第四章 第3話 安倍晴明との出会い

文字数 6,065文字

 兄・千晴(ちはる)から呼び出しが有った。その日は定時に退庁し、夜叉丸(やしゃまる)秋天丸(しゅてんまる)を従えて兄の舘に向かう。大宮大路(おおみやおおじ)を下り四条通りを右に折れ、朱雀院(すざくいん)の南を通って西に進む。西院(さいいん)の手前を北に折れて、また小路(こうじ)を西に行き、高明(たかあきら)邸の裏を通り過ぎると、間も無く千晴の舘が有る。 
「あっ、六郎様。殿がお待ちで御座います」
 門の前で顔見知りの郎等(ろうとう)が声を掛けて来た。 
「兄上がこのような早い時刻にお戻りとは珍しい」
との千方(ちかた)の呟きに、 
「何か大事なお話がお有りのようで」
と郎等が応じる。
「何事であろうのう」
『まさか()のことでは無いだろうな』と千方は思った。義姉(あね)からの勧めは何のかんのと言って断っているが、兄が乗り出して来たとすれば面倒になると思った。 
「それは、殿から直接お聞き下さい」
 郎等はあっさりと(かわ)す。
「そうだな。通るぞ」
「どうぞ奥へ」

 居室では、千晴が待ち兼ねていた。
「お役目繁多なところ済まぬな。入れ」 
 柔らかい表情で気さくに話し掛けて来る。
「いえ、兄上こそお忙しい処を」 
「ま、座れ」  
 千方が座って頭を下げる。
「いかなる御用で御座いましょうか」
「うん。草原(かやはら)豊地(とよち)から度々報せが有ってのう」 
 ()の話では無かったと分かり、千方は少しほっとした。 
「どのような報せで?」 
「それよ。ちと面倒が起きておる。暫く前のことになるが、(さきの)武蔵掾(むさしのじょう)平義盛(たいらのよしもり)と言う者が土豪の娘を(めと)って土着した。場所は埼玉郡(さいたまごおり)。麿の所領と接しておる。その義盛が近頃郎等を増やし、麿の所領を侵しておると言うのじゃ。豊地では手に余る。どうやら、村岡二郎(村岡五郎こと平良文(たいらのよしぶみ)の子・平忠頼(たいらのただより))が後ろに居るらしい」
「義盛なら知っております。以前より村岡二郎とは親しかったようです。分かりました。役所に届けを出し、麿が武蔵に戻って収めて参ります」
 千晴の指示を予想し、そう申し出た。 
「いや、ならん。場合に寄っては、いく月も掛かることになろう。(いくさ)になるやも知れぬ」
 千晴の反応は、千方には意外だった。 
「なればこそ。麿が参ります。兄上のお蔭で今、官人(つかさびと)と成っておりますが、もともと武蔵に於ける我が家の権益を守るのが麿の役目。行かせて下さい」
と懇願する。 
「いや、今のそのほうには、久頼(ひさより)と共に、都に於ける下野藤原家(しもつけふじわらけ)の地盤を築く大事な役割が有る。それに、まだ私用で幾月(いくつき)も休める立場にも無かろう」
 そう言われてみれば、仕官早々に長期の休みを取ったりしたら、高明(たかあきら)の顔を潰す事にもなりかねない。
「う~ん。ならば、五郎兄上に頼むおつもりですか?」
 五郎兄とは千常(ちつね)のことだ。
「いや、麿が参ることにする」 
と千晴は言う。
「しかし、叙爵(じょしゃく)の上、受領(ずりょう)と成る話を断ってまで、高明(たかあきら)様のお側を離れたく無かったのでは御座いませんか」 
高明(たかあきら)様も、今や右大臣と成られた。摂関家もばらばらで高明(たかあきら)様に対抗出来る者はおらん。左大臣様(実頼(さねより))とも上手くやっておられるようだ。受領(ずりょう)と成れば数年間離れることになるが、此度(こたび)は長くても数ヵ月のことじゃ。心配は要らぬ」
「左様ですか」
 千方は、行きたくてうずうずしていたのだが、千晴にそう言われてしまえば、仕方が無い。
「五郎には世話になりっぱなしじゃ。これ以上負担は掛けたく無い。それに、五郎が、下野(しもつけ)から多くの郎等を引き連れて武蔵に入ると言うのも(はばか)りが有る。麿ならば私領に戻ると言うだけのこと。何の(さわ)りも無い。官人(つかさびと)でも無いから、その面でも不都合は無い」
「分かりました」
と、千方は納得して頭を下げた。
「そこで、そのほうに頼みじゃ。郎等は三分の一ほど残して行く。心利(こころき)きたる者をひとり残して行くので、普段の警備・警護に付いては心配は無い。久頼にも、お役目の合間を見てお屋敷に顔を出すように言うてある。だが万一何か事が起きた時、久頼は命懸けの闘いをしたことが無い。その時は、そのほうに指揮を任かせる。ま、そんなことも無かろうが、万が一の時は頼むぞ」
(かしこ)まりました。お任せ下さい」

