- 1 - 見知らぬ船影
文字数 1,906文字
グゥリシア大陸を離れたデヒティネは、それまでのペースのほぼ倍の速さで東へと向かった。
ライバル船レッドヘアーの存在がわかった以上、急ぐ必要があるからだ。
去年、東の国に先に着かれ、目ぼしい茶商の品物を洗いざらい買い占められてしまったことは、まだ生々しい苦みを伴ってみんなの記憶に残っている。
そのおかげで、買い付けに奔走した時間のぶん本国へ帰るのが遅れ、一番乗りを譲る羽目になってしまったのだ。
今回、レオマヤで氷を先に売られたことは、そのトラウマをまざまざと蘇らせた。あの轍は二度と踏みたくない。
そんなわけで、フーミダーラ大陸の最南端の港、オリ・トゥレイムカンに着くなり気が急いたが、さいわい、ジェラニの縁で割安に仕入れた染料はかなり質が良く、あっというまに捌けた。
値も高くついたので、新しく積み込む薬草を仕入れたあとも、かなりの金貨が手元に残った。
そんなことは初めての経験で、ケリーソンはそれを、自分しか開けることのできない船長室の金庫に大事にしまっておいた。
床下に取りつけられた隠し金庫で、上から絨毯を敷き、さらに大テーブルを置いてあるので、存在じたいがそもそも誰にも知られていなかった。
途中で寄港しなくても済むように、補給もたっぷりとし、すぐに出発する。
そうなると船員たちの息抜きも、食材の新鮮さもままならなくなるのはわかっていたが、誰もが今の状況を理解していた。だから、多少ボヤきはしても、本気で不満を言う者はいなかった。
ここから先は、少し南に下れば、
気をつけなければならないのは突然の嵐と、この風を利用する貿易船が頻繁に行き来しているので、衝突しないようにすることだけだった。
ここを予定よりも早く航行することができ、いよいよ、目的地であるフォントゥ大陸が波の向こうにうっすらと見えてくるようになってようやく、デヒティネにはゆとりが戻ってきた。
沿岸に近づいてくると、あたりには大小さまざまな島がある。
そうなると、あまりスピードをあげることはできない。
座礁や、行き交う船との衝突などの危険が高まるからだ。
そのためデヒティネは、ここからは帆を半分以上畳み、のろのろと慎重に進むしかなかった。
一度スピードに乗った航海をしたあとは、これはかなりイライラする状態だった。
そこで気晴らしでもしようと誰が言い出したか、手の空いた者たちでゲームを始めようということになった。
シルフィも檣楼から降りているタイミングだったので誘われ、加わっていた。
ルールは、立てかけた木の板に印を描き、決まった距離からそこに小石を投げ、当てるというものだった。
形の違うそれぞれのマークに点数がついていて、五回投げて合計点数を一番多く取った者が勝つ。
退屈しのぎにはもってこいで、これにいつも参加する人間は、上陸したときに具合のいい小石を拾ってきておくのが習慣になっているほどだった。
遊びとはいえ、実はけっこうみんな真剣だ。
なにしろ、賭けにもなっているのだ。
参加料代わりにそれぞれ私物を差し出し、勝った者が総取りするのだが、種類がなかなか豊富なのだ。
タバコ、軟膏、胃薬、アクセサリー……。
金は意外と出ない。
船のなかで金銭をやり取りしたところで、使うところがないからだ。
明日は海の藻屑となるかもしれない水夫稼業、目先の楽しみや便利さがなによりも重宝がられるのだった。
シルフィも手持ちの銀貨がけっこう貯まっていたが、出したのは持っているなかで一番日持ちのする菓子だった。
干した果物に砂糖がけされたもので、コックのブルーノに高く売りつけられるというので、なかなかの目玉扱いされている。上級船員に出すデザートの材料にこのところ困っているのだ。
ちなみにこの場合の、『高く売りつける』というのは、『上級船員に出す肉の切れ端と取り換えてもらう』ことを意味する。
由緒正しき経済活動、物々交換というわけだ。
「ああっ!」
リッチーの情けない声が甲板に響いた。
最後の一投、力みすぎたのか石は板にすら当たらず、ずっと先をコロコロと転がっていった。
一位争いをしていたシルフィとピーティーは歓声をあげる。これであとは一騎打ちになることが決まった。
「おっし、見てろよ」
ピーティーは肩をぐるぐると回し、投げる位置についた。
ゲームの参加者も、見物人たちも、固唾を飲んでそれを見つめていた。
だが、フォアマストの檣楼にいる見張りの声が、それを邪魔した。
「三時方向に船影! こちらに向かってきているようです!」