝位に就けば、益々活躍されることだろう」
 千方が、感慨深げに下野から来た郎等に言う。

 師貞(もろさだ)親王は、冷泉(れいぜい)院と亡き伊尹(これただ)の長女・懐子(かいし)との子で、円融帝即位の条件として、安和(あんな)二年(九百六十九年)、叔父・円融(えんゆう)帝の即位と共に、生後十ヶ月足らずで皇太子に立てられた。
 当時、摂政(せっしょう)であった外祖父・伊尹(これただ)の威光有ってのことだ。親王は、この年十二歳に成っている。
晴明(せいめい)様は、式神(しきがみ)を操って、不思議なことを次々と起こされるとか。殿も大変なお方とお知り合いなので御座いますな」
「ふふ。そうだな。他言(たごん)するで無いぞ。実はな、晴明殿に学んで麿も鬼を操ることが出来るのじゃ。良いか、くれぐれも他人に話してはならぬぞ」 
「は? 殿がで御座いますか」
「はっ、はっ、はっ」
 千方は愉快そうに笑い、郎等は、相変わらず軽口(かるくち)の好きな(あるじ)だと思った。
「では、一度、鬼を見せて頂きたいものですな」
 郎等は、軽口を切り返したつもりだ。
「そうか!」
と言って笑った千方が、手を打ち、
(たれ)ぞ手鏡を持て」
と人を呼んだ。女が表れ、銅製の手鏡を千方に渡す。
「己の顔をこれに映してみよ」
 そう言って、郎等に手鏡を渡す。
「何で御座いますか? 己の顔などに興味は御座いませんが」
 ちょっと見ただけで、郎等は直ぐに視線を鏡から外した。
「少し寒くは無いか? 大きく息をしてみよ」
「はあ」
「少し(ぬく)くなって来たであろう。さあ、もう一度吸ってみよ。もっと温かくなって来たであろう。もう一度」
 続けていると、郎等の顔が火照って来たように見える。
「もう一度鏡を見てみよ」
 郎等は鏡に目を移す。
「赤鬼がおる!」
と千方が言った途端、
「ぎゃあ!」
と叫んで、郎等は手鏡を放り出した。
「麿が手を打てば鬼は消える」
 そう言って、千方がぱちんと手を打つ。放り投げた鏡を拾い上げ、恐る恐る覗いた郎等が「ふーっ」と息を吐いた。
「お、お許しを」
()(ごと)じゃ」
 郎等は大きく息を吐いて、少し恨めしげに(あるじ)を見た。
 その時、一人の軍曹が現れ、千方に声を掛けた。 
「将軍。忠頼が参っております」
「分かった。すぐ参る」

 安倍忠頼(あべのただより)奥六郡(おくろくぐん)蝦夷(えみし)(おさ)であり、千方とは縁が有る。
 千方が諜報活動や突撃隊として使っている蝦夷の一族の統領・祖真紀(そまき)の妻が忠頼の姉なのだ。

