文字数 1,819文字
シルフィは、檣楼でふてくされていた。
ゲイルが登ってきて、隣に座っても、顔をそむけて口をきかない。ゲイルは穏やかな口調で言った。
「なあ、ライムってのは、すごく大切なものなんだ。船乗り特有の病気になるのを防ぐ効果があるから積んでる。それを投げ合いに使うのは、いいこととは思えないな」
シルフィは答えない。でも、話を聞いているのはわかったから、ゲイルは言葉を続けた。
「しかも船長の手まで煩わせるようじゃ、先が思いやられるぞ」
ここまで言われて、黙っていられなくなったらしい。きっ、とした表情で、ゲイルを見た。
「あいつがいつも、やたらとちょっかいをかけてくるんだよ。甲板歩いてると足をひっかけてきたりさ。もちろん、思いっきり踏みつけてやったけど」
目に浮かぶようだった。船乗りたちは基本裸足だ。さぞかし器用な攻防戦が見られたことだろう。
「あいつも、そんなことするヤツには見えなかったけどな……」
むしろ、どちらかというと女好きだったはずだ。同僚、となると話は別なのだろうか。
「とにかく、船長とトバイアス、それにブルーノにはきちんと謝ってこい。このままじゃ、船暮らしを舐めている人間だと思われるぞ」
シルフィはゲイルを睨んだ。ただ、反抗するというよりは、言われたことはわかっているが、怒りの興奮がまだ残っているせいのようだった。
「リッチーの野郎には謝らないよ」
「ああ。それでいい」
シルフィはようやく頷くと、渋々ながらマストを降りていった。
甲板に降りると、冷やかす声をしり目に、まっすぐ船長室を目指す。
ノックをし、中に入ると、ちょうどトバイアスが一緒にいた。備品の台帳が机の上に広げてある。針路変更にあたって、消耗予想を改めているところだったのだ。
シルフィの姿を見ると、トバイアスはさっと台帳を閉じた。
備品の全体像は自分と船長だけが掴んでいるべきという考えだから、見られたくないのだろう。
ただそれは実は建前で、色々と物品をちょろまかして懐を潤しているというもっぱらの噂だから、単に明細をを知られたくないだけかもしれない。
「さっきは騒ぎを起こしてすみませんでした。それに、ライムは大切に扱うべきだとゲイルに教わりました。これからは、あんな風に使わないことを誓います」
そう言ってきちんと頭を下げる。トバイアスがぶつぶつと文句を言い出したが、ケリーソンが口を開いたので黙った。
「リッチーにも注意しておいたが、一緒の船に乗っている以上、気に入らないヤツがいても、なんとかやっていくしかない。ケンカもたまにならいいが、しょっちゅうだと全体の士気に関わる。気をつけるように」
「はい」
「ブルーノはまだライムの選別をしてる。罰代わりだ、手伝いにいってこい。リッチーにはじゃがいもの皮むきをやらせてる」
「わかりました」
甲板に出て、ブルーノにひと言謝ったあと、作業を手伝う。
最初は腐ったものとまともなものを選別する作業だったのだろうが、ケンカのせいで、腐ってはいないが潰れたものを選り分ける作業がよけいに増えていた。
「これ、どうすんの」
「そうだな。ジュースにして、グロックに混ぜよう」
グロックとは、船員たちに毎日配られる酒だ。ラム酒を水で割ったものだが、何日かおきにライムの汁も混ぜる。病気予防のためだ。
シルフィは苦手なので酒じたいは飲まずに、欲しがる人間と物々交換してしまっている。ゲイルを見習ったのだ。指笛の調子が鈍るから、あまり飲んだくれるのはよくない、ということだった。
しばらくのあいだ、巻いたロープの上に腰かけて作業を続けていると、ブルーノの愚痴が始まった。
「まったくトバイアスの野郎、ケチくさいってんだよ。ベーコンの塊を積み込んでたのを、俺ぁたしかに見たんだ。さっさと配給しろってんだ」
ベーコン、と聞いてシルフィは唾を飲みこんだ。
陸の生活でもそうそう肉は食べられなかったものだが、船に乗りこんでからというもの、週に二度だけ配給される、カスカスに乾ききった硬い干し肉程度しか口にしていない。
油たっぷりで干し肉より柔らかいベーコンのことを考えると、今の食生活の貧相さがさらに身に沁みてきた。
「あーあ、はやく補給地に行って、生の野菜や肉を見たいぜ」
ブルーノの愚痴につきあっていると、どうにも腹が減ってくる。シルフィは困ってしまったが、もしかしたらそれを見越してのケリーソンの命令だったのかもしれない。
