文字数 1,472文字

 封のしてある木箱のいくつかに見当をつけ、匂いを嗅ぎながら開けていくと、三箱めにようやく目当てのものがあった。
 油紙で厳重に包んであるそれを両手で抱え、甲板へと駆けあがる。
 鱗の女性の足元にその包みを置くと、開いて見せた。
 なかには、大きなベーコンの塊が入っていた。備品管理担当のトバイアスが隠していると、ブルーノが愚痴っていた品物だ。
 そばにしゃがみ、腰の短剣をあまりしっかりとは握らず、ゆっくりと鞘から抜く。それで攻撃するつもりはないことを示すためだ。
 そこで相手も興奮したりはしなかったので、やはり交渉はできそうだと確信した。
 表面を薄く削ぎ、すぐに短剣はしまう。差し出して、食べてみるよう促した。相手は受け取りはしたが、口にはしない。
 それで、また短剣でもうひとつ同じものを作ると、自分で食べてみせた。それで毒ではないとわかったのか、用心深くシルフィから視線をはずさないまま、端をすこしだけ噛んだ。
 それが、おいしかったらしい。
 すぐに残りもパクパクと食べてしまった。

「ウマイ?」

 訊くと、おかわりが欲しいのか、手を差し出した。
 さっきよりすこし厚めに削いで、渡す前に確かめる。

「ニンゲンノカワリ、コレ。デキル?モッテル、ゼンブ、アゲル。ニンゲン、タベナイ、デキル?」

 相手は迷っているようだった。ただ、シルフィの手のなかのものを、よだれでも垂らしそうな様子で見つめているのをみると、もっと押せば交渉成立しそうだった。
 シルフィは切れはしを渡し、相手がそれを食べているあいだに、また船倉へと駆け込んだ。
 箱から残りの二つのベーコンの包みを見つける。それですべてのようだった。
 トバイアスに後でしこたま文句を言われるだろうが、乗組員が食べられるよりはマシだと説得すれば、さすがに黙るだろう。シルフィは迷わず、それを抱えて甲板まで持ってあがった。
 その量なら、相手は満足したようだった。
 手にしていたものを食べ終わると、霧のなかに響いているものとは違う音階の歌を歌い始めた。
 すると、他の声はすこしずつ消えていった。
 どうやら、取引は成立したようだ。
 相手はベーコンの包みを取ると、海へとすべて投げ込んだ。
 水面からまず細い腕が何本も出てきてそれを受け取ったが、今度は身体も出してきた。みな、今甲板にいる者と似た容姿をしていたが、下半身が魚のようになっている。
 その姿を見てようやく、相手の正体がわかった。
 人魚、またはセイレーン。
 そう呼ばれる伝説の魔物たちだ。
 歌声で水夫たちを惑わし、海へと引きずり込む。そういう話だった。
 だが、ベーコンのおかげで今回は見逃してくれそうだ。周りでずっと響いていた歌声はやみ、霧もすこしずつだが晴れてきていた。

「アリガトウ」

 相手はそう言うと、人間で言う泣き笑いのような表情をした。
 なにを思ったか、腕から虹色の鱗を三枚剥がし、シルフィにくれる。
 お礼か、記念品のつもりなのだろうか。
 なんとなく自分もお返しをしなくてはいけない気持ちになり、短剣で髪をひと房切り取って紐で結び、渡す。
 相手はそれを握ると、一気に海へと飛び込んだ。
 思わず船べりに駆け寄り、その落下した海面を見つめていると、一度だけ跳ね上がり、こちらに手を振ってみせた。
 その下半身は、仲間たちと同じような魚のものだった。足のある姿は、変身していたものらしい。
 そしてそれっきり、彼らはみんな、海中へと姿を消した。
 霧はすっかり晴れ、ネズミたちの血の跡も消えた波間は、まるでなにごともなかったように、陽の光を受けてきらきらと輝いていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み