 色々と話が(はず)み、千方が千晴の舘を辞したのは薄暮に掛かる頃であった。右京の裏小路を歩いて帰路に着く途上、先の方から、小者ひとりだけを伴った白っぽい装束(しょうぞく)の男が歩いて来るのが見えた。 
 右京は治安が悪い。夕刻近くともなると人影がめっきり減って物騒になるのだ。そんな裏小路を小者ひとりだけを連れて歩くなど、余程豪胆な男か、差し迫った必要有ってのことだろうか。そう思った。
 少し後、(あん)(じょう)横道から五、六人の(がら)の悪そうな男達が現れて、白装束の男の行く手を(さえぎ)るように広がって道を(ふさ)いだ。そして、二人を囲むようにして横道に連れ込んで行く。  
「まずいな。行くぞ!」  
 そう言うなり千方が走り出した。夜叉丸(やしゃまる)秋天丸(しゅてんまる)のふたりも負けじと走り出す。正に三人が角を曲がったその時、
「ぎゃ~!」
と言う叫び声が上がった。声を上げたのは、白装束の男では無い。無頼漢のひとりだった。男達は逃げ去って行く。
 白装束の男が千方達の方を振り向いた。三十年配のすらりとした細面(ほそおもて)の男だ。
「これは危うい処をお救い頂き、(かたじけな)い」
 そう言って男は少し頭を下げたが、()じけていた素振りなど微塵(みじん)も無い。
「いや、我等は何もしておりませぬ」
 千方がそう答える。
「ならば、強そうなお三人を見て、これは(かな)わぬと思い、逃げ去ったのでしょう」
 そう言って男は愉快そうに笑った。『心にも無いことを』と千方は思う。
「悪党共が、ひとに見られては不都合と思い逃げるのは分かります。しかし、そのくらいのことで叫び声を上げるような連中ではありますまい」
と白装束の男に疑問を投げ掛ける。
「さて、どうしてで御座いますかな、麿にも分かりませぬ」
と言って、男はまた微笑んだ。
「おとぼけ召さるな」
 そう言うと千方は、先ほど迄ごろつき共が居た辺りまで歩いて行き、何かを拾い上げた。布を裂いて編んだ、一尺ほどの長さの縄のようなものである。端に結び目が付けてある。
(みこと)がこれを、叫び声を上げた男の足許に投げて何か言われた。麿はそれを見ました」
 縄状の布を白装束の男の目の前に(かざ)して、千方はそう言った。
「そうであったかな?」
 男はしらっと言い放った。
「いや、不躾(ぶしつけ)な物言い、お許し下さい。麿は、右大臣・源高明(たかあきら)様の従者(ずさ)・藤原千晴の弟で千方と申す者。修理職(しゅりしき)に勤めております。元来物見高い性格で、何にでも興味を持ってしまう(たち)でして」
 警戒心を起こさせてはまずいと思い、千方は、意識して柔らかい雰囲気を出そうとする。
「なるほど。そういう(かた)は嫌いではない。こちらこそ申し遅れました。麿は陰陽寮(おんみょうりょう)の天文得業生(とくごうしょう)安倍晴明(あべのはるあき)と申す者に御座います。他人(ひと)は『セイメイ』と呼びます」
と、晴明と名乗る男も挨拶を返した。
「陰陽寮の? …… とすると、何かの呪術を使われたのか?」 
「呪術? さて、どうで御座ろう」
 その事に付いては、晴明は相変わらず(とぼ)けている。 
「セイメイ殿?…… 。思い出しましたぞ。確か、天文博士・賀茂保憲(かものやすのり)様のお弟子で、身分は高く無いが、いやご無礼。公卿(くぎょう)方や(かしこ)き辺りからも信頼されている占いの名人が居ると、つい最近、兄から聞いた覚えが御座います。確かに安倍晴明(あべのせいめい)と言う方と聞いた覚えが有ります。(みこと)でしたか。いや、お見逸(みそ)れしました」
 そう言って、千方は頭を下げた。
「名人などでは御座いません。未だ修行中の身。占いは本業ですから、確かに(みかど)に召されたことも御座います」
「では、先程のあれは?」
「ふ~ん。弱りました。(とぼ)け通す訳にも行かなくなりましたな。あれは、言わば、麿の余技です」
 千方に好感を持ったのか、晴明が警戒心を解いた。
「余技?」
「はい。幼い頃より、麿も相当物見高う御座ってな。特に人を観察するのが、好きで御座った」 
「その気持は分かります」
と千方が頷く。
「人は何を以って物を見ると思われるか?」 
 晴明がいきなり千方に尋ねた。
「もちろん、目です」
 何故そんな事を晴明が聞くのか、千方には意味が分からなかった。
「何を以って音を聞くと思われますか?」
と、晴明は更に聞いて来た。
「耳です」
「熱い物を持った時、どこがそれを感じ取りまするか?」 
「それは(たなごころ)でしょう」
「果たしてそうでしょうか?」
と、晴明は疑問を返して来た。
「人は心の動きに寄って見間違いをします。そればかりでは無く、無いはずの物を見たり、していないはずの音を聞いたりもします。それは特別なことでは無く、実はいつも起こっていることなのです。目や耳や鼻、手も単なる道具に過ぎず、人は、心で見、心で聞き、心で感じている。と言うことは、逆に心を操ることに寄って、無いものを見せたり、していないはずの音を聞かせたりすることが出来る。そう申したら信じますか?」
「正に幻術ですね。あの男には、この(ひも)(まむし)にでも見えたと言うことですか?」
「その通り」
と言って、晴明は小さく頷いた。 
(みこと)は、その道の師にも着かず、己ひとりの力で幻術を極めたと言う訳ですね」
 詳しいことは勿論分からないが、なんとなく、幻術と言うものの正体を察する事が出来た。
「極めてなどおりません。まだまだ出来ることは数多く有るはずです」
 千方の好奇心が頭をもたげた。
「このような場所でなんですが、今、麿に術を掛けてみて頂く訳には参りませんでしょうか?」
と、千方は晴明に頼んだ。晴明は笑みを浮かべて千方を見た。
(みこと)も、麿以上に物見高い方ですな。だが申し訳無い。遊びでお見せすることは控えさせて頂きたい」
と断られた。 
「左様ですか。いや、ご無礼致した。許されよ」
「何の、お気を悪くなさいますな」
 千方は、この安倍晴明と言う男に強く惹かれるものを感じた。 
「それはそうと、これを機に親しくお付き合いさせて頂く訳には参りませんでしょうか? (みこと)(わざ)にひどく興味を持ちました」
と申し出てみた。
「なるほど、言われる通り物見高いお方と見えますな。麿も、源満仲殿と並んで今や都で名高い(つわもの)である藤原千晴殿の弟御(おとうとご)知己(ちき)に成れれば、何かの折に心強いと言うもの。平将門(たいらのまさかど)を討ったことで名高い、秀郷(ひでさと)将軍のお子で御座いますからな。こちらからもお願い致す。いずれ技をお見せする機会も御座いましょう」
 晴明は快く千方の申し出を受け入れてくれた。
「色々とお話を伺えると思うと心が躍ります。若輩者ですが、宜しくお願いします」
 改めて挨拶を交わして、千方は晴明と別れた。