なかなか精神的にくる罰だ。
ゲイルが登ってきて、隣に座っても、顔をそむけて口をきかない。ゲイルは穏やかな口調で言った。
「なあ、ライムってのは、すごく大切なものなんだ。船乗り特有の病気になるのを防ぐ効果があるから積んでる。それを投げ合いに使うのは、いいこととは思えないな」
シルフィは答えない。でも、話を聞いているのはわかったから、ゲイルは言葉を続けた。
「しかも船長の手まで煩わせるようじゃ、先が思いやられるぞ」
ここまで言われて、黙っていられなくなったらしい。きっ、とした表情で、ゲイルを見た。
「あいつがいつも、やたらとちょっかいをかけてくるんだよ。甲板歩いてると足をひっかけてきたりさ。もちろん、思いっきり踏みつけてやったけど」
目に浮かぶようだった。船乗りたちは基本裸足だ。さぞかし器用な攻防戦が見られたことだろう。
「あいつも、そんなことするヤツには見えなかったけどな……」
むしろ、どちらかというと女好きだったはずだ。同僚、となると話は別なのだろうか。
「とにかく、船長とトバイアス、それにブルーノにはきちんと謝ってこい。このままじゃ、船暮らしを舐めている人間だと思われるぞ」
シルフィはゲイルを睨んだ。ただ、反抗するというよりは、言われたことはわかっているが、怒りの興奮がまだ残っているせいのようだった。
「リッチーの野郎には謝らないよ」
「ああ。それでいい」
シルフィはようやく頷くと、渋々ながらマストを降りていった。
甲板に降りると、冷やかす声をしり目に、まっすぐ船長室を目指す。
ノックをし、中に入ると、ちょうどトバイアスが一緒にいた。備品の台帳が机の上に広げてある。針路変更にあたって、消耗予想を改めているところだったのだ。
シルフィの姿を見ると、トバイアスはさっと台帳を閉じた。
備品の全体像は自分と船長だけが掴んでいるべきという考えだから、見られたくないのだろう。
ただそれは実は建前で、色々と物品をちょろまかして懐を潤しているというもっぱらの噂だから、単に明細をを知られたくないだけかもしれない。
「さっきは騒ぎを起こしてすみませんでした。それに、ライムは大切に扱うべきだとゲイルに教わりました。これからは、あんな風に使わないことを誓います」
そう言ってきちんと頭を下げる。トバイアスがぶつぶつと文句を言い出したが、ケリーソンが口を開いたので黙った。
「リッチーにも注意しておいたが、一緒の船に乗っている以上、気に入らないヤツがいても、なんとかやっていくしかない。ケンカもたまにならいいが、しょっちゅうだと全体の士気に関わる。気をつけるように」
「はい」
「ブルーノはまだライムの選別をしてる。罰代わりだ、手伝いにいってこい。リッチーにはじゃがいもの皮むきをやらせてる」
「わかりました」
甲板に出て、ブルーノにひと言謝ったあと、作業を手伝う。
最初は腐ったものとまともなものを選別する作業だったのだろうが、ケンカのせいで、腐ってはいないが潰れたものを選り分ける作業がよけいに増えていた。
「これ、どうすんの」
「そうだな。ジュースにして、グロックに混ぜよう」
グロックとは、船員たちに毎日配られる酒だ。ラム酒を水で割ったものだが、何日かおきにライムの汁も混ぜる。病気予防のためだ。
シルフィは苦手なので酒じたいは飲まずに、欲しがる人間と物々交換してしまっている。ゲイルを見習ったのだ。指笛の調子が鈍るから、あまり飲んだくれるのはよくない、ということだった。
しばらくのあいだ、巻いたロープの上に腰かけて作業を続けていると、ブルーノの愚痴が始まった。
「まったくトバイアスの野郎、ケチくさいってんだよ。ベーコンの塊を積み込んでたのを、俺ぁたしかに見たんだ。さっさと配給しろってんだ」
ベーコン、と聞いてシルフィは唾を飲みこんだ。
陸の生活でもそうそう肉は食べられなかったものだが、船に乗りこんでからというもの、週に二度だけ配給される、カスカスに乾ききった硬い干し肉程度しか口にしていない。
油たっぷりで干し肉より柔らかいベーコンのことを考えると、今の食生活の貧相さがさらに身に沁みてきた。
「あーあ、はやく補給地に行って、生の野菜や肉を見たいぜ」
ブルーノの愚痴につきあっていると、どうにも腹が減ってくる。シルフィは困ってしまったが、もしかしたらそれを見越してのケリーソンの命令だったのかもしれない。
なかなか精神的にくる罰だ。