文字数 2,026文字
長い話を語り終えると、ムンダはじっとシルフィを見つめた。
「巻毛の人魚に会ったと言ってたな。元気そうだったか」
「うん。人間の代わりにベーコンあげたら、お礼まで言ってくれたよ」
「そうか……。そうかあ……」
長い息を吐きながら、椅子の背に身体を預けた。
「きっと、人間を食べずに済んで嬉しかったんだな。やっぱり、俺の家族だ」
満足そうに呟いたあと、手のひらをシルフィへと伸ばした。
「実は俺、あの島に戻る船を買う金を貯めてるんだ。ちょっとでもいい。援助してくれないか」
金をくれ、ということらしい。
「でも、あんた、帰ったら食べられるちまうんだろ」
「それでもいい」
「えぇ!?本当かよ」
驚くシルフィに、ムンダは両手を開いて、自分自身の惨めな姿を示すようにした。
「今の俺を見てみろよ。ただ、生きてるだけだ。それなら妻や娘の役に立って死にたい」
その思い詰めたような真剣さに、ついコインを一枚、渡してしまった。
ムンダは両手を握って、何度も礼を言った。席を立ちあがり、また他の席へと寄っていく。その姿を見つめていると、テーブルを片付けにきた給仕の娘が言った。
「あんた、あのじいさんのホラ話に、もしかしてお金払っちまったのかい」
そう言われて初めて、その可能性があったことに気づいた。ムンダの勢いに呑まれ、ただただ話を真に受けてしまった。
「ホラ話だったんだ」
騙された、という苦々しい気持ちに顔を顰めながら言うと、娘は気の毒そうに頷いた。
「当たり前だろ。人魚なんて、いるわけない。騙されちゃダメだよ」
その言葉に、今度は娘の言葉を信じていいのかどうか、わからなくなった。
「でも、あたしだって、人魚を見たんだ」
シルフィの言葉に、娘は目をむいた。
「じいさんの話がホントだったってのかい」
頷いたが、娘は半信半疑のようだ。仕事柄、酔っ払った水夫たちのホラ話を山ほど聞かされ続けて、簡単に信じるのはやめてしまっているように見えた。
それで、懐にぶら下げていた革袋を出すと、布の切れ端に包んであった虹色の鱗をそっと取り出し、手のひらに載せて見せた。
娘は興味津々でそれを覗き込む。
「これ。人魚が自分のをくれたんだ」
「たしかに、見たことないね。そんな綺麗な鱗。じゃあ、ホントにいるんだ」
「歌を歌ってたよ。それにじいさんの恋人だった人魚は、大きな島にある王国から、外律魔法の呪いで追放された歌姫の子孫なんだって」
その話に、娘の表情がまた半信半疑のものに戻った。
「その歌姫の話は知ってるよ。王国のあった島がその後沈んじまったこともね」
「へえ。なんで知ってるの」
「有名な古い歌にあるのさ。今ポーチで歌ってる連中に、リクエストしてみたらいい、すぐに歌ってくれるよ。でも昔々のお話だろ。子孫がどうの、って言われてもねえ」
この娘はどうやら、かなりの現実主義者らしい。さらに言葉を続けた。
「一気に話が怪しくなったねえ。あのじいさん、何度だってその歌聞いてるよ。勝手に色んな話をくっつけて、それらしくしたんじゃないの」
「ううーん……」
聞けば聞くほど、あの話のどこが本当でどこがホラなのか、わからなくなってきた。だから、唸るしかない。
「もしかして、あんたもホラ話仲間なのかい」
娘に疑いの目を向けられて、あわてて否定する。
「違うよ。ホントに見たんだって。だから、あのじいさんの話も信じたんだよ。人魚のところに戻る船のお金を貯めてる、って……」
「貯まるわけないよ。毎日飲んだくれて、金なんて全部酒代だよ」
娘は吐き捨てるように言う。
「そうなんだ……」
それを聞いて、がっかりしてしまった。
「これに懲りたら、簡単に相手を信じて金渡すのは、気をつけなよ」
娘はそうアドバイスすると、テーブルの果物屑を盆に載せて持っていった。
シルフィはもう、どう思えばいいのか、わからなくなってしまった。どうやら世界は、シルフィが思っていたより、ややこしくできているらしい。
ポーチの音楽は、まだ続いていた。
今流れているのは、シルフィも知っている、望郷の歌だった。泣きそうな顔で耳を傾けている人間のなかに、あの老人もいた。目が赤い。
あの話が本当だったのなら、彼にとっての故郷は、もう、人魚の島になっているのだろうか。
そんな風に思ったが、手元を見ると、ちゃっかりいつのまにか強い酒の入った瓶を握っている。
その姿に、ふと、シルフィは自分の父親のティムを思い出した。賭けに負けても、明日は必ず勝つさと大口を叩いて、強い酒を飲んでなにもかも忘れてしまう、何度も見た姿。
ああ、と思った。
老人がいつの日か、人魚の島に帰りたいのは本気なのかもしれない。
でもたぶん……。
その日がやってくることはないのだろう。
いや、それとも……。
いつの日か……もしかして……。
なけなしのコインを払ったのだ。投資がいつかじいさんの役に立つ、そんな夢をシルフィが信じたって、誰も文句は言えないだろう。
