文字数 1,180文字
船首には、二艘の曳航 ボートが繋がれていた。
それぞれに屈強な漕ぎ手が乗っていて、懸命に櫂を漕いでいる。デヒティネはそれに引かれて、ゆっくり静かに港の外を目ざして進む。
帆はまだ張らない。
多くの帆船が停泊しているこの場所はとてもたてこんでいるので、この場所から帆走を始めてしまうと、小回りがきかないクリッパー船は、衝突事故を起こしかねないからだ。
今の穏やかに進んでいるうちにと、シルフィたちは急いでマストを登った。
操帆手たちはすでに帆桁の各配置につき、帆を巻いてあったガスケットと呼ばれる紐をすぐにほどけるように準備し始めていた。
船に当たる水の音、ボートの舵取りが漕ぎ手に合図する声。霧がたちこめるなかで聞こえるそれらは、どこか現実味がない。
慣れ親しんだはずの街も、ぼんやりとした輪郭が見えるだけで、今となってはまるで書き割りのようにも感じる。
初めて味わう旅立ちの感情は、シルフィにとってはこんな風だった。
寂しい気持ちとわくわくする気持ち、さらに、思っていたよりあっさりと新世界へと飛び出していくあっけなさに、感情の整理が追いつかない。
シルフィはその混乱を紛らわすように、マストのてっぺんに目をやった。そこには、風の神クエルウウンの護符のついた風見が取りつけてある。それをいたずらするように、くるくると周囲を回っているのは小さなネズミの姿をした風だった。
おなじネズミでも、街の路地裏に吹く風は灰色の薄汚れた姿をしているというのに、いま見えるのは、真っ白な美しい毛並みをした、軽やかな動きの姿だった。
こんなにも環境によって姿が違ってくるとは、今まで知らなかった。
やがて、デヒティネは船が密集していたところを抜けた。
タグボートのロープがはずされ、漕ぎ手たちが帽子のつばに手をやり、別れの合図をした。
甲板のケリーソンはそれに返礼をすると、操帆手たちに指示を出す。帆を少しずつ展開していき、ゲイルがまだ控えめに呼ぶ風を受けて、デヒティネは自走し始めた。
帆桁の向きの調整、展げる帆の順番、舵取りの指示。合図と指示のために怒鳴り合う声が、甲板に一斉に響き始めた。船上は一気に活気づき、船首像が気合を入れる意気揚々とした声が上空まで響いた。
シルフィは一度だけ、後方を振り返った。
生まれ育った街も、活気づいた港も、いまや灰色の靄に覆われてしまっている。かろうじて見えるのは停泊している船のマストの林の、上部分のシルエットだけだ。
まるで悪い魔法に閉じ込められた世界から、逃げることができたみたいだった。そして、そう感じた自分に、すこし後ろめたさを感じた。
しかし、そんなシルフィのちっぽけな感情など、どんどん後方に置いてきぼりになるようなスピードで、デヒティネはもう進んでいた。
ゲイルが風を呼び込み始めている。シルフィもすぐにそれを見習った。
それぞれに屈強な漕ぎ手が乗っていて、懸命に櫂を漕いでいる。デヒティネはそれに引かれて、ゆっくり静かに港の外を目ざして進む。
帆はまだ張らない。
多くの帆船が停泊しているこの場所はとてもたてこんでいるので、この場所から帆走を始めてしまうと、小回りがきかないクリッパー船は、衝突事故を起こしかねないからだ。
今の穏やかに進んでいるうちにと、シルフィたちは急いでマストを登った。
操帆手たちはすでに帆桁の各配置につき、帆を巻いてあったガスケットと呼ばれる紐をすぐにほどけるように準備し始めていた。
船に当たる水の音、ボートの舵取りが漕ぎ手に合図する声。霧がたちこめるなかで聞こえるそれらは、どこか現実味がない。
慣れ親しんだはずの街も、ぼんやりとした輪郭が見えるだけで、今となってはまるで書き割りのようにも感じる。
初めて味わう旅立ちの感情は、シルフィにとってはこんな風だった。
寂しい気持ちとわくわくする気持ち、さらに、思っていたよりあっさりと新世界へと飛び出していくあっけなさに、感情の整理が追いつかない。
シルフィはその混乱を紛らわすように、マストのてっぺんに目をやった。そこには、風の神クエルウウンの護符のついた風見が取りつけてある。それをいたずらするように、くるくると周囲を回っているのは小さなネズミの姿をした風だった。
おなじネズミでも、街の路地裏に吹く風は灰色の薄汚れた姿をしているというのに、いま見えるのは、真っ白な美しい毛並みをした、軽やかな動きの姿だった。
こんなにも環境によって姿が違ってくるとは、今まで知らなかった。
やがて、デヒティネは船が密集していたところを抜けた。
タグボートのロープがはずされ、漕ぎ手たちが帽子のつばに手をやり、別れの合図をした。
甲板のケリーソンはそれに返礼をすると、操帆手たちに指示を出す。帆を少しずつ展開していき、ゲイルがまだ控えめに呼ぶ風を受けて、デヒティネは自走し始めた。
帆桁の向きの調整、展げる帆の順番、舵取りの指示。合図と指示のために怒鳴り合う声が、甲板に一斉に響き始めた。船上は一気に活気づき、船首像が気合を入れる意気揚々とした声が上空まで響いた。
シルフィは一度だけ、後方を振り返った。
生まれ育った街も、活気づいた港も、いまや灰色の靄に覆われてしまっている。かろうじて見えるのは停泊している船のマストの林の、上部分のシルエットだけだ。
まるで悪い魔法に閉じ込められた世界から、逃げることができたみたいだった。そして、そう感じた自分に、すこし後ろめたさを感じた。
しかし、そんなシルフィのちっぽけな感情など、どんどん後方に置いてきぼりになるようなスピードで、デヒティネはもう進んでいた。
ゲイルが風を呼び込み始めている。シルフィもすぐにそれを見習った。