文字数 1,459文字
島では、身ごもりの季節がやってきた。彼らは数年に一度しか妊娠できない種族だった。
ムンダの妻も子を身ごもった。喜ぶことの筈だったのに、この頃から、妻の態度に落ち着きがなくなった。日に日に大きくなるお腹を嬉しそうに撫でるときもあれば、言葉もなく絶望的な表情で涙を流す日もある、そんな不安定な精神状態に、ムンダはなす術もなく、ただ寄りそうしかなかった。
しかしある日のことだった。ムンダは妻に、漁場としては使われない、ひと気のない狭い砂浜へと連れていかれた。
そこには前に見た簡素な筏に帆が取りつけられたものが用意されていた。そして日持ちのする食べ物や水が積まれていた。
妻はこれで島から逃げろ、と言った。
ムンダは驚き、拒んだ。それでも妻は言い張った。
それならせめて考える時間をくれと言っても、もうそんな時間はないと言うばかりだった。
それではここを去ることはできない。そう言うと、やっと事情を話してくれた。
アポディの話をしたときに、実は言っていないことがあった。
呪われた船は海を何日も漂 い続け、王と歌姫を、激しい飢えと渇きが襲った。
このとき、アポディは元王の子を身ごもっていた。それを知った王は、自ら胸を刺し、自分の死体を食べて生き延びるように言った。
はじめ、アポディは拒絶した。しかし死に瀕した王が粘り強く説得し、最後には頷いて見せるしかなかった。
安堵した王は、彼の身体を抱きかかえ涙を流すアポディに、最後に歌ってくれるように頼んだ。
涙を流しながら、途切れ途切れになりながら、それでも歌うその声は、海面を渡り、やがて近くにあった人魚たちの島までも伝わっていった。
その頃人魚たちは、ちょうど出産の季節を迎えていた。特別な栄養を必要とする彼女たちは交尾を終えているオスを食べてしまう習性を持っていたが、それはいつも阿鼻叫喚の儀式になっていた。
そこに、アポディの歌が聞こえてきた。
すると不思議なことに、オスたちがその歌にうっとりとし始め、死を穏やかに迎え始めた。
人魚たちは歌の主を探し、やがて船で漂っていたアポディを見つけた。王の死体に取り縋り、遺言に従って生きながらえていた彼女にはすでにまともな思考などなく、救いを求めるように、ただ、歌い続けていた。
歌の効果を買われたから、彼女は人魚たちに受け入れられたのだ。また、出産のためにオスが犠牲になった状態だったことからも、仲間と見なしやすかったのかもしれない。
腹がもっと大きくなる頃、人魚たちの意識は、出産のことしか考えられなくなる。そうなれば、ムンダも食べられてしまう。妻である自分でさえも、そのときはおそらくまともな思考はできなくなっている。助けることはおろか、食べてしまうかもしれない。
それに耐えられないので、今のうちに逃げて欲しいと、妻は哀願した。人魚のメスもオスも、本来は恋や愛という感情は持っていない。
けれど、人間の子孫である自分と、人間のムンダにはそれがあった。だから、死んでほしくないという想いが芽生えてしまった。だから、仲間たちにも内緒で、筏を用意したのだと。
切羽詰まった涙ながらの話は、嘘とは思えなかった。
人魚の姿になった妻は泳いで、島から離れる海流まで筏を押してくれた。最後に何度も口づけを交わし、そしてムンダは島を去った。
何日か漂流したあと、通りがかった船に拾われ、カプ・ゥキャンに着いた。
それ以来、ムンダはこの港に留まり、あの島に戻る方法を探している。場所もわからない、子供が無事かもわからない。その島を。
ムンダの妻も子を身ごもった。喜ぶことの筈だったのに、この頃から、妻の態度に落ち着きがなくなった。日に日に大きくなるお腹を嬉しそうに撫でるときもあれば、言葉もなく絶望的な表情で涙を流す日もある、そんな不安定な精神状態に、ムンダはなす術もなく、ただ寄りそうしかなかった。
しかしある日のことだった。ムンダは妻に、漁場としては使われない、ひと気のない狭い砂浜へと連れていかれた。
そこには前に見た簡素な筏に帆が取りつけられたものが用意されていた。そして日持ちのする食べ物や水が積まれていた。
妻はこれで島から逃げろ、と言った。
ムンダは驚き、拒んだ。それでも妻は言い張った。
それならせめて考える時間をくれと言っても、もうそんな時間はないと言うばかりだった。
それではここを去ることはできない。そう言うと、やっと事情を話してくれた。
アポディの話をしたときに、実は言っていないことがあった。
呪われた船は海を何日も
このとき、アポディは元王の子を身ごもっていた。それを知った王は、自ら胸を刺し、自分の死体を食べて生き延びるように言った。
はじめ、アポディは拒絶した。しかし死に瀕した王が粘り強く説得し、最後には頷いて見せるしかなかった。
安堵した王は、彼の身体を抱きかかえ涙を流すアポディに、最後に歌ってくれるように頼んだ。
涙を流しながら、途切れ途切れになりながら、それでも歌うその声は、海面を渡り、やがて近くにあった人魚たちの島までも伝わっていった。
その頃人魚たちは、ちょうど出産の季節を迎えていた。特別な栄養を必要とする彼女たちは交尾を終えているオスを食べてしまう習性を持っていたが、それはいつも阿鼻叫喚の儀式になっていた。
そこに、アポディの歌が聞こえてきた。
すると不思議なことに、オスたちがその歌にうっとりとし始め、死を穏やかに迎え始めた。
人魚たちは歌の主を探し、やがて船で漂っていたアポディを見つけた。王の死体に取り縋り、遺言に従って生きながらえていた彼女にはすでにまともな思考などなく、救いを求めるように、ただ、歌い続けていた。
歌の効果を買われたから、彼女は人魚たちに受け入れられたのだ。また、出産のためにオスが犠牲になった状態だったことからも、仲間と見なしやすかったのかもしれない。
腹がもっと大きくなる頃、人魚たちの意識は、出産のことしか考えられなくなる。そうなれば、ムンダも食べられてしまう。妻である自分でさえも、そのときはおそらくまともな思考はできなくなっている。助けることはおろか、食べてしまうかもしれない。
それに耐えられないので、今のうちに逃げて欲しいと、妻は哀願した。人魚のメスもオスも、本来は恋や愛という感情は持っていない。
けれど、人間の子孫である自分と、人間のムンダにはそれがあった。だから、死んでほしくないという想いが芽生えてしまった。だから、仲間たちにも内緒で、筏を用意したのだと。
切羽詰まった涙ながらの話は、嘘とは思えなかった。
人魚の姿になった妻は泳いで、島から離れる海流まで筏を押してくれた。最後に何度も口づけを交わし、そしてムンダは島を去った。
何日か漂流したあと、通りがかった船に拾われ、カプ・ゥキャンに着いた。
それ以来、ムンダはこの港に留まり、あの島に戻る方法を探している。場所もわからない、子供が無事かもわからない。その島を。