[第二章 歌姫たちの海 了]
「巻毛の人魚に会ったと言ってたな。元気そうだったか」
「うん。人間の代わりにベーコンあげたら、お礼まで言ってくれたよ」
「そうか……。そうかあ……」
長い息を吐きながら、椅子の背に身体を預けた。
「きっと、人間を食べずに済んで嬉しかったんだな。やっぱり、俺の家族だ」
満足そうに呟いたあと、手のひらをシルフィへと伸ばした。
「実は俺、あの島に戻る船を買う金を貯めてるんだ。ちょっとでもいい。援助してくれないか」
金をくれ、ということらしい。
「でも、あんた、帰ったら食べられるちまうんだろ」
「それでもいい」
「えぇ!?本当かよ」
驚くシルフィに、ムンダは両手を開いて、自分自身の惨めな姿を示すようにした。
「今の俺を見てみろよ。ただ、生きてるだけだ。それなら妻や娘の役に立って死にたい」
その思い詰めたような真剣さに、ついコインを一枚、渡してしまった。
ムンダは両手を握って、何度も礼を言った。席を立ちあがり、また他の席へと寄っていく。その姿を見つめていると、テーブルを片付けにきた給仕の娘が言った。
「あんた、あのじいさんのホラ話に、もしかしてお金払っちまったのかい」
そう言われて初めて、その可能性があったことに気づいた。ムンダの勢いに呑まれ、ただただ話を真に受けてしまった。
「ホラ話だったんだ」
騙された、という苦々しい気持ちに顔を顰めながら言うと、娘は気の毒そうに頷いた。
「当たり前だろ。人魚なんて、いるわけない。騙されちゃダメだよ」
その言葉に、今度は娘の言葉を信じていいのかどうか、わからなくなった。
「でも、あたしだって、人魚を見たんだ」
シルフィの言葉に、娘は目をむいた。
「じいさんの話がホントだったってのかい」
頷いたが、娘は半信半疑のようだ。仕事柄、酔っ払った水夫たちのホラ話を山ほど聞かされ続けて、簡単に信じるのはやめてしまっているように見えた。
それで、懐にぶら下げていた革袋を出すと、布の切れ端に包んであった虹色の鱗をそっと取り出し、手のひらに載せて見せた。
娘は興味津々でそれを覗き込む。
「これ。人魚が自分のをくれたんだ」
「たしかに、見たことないね。そんな綺麗な鱗。じゃあ、ホントにいるんだ」
「歌を歌ってたよ。それにじいさんの恋人だった人魚は、大きな島にある王国から、外律魔法の呪いで追放された歌姫の子孫なんだって」
その話に、娘の表情がまた半信半疑のものに戻った。
「その歌姫の話は知ってるよ。王国のあった島がその後沈んじまったこともね」
「へえ。なんで知ってるの」
「有名な古い歌にあるのさ。今ポーチで歌ってる連中に、リクエストしてみたらいい、すぐに歌ってくれるよ。でも昔々のお話だろ。子孫がどうの、って言われてもねえ」
この娘はどうやら、かなりの現実主義者らしい。さらに言葉を続けた。
「一気に話が怪しくなったねえ。あのじいさん、何度だってその歌聞いてるよ。勝手に色んな話をくっつけて、それらしくしたんじゃないの」
「ううーん……」
聞けば聞くほど、あの話のどこが本当でどこがホラなのか、わからなくなってきた。だから、唸るしかない。
「もしかして、あんたもホラ話仲間なのかい」
娘に疑いの目を向けられて、あわてて否定する。
「違うよ。ホントに見たんだって。だから、あのじいさんの話も信じたんだよ。人魚のところに戻る船のお金を貯めてる、って……」
「貯まるわけないよ。毎日飲んだくれて、金なんて全部酒代だよ」
娘は吐き捨てるように言う。
「そうなんだ……」
それを聞いて、がっかりしてしまった。
「これに懲りたら、簡単に相手を信じて金渡すのは、気をつけなよ」
娘はそうアドバイスすると、テーブルの果物屑を盆に載せて持っていった。
シルフィはもう、どう思えばいいのか、わからなくなってしまった。どうやら世界は、シルフィが思っていたより、ややこしくできているらしい。
ポーチの音楽は、まだ続いていた。
今流れているのは、シルフィも知っている、望郷の歌だった。泣きそうな顔で耳を傾けている人間のなかに、あの老人もいた。目が赤い。
あの話が本当だったのなら、彼にとっての故郷は、もう、人魚の島になっているのだろうか。
そんな風に思ったが、手元を見ると、ちゃっかりいつのまにか強い酒の入った瓶を握っている。
その姿に、ふと、シルフィは自分の父親のティムを思い出した。賭けに負けても、明日は必ず勝つさと大口を叩いて、強い酒を飲んでなにもかも忘れてしまう、何度も見た姿。
ああ、と思った。
老人がいつの日か、人魚の島に帰りたいのは本気なのかもしれない。
でもたぶん……。
その日がやってくることはないのだろう。
いや、それとも……。
いつの日か……もしかして……。
なけなしのコインを払ったのだ。投資がいつかじいさんの役に立つ、そんな夢をシルフィが信じたって、誰も文句は言えないだろう。
[第二章 歌姫たちの海 了]