 その後、千方は時々晴明(せいめい)を訪ねた。晴明も千方を気に入った。千方は、興味の有る幻術に付いて色々と聞き、術に掛かる体験もさせて貰った。そして、他人の心を操る(すべ)手解(てほど)きを受けることもあった。    

 一方、千晴はその五日後に、郎等達を率いて坂東に向けて旅立って行った。坂東滞在は長引き、遂に武力衝突に至ったとの報せが豊地から(もたら)された。合戦(かっせん)は数度に渡り繰り返されたが、決着は付いていないようだ。思ったより敵の数が多かったのだ。或いは村岡二郎の郎等らが与力として加わっているのではないかと、豊地からの報せには書かれていた。千晴も豊地も無事だと言う。 

 千方は落ち着かなかった。直ぐにでも坂東に飛んで行きたい気持ちに駆られていた。しかし、託されたことが有る。仕事を定時に切り上げて高明(たかあきら)邸に顔を出し郎等達と話し、状況を把握することに努めた。久頼(ひさより)とも度々会い、色々話した。千晴の留守中に些細な問題も起こしたくは無かった。  
 二か月後、千晴が戻り、平義盛(たいらのよしもり)の乱行を太政官(だじょうかん)に訴え出た。その結果義盛が都に召し出され、半月後には千晴の言い分が認められて一時拘束されることとなった。

