- 2 - 木音の森
文字数 1,142文字
次の日の早朝、ドンドンドン、とドアを強く叩く音で目が覚めた。約束通りに迎えに来てくれたティシャをいったん部屋に入れ、急いで着換える。
「歩きやすい服装にしなよ。岩場や森も通る。帽子もちゃんとかぶって」
「帽子?」
着換える動きがつい止まる。そんなものは持ってなかった。
「途中の雑貨屋で買えばいい」
それを聞いたら安心した。
服装は結局、船で着ているものと同じ、シャツとズボンの上下にした。洗濯に出していないものが一式だけ手元に残っていた。ドレスの類はそもそも持ってきていない。
通りに出て、近くの雑貨屋に寄り、虫よけにいいというヴェールつきの帽子を買う。ついでに飲み物と、万が一のことがあったとき用に携帯食を買ってカバンに入れた。昼食は途中の屋台で、芋の粉を練ったもので具を包んで焼いたものを買った。それをすべて肩かけカバンに詰め込む。
ティシャも同じものを買い、背中に背負った袋に入れた。
街を出て背の低い草が一面に生えている小高い丘をしばらく登ってから振り返ると、さっきまでいたごちゃごちゃした街並みがよく見えた。
街の中心の市場の白い屋根はあいかわらず光り輝き、その向こうに見える海に負けず劣らずの存在感を放っている。港に停泊した船はよく躾けられた馬のように行儀よく並び、そのなかにはデヒティネも見えた。
すこし視線をずらし、街の外れの森へと目を向けると、違和感のある一画があった。
原生林が伐られていて、そこに唐突にトライゴズ様式の庭が造られていた。奥には石造りの壮大な邸宅。宿の前で売ってた絵にも描かれていた建物だ。
しかし、風景を切り取った絵で見たときは気づかなかったが、ただ大仰なだけで、周りの景色とまったく調和していない。
「あれ、すごいね」
指さすと、ティシャがしかめっ面をした。同じように、あまりあれを気に入ってないようだ。
「ああ、ゴールドの屋敷だね。港の働き手や、市場外の露店の元締めやってる。この街じゃ名士扱いさ。頭が上がらないヤツは大勢いる」
「そうなんだ。すごいね」
そういえば、市場の外でもめていたときも、ゴールド氏、という名前を言ってたな、と急に思い出した。
ただ、アーンバラでもそういった元締めは何人もいたし、なかなかいい暮らしをしていたのも確かだ。しかしあそこまでの豪邸を建てられる者はいなかったように思う。この地の稼ぎはそうとうにいいらしい。
「ただねえ、謎も多いんだ。腹心の部下数人以外には、絶対に姿を見せないらしい」
「なんで?」
「なんでだろうね。前にすごい事故に遭って、人前に出られる姿じゃないからなんて噂もあるけどね」
不思議な人間もいるものだ。
シルフィはそんなことを思いながら、軽い足取りでどんどん斜面を登っていくティシャの背を急いで追った。