文字数 1,113文字

 次の日は珍しく、ホリーの機嫌がよかった。
 久しぶりに、豚肉が手に入ったからだ。つぎ当ての終わった品物を届けにいった帰り、投げ売りにたまたま行き当たったらしい。
 ここのところずっと麦ふすまのお粥(ポリッジ)ばかりで、肉なんてかなり久しぶりだ。
 たいした量でもなかったが、まずは半分を日持ちするように丁寧に塩漬けにし、残りを野菜と一緒に煮込んだ。
 いい匂いが鍋からたちはじめたあたりで、シルフィに言う。

「父ちゃんを呼んでおいで。きっと金のリンゴ亭にいるから」

 金のリンゴ亭は、港のすぐ近くにある飲み屋の名前だ。
 仕事がないとき、ティムはたいていそこに居座っていて、下らない噂話やうさん臭い賭けをしながら仲間と飲んでいる。

「ごちそうが待ってる、って言うんだよ」

 うなずきながら、シルフィはしかめっ面をした。
 酒臭い男たちの、野卑なジョークとタガの外れた大声で溢れる店。十二歳をやっと超えた年齢の少女が行って、楽しい場所ではない。
 狭い路地を抜けて、渋々ながらな足どりで港方向へ向かう。
 途中で何度も、着飾った女を連れた酔っ払いの水夫とすれ違った。羽振りの良い船が停泊しているようだ。この街は、どんな船が停泊しているかで、活気がまるで変わる。
 店は、いつものようにごった返していた。
 安酒と汗の匂い、床に吐き捨てた噛みタバコの癖の強い匂いなどが相まって、不快な臭気の見本市のようでもあった。
 シルフィの頭はずきずき痛んだが、奥の席で、赤ら顔で大笑いしている父親をなんとか見つけた。
 いよいよ覚悟を決め、突入しようとした、そのときだった。

「おい、おまえ」

 入口近くの席で飲んでいた水夫の一人が、突然、声をかけてきた。

「おまえ、風呼びの指笛、吹いてたよな」

 なにを言われたのかわからず、シルフィは黙ったまま相手を睨むように見つめた。

「あれだよ。風を巻き上げて、弟を笑わせてたろう」

 いつ見られたのだろう。心当たりが多すぎて、わからなかった。
 さらに、こんな見るからに荒くれ者のヤツに言われて、下手に認めてなにかまずいことに巻き込まれることになるのもごめんだった。
 それで、シルフィはただ黙っていた。

「なんだよ、俺はな……」

 なおも言ってきたところで、難癖でもつけられていると思ったのだろうか、ティムが席を立ってやってきた。

「俺の娘になんか用か」

「ああ、ティム。あんたの娘だったのか。実はよ、耳よりな話があるんだよ」

「なんだ一体」

「デヒティネの風呼びが、見習いになりたいヤツを探してるって話だぜ」

「デヒティネ?風呼び?父ちゃん、こいつなんの話してるの」

「シルフィ、おまえは黙ってろ。あとで説明してやるから」

 ティムはそう言い、さらに詳しい話を促した。
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