 満仲の舘である。満季が来ている。
「兄者、この前奴を狙った時のことだが」
と満中に話し掛けた。
「やめろと申したのを忘れたのか」
 満仲はそう制した。
「いや、違うのだ。あの時、あ奴が訪ねた先のことで、面白い事が分かった。訪ねた先は蓮光寺(れんこうじ)と言う天台宗の小さな寺だ」
「それがどうした?」
「その寺の坊主・蓮茂(れんも)と言うのが少々胡散臭(うさんくさ)い」
「何が?」
「将門に関わりが有るのではと思って探っている」
 満仲は怪訝な顔をした。
「将門に?」
「そうだ。蓮茂(れんも)と言う坊主だが、昔は公家(くげ)だったらしい。若い頃、何を思ったか職を辞して叡山(えいざん)(比叡山(ひえいざん))に入ったそうだ。十年ほど修行した後お山を下りた。その後、坂東に下ったと言う噂が有る。そして、再び京へ戻ったのが天慶(てんぎょう)三年頃だと言う。将門の弟の将平(まさひら)が学問の師としていた円恵(えんけい)と言う僧がおったそうじゃ。何でも元は公家(くげ)らしいと言う噂が有ったと言う。もし、円恵と蓮茂(れんも)が同一人物だとしたら、面白いとは思わぬか」 
 満仲が関心を示してくれる事を期待して、満季の言葉に力が入る。 
「元公家(くげ)だったらしいだけではな。他にも何か(あかし)でも有るのか?」
「ああ、まだ有る。将門が討たれた後、信濃(しなの)でひとりの怪しい僧が警戒の網に掛かったそうだ。頭陀袋(ずだぶくろ)に入れた大量の木管(もっかん)を持っておった。字も読めぬ下役の者が、取り上げて焚き火にくべ始めた。それを見た上役が飛んで来て叱り付けた。その僧が怪しいとすれば大事な証拠になる物。それを燃やすとは何事かと言う訳だ。尤もな話だ。だが問題はその後だった。上役の者は僧を捕らえた下役の者を追い払い、調べた後、怪しい者では無いとして解き放ってしまったのだ。後から来た別の役人が何気無く燃え差しの灰を見ると木菅の灰が一部そのままの形で残っており、『将門候』と読めたと言うのだ。後から来た者が何の燃え差しか尋ねると、足で灰を掻き散らしてしまったと言う。そして『別に怪しい者ではなかった。持っていた木管も経文(きょうもん)を写した物だった』と言い張ったそうだ。その僧は将門の身近に居て、乱の経緯を書き留めていたのではないかと思うのだ。また、僧を逃した役人は、秘かに将門に心寄せる者であったのではないかと麿は思うておるのだ」
 満仲は腕組みをして小さく頷く。
「二十年以上前のことではあるが、将門に関わりの有る者を捕らえれば、それなりの手柄とはなろうが、雲を掴むような話じゃな」
と言った。
「もし、蓮光寺を家捜しして、その木菅が出て来れば決定的な証拠となろう」
と満季は意気込む。
「何の(とが)で家捜しするのだ」
「そこじゃ。そのネタを今探しているのだ」
生半可(なまはんか)なことで家捜しをして何も出て来なかったら、寺となれば叡山(えいざん)が口を出して来るやも知れぬぞ。もし、(なれ)の読み通りだったとしても、そんな木管、とうに焼き捨てているかも知れぬ。で、あれば探しても何一つ出て来ぬ」
「しかし兄者、千晴と関わり有る坊主なのだぞ。上手く行けば一石二鳥とは思わぬか」
「口にするなと申したであろう」
 満仲は不快げに満季を(たしな)めたが、ふと表情を変えて尋ねた。
「そもそも、千晴殿と蓮茂(れんも)とやらはどう言う関係なのだ」
「近頃、時々舘に招いて、和歌や連歌(れんが)などの手解(てほど)きを受けているらしい。坂東の田舎者。貴族に上がった時、恥を掻かぬ為の準備でも始めたのではないか?」
 満仲の頬がピクリと動いた。
「引き続き調べてみよ」
 満仲の目が鋭い光を放った。
「何か尻尾を掴んでみせる」  
 満仲の反応に力を得た満季は、強い意気込みを見せて大きく頷く。
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