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ひと通りの用事が済み、いよいよデヒティネに戻ろうとしたときに、シルフィは思い切って、見送りに出ていたリャンに訊いてみた。
「リャン艦長」
「うん?」
「艦長は、戦闘で大切な部下を傷つけられたりしたことはありますか」
「そんなのは、軍人である以上、年がら年じゅうだな。なぜ?」
「海賊に襲われたとき……、船長がやられたとき……、それに、デヒティネが壊れそうになったとき……。頭のなかが、空っぽになったんです。空っぽっていうか、熱くて熱くて……。なんでかわからないんです。わからないんですけど……、残りの世界が全部壊れてしまってもいい、って思えるくらい、頭のなかがおかしくなっちゃったんです。そんな経験、ありますか」
リャンはシルフィをじっと見た。
「なくもないかな……。でもなぜ、私に訊く?」
「なんででしょう……。でも、デヒティネの他のみんなは、そんな風にならなかったみたいなんです。同じ目に遭ったのに、あたしだけ、そんな風になって……。他の船でも、そんなもんなのかな、って……」
「ああ、どうかな」
リャンは小首を傾げ、質問した。
「船に乗って、どのくらい経つ?」
「実は、今回が初めてなんです。だから、半年弱くらい」
「そうか。じゃあ、無理もないな」
リャンは柔らかく笑った。
「海で生き残りたいなら、理性を失ってはいけない。でも、感情がなくなったら人間じゃなくなる。その割合を自分なりに折り合いをつけるには、まだまだ経験が足りてないと思う。焦る必要はないだろう。さいわい、君の船の人たちは気のいい連中のようだ」
「そうでしょうか……。いや、気のいい連中なのは否定しませんけど……」
もごもご言うシルフィの肩を、リャンは先日のように、また親しみのこもった軽い力で叩いた。
「まあ、頑張れ」
「はあ……」
わかりやすい答をもらえなかったことにすこしがっかりはしたが、たしかに、自分の感覚で身につけるしかないことなのかもしれなかった。
「まあ、それだけ、仲間のことを大切に思ってた、ってことだろう。なんなら君は、いい船長になれる性格かもな」
思いもかけないことを言われ、言葉が出ない。
「なんだい、なにも今すぐ船長になれる、って言ってるわけじゃないぞ。でも将来目指してみるのも、悪くはないだろう?」
なんとも答えようがなかったが、でも、そんな意見を持つ人間がいることが、そんな夢も許される気がする商船の世界が、とても開かれた世界である気がした。
あのとき、失った、と思ったのは、この世界のことだったのかもしれない。
自分の才覚を認めてくれ、成長を促してくれ、ときに厳しく、ときに優しく、さまざまな文化や人間が関わり合ってくるこの世界。
失わなくてよかった。心の底から、そう思った。
リャンに力強く、うなずいてみせる。
「そうですね。悪くないです。それにふさわしい人間になれるように、頑張ってみます」
星の光が輝く上空から、優しい風が吹いてきた。
今まで見てきたような動物ではなく、不思議な、笛を吹く童女の姿の風だった。
「おーい、シルフィ」
下にいるボートから、仲間の呼ぶ声が聞こえる。
シルフィはリャンにもう一度だけ力強くうなずいて見せると、舷縁にかけてある梯子をおりた。
さあ、デヒティネに帰るのだ。
シルフィの夢と希望を体現する、あの船に。
[第四章 あたしたちの船 了]
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【Keep her steady ! 完】