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次の日、朝早く起きると顔を洗って身体も濡れた布で拭き、昨夜のドレスを着てさっそく親子で船に向かった。
実のところ、シルフィよりむしろティムのほうが緊張しているようだった。
朝食もろくに食べなかったし、道すがら何度も何度も唾を飲み込んでは、帽子の下の髪のウェーブを神経質に撫でつけている。
船に乗り込む仕事につけるというのは、この界隈からすれば信じられないほどの好機会なのだ。
この世界を形成している各大陸は、海と大山脈によって分断されている。
ほとんどの山脈は超えることすら難しく、結局は人も物も、大陸を跨がる移動をするには船に頼るしかない。
自然、景気のいい商売の話も多く、さらに有能な人材はたとえ低い身分出身でもどんどん出世していくことも可能な業界と言われている。
つまりは大望を抱くこともできるわけで、その見込みに完全に飲まれてしまっていたのだ。
一方シルフィはといえば、いつもの路上物売りの仕事を休めるうえ、パリッとしたドレスを着て、大満足だった。
いつもボサボサの髪は綺麗にとかされ、ホリーが余り布で急いで作ってくれたリボンまでつけていた。こんな格好をさせてもらったのだ、楽しいことが待っているに違いなかった。
港に着くと、昨夜の水夫に教えてもらった船を探す。
デヒティネ。
クリッパーと呼ばれる、快速が売りの種類の帆船だ。特に茶の運搬で有名なので、ティー・クリッパーとも呼ばれている。
グレート・ティー・レースという有名な競争でも、何度も一番乗りを果たした船だ。ティムも賭けて儲けたことがあったらしい。
朝霧がまだ残るなか、なんとか見つけた船は、想像していたよりもずっと圧倒的だった。
あまり離れていない沖合に停泊しているので、その姿はよく見える。
装飾があちこちに施された、細身の優美なカーヴを描く船体に、3本マストが堂々と空に向かってそそり立つ。それはまるで、尖塔を抱えた城のようですらあった。今は白く大きな帆を畳んであるが、すべてを
荷を積んだボートがこちらに向かってやって来たので、指示をしていた水夫に声をかける。話が通っていたらしく、頷くと甲板にいた仲間に、手にしたカンテラでなにかの合図をした。
「ちょっと待ってろ」
それだけ言って、自分はまた作業に戻るってしまった。
ここに来てようやく、シルフィも緊張してきた。
こんな綺麗で立派な船に、もしかしたら乗れるのかもしれない。その実感が、急に湧いてきたのだ。
そうなると、父親と同じような反応にならざるを得ない。つまりは、何度も何度も、生唾を飲み込む羽目になっていた。
忙しそうに行き交う人々のなかで、親子でそんな風に所在なくただ待っている時間は、ひどく長く感じる。
思わず、幼かった頃のように父親の手を掴むと、強く握り返してくれる。ゴツゴツした、節くれだらけの無骨な手の硬さが、こういう時はひどく頼もしく思えた。