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 絵は主に、この街の名所を描いたもののようだった。
 華やかなドレスを着た女性と腕を組んだ紳士が入っていく壮麗な建物。おそらく劇場かなにかだろう。
 それから、誰かの豪奢な邸宅とその庭。
 アーンバラにあるものと似たマアアルンの大神殿。
 繊細な色遣いで、まるで本物を見ているような陰影を感じる。
 しかし、それらはアーンバラで見慣れていたのと根本的には同じもので、絵の技術には感心しても、描かれている対象そのものには、シルフィはあまり心惹かれなかった。
 それで結局は興味をなくし、場を離れようとしたときだった。
 ふと、壁に立てかけた大きな絵の奥に押しやられていた小さな風景画が目に入った。
 それは、何本もの枯れ木が水中に立つ、不思議な湖の絵だった。

「”木音(きおん)の森”だよ。水が動くと、木が鳴るんだ」

 売り子兼画家らしい、ベンチの青年が声をかけてきた。
 手にしているスケッチブックの開いたページを覗いてみると、描きかけの若い女性の顔があった。風景専門というわけでもないらしい。もしかしたら恋する相手を描いていたのかもしれない。

「森って呼ぶんだ? 湖じゃなくて?」

「うーん。言われてみりゃ、そうかもな。でもみんなはそう呼んでる。もともとは生きた森だったっていうから、そのせいかな」

「へえ」

「しかしあんたもずいぶん渋いのに目をつけたな」

「なんだか目を引いたんだ」

「そうか。絵があんたを呼んだのかもな。俺もこれは珍しく、描きたくて描いたもんだったからな、縁のある人に売れたら嬉しいよ。どうだい、買ってみないか。そういうことなら、安くしておくよ」

 値段を訊いたらたしかにそれほど高いものでもなかったので、シルフィは素直にその絵を買うと、部屋に戻った。
 ベッド脇にある壁際の小さなテーブルに食事を置き、絵を壁に立てかけると、それを眺めながら腹を満たしていた。途中でドアがノックされ、開けるとゲイルが立っていた。

「俺はこれから居酒屋に食事に行くが、おまえどうする?」

「あ、もう食べてる」

 そう言うと、ふむ、と頷いた。

「色々と天候の情報なんかも手に入るから、一緒にどうかと思ったんだけどな。まあいいか」

「うん。誘ってくれてありがと」

「じゃあな」

 ゲイルを見送り、食事の残りを平らげると、とたんにやることがなくなった。
 酒も女も賭けもやらないシルフィには、こういった街では、他の連中のように時間を潰す手立てがない。どうしたものかと窓から外を眺めると、また市場の屋根が目に入った。
 まるで誘われているような気になったし、色々な珍しいものが集まってきているに違いない。覗きにいってみることにした。
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