 十五歳の頃、千方は陸奥(むつ)を訪ね、安倍の舘に逗留したことが有る。当時、古能代(このしろ)と名乗っていた祖真紀(そまき)が、郷長(さとおさ)と成るに当たって、離れて暮らしていた妻子を迎えに行く際、兄・千常の(めい)に寄り同行した。
 若い日の忠頼は、日々戦いに明け暮れていた。だが、朝廷の(めい)に寄り同胞(はらから)である蝦夷(えみし)同士が戦わなければならないことに疑問を感じてもいた。そして、父の跡を継いで当主となってからは、寛容さを以て対し、奥六郡(おくろくぐん)蝦夷(えみし)を統一することに成功していた。
 近頃は、日々のことはすっかり息子の忠良(ただよし)に任せて、時折(ときおり)鎮守府を訪ね千方と話すのを楽しみにしている。そんな訳で、千方は、鎮守府将軍と成って以来、騒動鎮圧の為の軍を出したことは一度も無いのだ。
忠頼(ただより)殿のお陰で、麿は昼寝を楽しむ為に陸奥(むつ)に参ったようなものじゃ」
「恐れ入ります。この忠頼の目が黒い限り、今後とも千方様にご苦労をお掛けすることは御座いません」
「多少退屈ではあるが、平穏が何より。だが、ひとつだけ気になることが有る」
「何で御座いましょう」
信濃(しなの)での騒動の折は、突然無理なことを頼んで迷惑を掛けた。その後、国府に睨まれてはおらぬか」
「お役に立てませんで、申し訳御座いませんでした」
「そんなことは無い。今こうしておられるのも、そなたの協力有ってのことじゃ。改めて礼を申す。その後、国府の方は上手く丸め込んだのか」
「はい。津軽の者達に不穏な動きが有り、それを討つ為の準備をしていたと言い抜けました」
「それで納得したか?」
「さあ、どうで御座いましょう。国府が我等をどう思っているかは、将軍様の方がご存知なのでは?」
「近頃、衣川(ころもがわ)北股(きたまた)川と南股(みなみまた)川が交わるところに建てた舘のことじゃが。小山の上に建てたあの舘は、朝廷軍を迎え撃つ為の柵としか見えぬぞ」 
 忠頼は笑った。
「今、朝廷軍と戦って勝てると思うてはおりません。見晴らしの良いところが好きなだけで御座いますよ」
「麿は兎も角、今後の鎮守府将軍で、それを疑う者も出て来よう。どうするつもりじゃ?」
「ひたすら恭順の意を表します。それでも(とが)めて来る方があった時は、その都度考えましょう」
 千方は、忠頼が、いずれ、朝廷に支配されない蝦夷(えみし)の国を作りたいと思っていることを知っている。十五の(とし)、千方は安倍舘(あべたち)に滞在した際、安倍氏の財力に驚かされた。砂金の採掘も体験した。一度だけ、蝦夷同士の(いくさ)にも巻き込まれた。そんな中で感じたことは、蝦夷(えみし)と坂東の(つわもの)とは似ているということだった。

 坂東の者達も、東胡(あずまえびす)と都の公家(くげ)達からは見下されている。着飾った都人(みやこびと)よりも蝦夷の方が、同じ武人として、遥かに親しみが持てたのは或る意味当然と思えた。 
 朝廷とは直接戦わず、それを利用しながら坂東の実質的な独立を達成しようとしていた父・秀郷の考えと近いものを、千方は忠頼の考えの中に見ていた。だから、安和(あんな)の変後、下野藤原の浮沈を掛けて戦おうとした時、安倍の力を頼ったのだ。

