文字数 1,406文字



 ミズンマストに縛りつけられていたゲイルは、腰のロープをはずしてもらったところで、ケリーソンが凶刃に倒れた。
 船が揺れ始めてしまい、左舷がわの船べりにしがみつくのがせいぜいで、手首のロープをはずす余裕もなかった。
 だが、しゅぅぅぅぅ……という、奇妙な音に顔をあげた。
 右舷側で、黒い霧のようなものが立ち昇っていた。
 よくよく見ると、その中心にはシルフィが立っている。
 これだけ揺れているのに、どこにもつかまらずに直立できていて、それだけでも異様な光景だ。
 指を口に当て、まるで指笛を吹いているようだった。
 しかし、音が聞こえない。
 かわりに、口元から黒い霧が出ていた。
 シルフィの身体の周りをぐるりと巡ると、上へと立ち昇る。
 まるで、黒い炎が燃え上がっているようだった。
 その形はどんどん上へ上へと長く立ち昇り、空にはまわりの気候とはなんの脈絡もない、ちいさな黒い竜巻ができ始めていた。
 やがて、その竜巻は勢いを増しながら、下目がけて曲がりはじめ、海盗賊たちの船を捉えた。
 この風は、生き物の姿を取ることはなかった。
 ただ霧状のままで、そしてとても不快な匂いがした。

「くそっ」

 ゲイルは顔を顰めた。
 間違いない。
 これは、外律魔法だ。
 外律魔法は、魔力を使える人間の、あまりにも強い恨みや怒りといった感情につけこんでくることがある。そうなると、特別な呪文や儀式を経なくても、発生してしまうのだ。
 早く止めないと、シルフィが外律の呪縛へと飲み込まれてしまう。
 焦る気持ちと船の揺れのせいで苦労しながら、なんとか足のロープをほどく。それから甲板を這うようにして、右舷へと近づいた。
 デヒティネの乗組員たちは、必死に手近な索具や出っ張りにしがみつくのが精いっぱいで、ろくに動くことすらできないでいた。
 だが、おかしなことが起こっていることには気づいていて、みな不安げな顔つきで、ゲイルがシルフィの元へと行くのを見守っていた。
 ゲイルが揺れのせいで後ろに滑りそうになると、できる範囲で手を握ったり、つかまっていないほうの手で身体を押したりして、協力してくれる。

「シルフィ!」

 なんとかそばまで行って、舷縁につかまって立ち上がりながら呼ぶが、反応はない。
 腕をつかもうとしたが、霧が熱を持っていて、干渉を阻んだ。
 海盗賊の船は、黒い竜巻のせいで、前方のマストを軸に、くるくると独楽(コマ)のように回っていた。
 乗っている人間たちも、甲板に置かれていた物も、たまらず海面へとどんどん吹っ飛ばされている。
 いい気味だ、と一瞬ゲイルも思ったが、あわてて首をふり考えを消した。
 自分がそんなことを思っていたら、シルフィの外律魔法に巻き込まれる。
 とにかく、人の暗い感情や復讐心と親和性が高い魔法なのだ。
 盗賊船の回転はどんどん速くなり、やがて、船体がひしゃげ始めた。
 まるで見えない大きな手が、紙舟をくしゃくしゃと丸めていくように、割れ、はじけ、形を失っていく。
 そしてみるみるうちに沈みはじめた。
 まわりの海に落ちた連中は驚愕の表情でそれを見ていた。
 戻る場所を失い、絶望を浮かべ始めた彼らに、さらに追い打ちがかかった。
 竜巻と、船が沈む勢いの水流で海面が渦巻き、まともに泳いでいられなくなったのだ。

「シルフィ、落ち着け! 指笛をやめるんだ!」

 必死にゲイルが呼びかけても、なんの反応もない。まるで、意識が飛んでしまっているようだった。

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