    
 翌年の夏のことである。小山武規(こやまたけのり)広表智通(ひろおもてともみち)が出掛けようとすると、門番が親子連れらしい女二人を追い払おうとしているのに出くわした。
「どうした?」
 武規が門番に尋ねる。
「頭のおかしい女子(おなご)ですわ。将軍様に会わせろなどと申しまして。…… さっさと向こうへ行け!」
と門番は女たちを追い払おうとしている。
「ひょつとして、夜叉丸はんと違いまっか?」
 年嵩の女が武規に向かって叫んだ。
(なれ)は誰か。顔に覚えは無いが」
「そちらは知らなくとも、こっちは顔見れば分かりますわ。そっちのお方は、秋天丸はんでっしゃろ」
「何者だ」
「この子の顔、誰かに似てると思いまへんやろか。お二人共あの人から聞いていた人相そのまま。直ぐに分かりましたわ」 
 大柄な娘を指して年嵩の女が言った。
「竹丸……」
「そうです。この子は竹丸の子ですわ」
 武規(たけのり)智通(ともみち)は顔を見合せた。
「この者を通してやってくれ、我等が話を聞く」
「お知り合いでしたか」
 門番の兵に武規が断って二人を中に導く。
「竹丸は、今、どこに?」
 智通が尋ねる。
「死にはりました」
(やまい)か?」
「飲んだくれて、体壊して死にました」
「で、なぜこの胆沢(いさわ)におる。また、何を殿に申し上げようと思っておるのか」
 そう聞いたのは武規の方だ。
「聞いて貰えますか。あの人、ずっと戻りたかったんですわ」
「詫びて戻れば良かったのだ」
「それが出来んから、苦しんではった」
「竹丸とは、どう知り合った」
「お客はんですわ。分かってはりますのやろ。ただ、あん人は、他のお客はんとは全く(ちご)うてはりました。こんな(あれ)を、まるでおぼこ娘でも扱うように扱ってくれるんですわ。始めは『アホちゃうか』と思いましたわ。女子(おなご)(たぶらか)す為にそうしとると思うてました。でも、そやなかった。分かったんですわ。ほんまにそう言う人やと」
「ふーん、そうか」
「一度は、足洗うて、大道芸見せて稼ごうとしました。でも、若い娘なら兎とも角、ええ年齢(とし)した女子(おなご)(まと)にして矢ぁ射たところで、人なんか集まりませんがな。(きわ)どいことやって人目を引こうとしました。
 裸同然の姿で足広げてな、足の間に射るんですわ。股に近いほど、お客さん湧きますわな」
「娘の前で言うことか」
 武規が不快そうに(さえぎ)った。
「夜叉丸はん。あんたらと違うて、綺麗事言うてたら、生きて行けまへんのや。そうやって暫く生きてましたが、しくじりましてな。(あれ)の足に当ててしもうたんですわ。幸いかすった程度で、血が少し出たくらいでした。でも、それからあん人、射れなくなってしもうたんです。
 自分が足に負った傷が治らず苦しんだ。それと重なって、恐くて射れなくなってしもうたんですわ。それからは、酒浸(さけびた)り。(あれ)もまた、体売るしか無くなってしもうて。
 あん人は、酒飲んでは泣いて、『(われ)は 広岡大直(ひろおかひろなお)だ。六郎様の郎等だ』って何時も言うてましたわ」
「駄目な奴は、結局何をやっても駄目と言うことか」
 小山武規(夜叉丸)がそう呟く。
「随分な言い方どすな」
「それで、結局、体を壊して死んだと言うことか」
 智通が軽く溜息を吐きながら言った。
「戻りたかったんや。あの人は。いつも六郎様のこと、夜叉丸はんや秋天丸はんのことばかり話してましたわ」
 そう訴える女に、
「なぜ胆沢(いさわ)におる」 
と武規が聴く。
「都では生きていけんようになった時、多賀城(たがじょう)にはひとりもんの男子(おのこ)が大勢おると聞いて五年前に流れて来ましたんや。そして、最近、六郎様、いえ殿様が鎮守府将軍として胆沢(いさわ)に来てはることを知って、一目お会いしたいと思うたんですわ」
「お目に掛かって、どうするつもりだ」
 智通(ともみち)が尋ねる。
「さあ、(あれ)にも良う分かりまへん。竹丸の死に(ざま)をお話したかったんですかね」
「それは、殿への恨み事か」
「さあ、どうでっしゃろ」
「言って置くが、殿に関係は無い。恨むなら(われ)を恨め」
 武規がそう言った。
「恨みなんて有らしまへん。あれが、あの人の生き方、死に方だったんですわ。ただ、この()(あれ)と同じ生き方をさせないで済めばと思いましてね。下働きにでも置いて貰えまへんやろか」
「分かった。殿にお願いしてみる。ここで待っておれ」

 女をそこに待たせて置いて、武規と智通は、次第(しだい)を千方に報告した。
案内(あない)致せ。麿が会う」
 千方は直ぐにそう答えて、歩き出した。
 ところが、待たせていた場所に着いた時には、女の姿は無く、娘一人が残っていた。
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