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次の日の晩、ニックとジェリーは、リャン・ツォイキンの艦ラープムイの夕食に招待された。
なにが起こったのかの話を詳しく聞きたいということだった。
ほかに、ゲイルとシルフィも招かれた。
風呼びがこういった他の船とのつきあいに呼ばれるのは珍しいことらしい。ゲイルが教えてくれた。
小型ボートが迎えにきてくれ、慣れない形の船に、おっかなびっくり乗りこんだ。
ニックはケリーソンの付き添いですでにこっちにいるので、見舞いと合流のために、まずは医療室を訪ねることになった。
見慣れない薬草や水薬の瓶、ペースト状のものが入った壺などの並んだ棚が壁を埋め尽くしている部屋の右奥にある小さな寝台に、ケリーソンは目を閉じて横たわっていた。
上半身は裸で、肩から腹にかけて横切る傷が痛々しい。そのうえには、縫合跡に膏薬が厚く塗られ、さらには見慣れない模様の描かれた紙がびっちりと貼りつけられていた。
すぐそばの椅子に座っていたニックは居眠りをしていたが、人が入っていた気配に顔をあげた。
「船長」
ジェリーが近づき、そっと声をかけると、うっすらとだがまぶたを開いた。
「ああ、みんな、無事か」
「ええ、なんとか。船長だけですよ、こんな大怪我したの」
ジェリーが泣き笑いのような声で言う。
ケリーソンは口角をすこし曲げた。たぶん、笑ったのだろう。
「まあ、移譲書の準備はしなくてすみそうですな」
ニックもそんな冗談を言う。
万が一ケリーソンが助からないとなると、速やかに船長としての権利を譲る必要があった。
そうしないと、絆を失ったデヒティネがまた暴れる。
それが、船長という任を背負った人間と船とのあいだの、特別な結びつきというものだった。
しかし今の彼女の落ち着きようから判断するに、どうやらケリーソンの具合は大丈夫なようだ。
船員たちからすると、ある意味、医者の言葉よりよっぽど信用できる指針だった。
他にも船の備品の状態の報告など、短い言葉をいくつか交わしたところで、左奥の机で乳鉢をかき混ぜていた医者が立ち上がり、面会は終わりだと言った。
「まだろくに話もしてないのに!」
抗議の声をあげたが、あっさり受け流された。
「疲れさせちゃいかん。今日はこのくらいにしておけ」
ニックとジェリー、ゲイルは素直に立ちあがり、廊下に出てケリーソンの状態について詳しい説明を医者から受け始めた。
シルフィもベッド脇から離れようとすると、ケリーソンに手を引かれた。
「シルフィ」
か細い声が聞き取りにくかったので、シルフィは耳を口元まで近づけた。
「おまえ、あのとき……。大丈夫だったのか。みんな、心配してるっていうじゃないか」
「怪我はしてないよ。襲われたりも、しなかった。安心して」
「そっちじゃない……」
そう言われてわかった。
おそらく、シルフィが外律魔法に引きずりこまれかけたことを心配しているのだろう。
「あれから、一回も使ったことないし、使えない。それに……」
シルフィはあのあとのことを思い出し、身震いした。
身体の外の黒い霧がすっかり消えたあとも、内側にはまだ片鱗が残っているようで、シルフィは何度も何度も吐いた。
あまりにひどくて脱水症状になりかけ、慌てて飲まされた水も最初は飲み込めなかった。
なんとか落ち着きを取り戻したあとも、ひどい頭痛に悩まされた。
あの黒い霧も、それを発生させる魔力も、人間の身体とは相いれない、相いれてはいけないものなのだと、一連の経験で嫌と言うほど叩き込まれた。
「使いたくない。これからはちゃんと気をつけるようにする」
きっぱりと言い切ると、ケリーソンはわずかにうなずき、目を閉じた。
すぐに、静かな寝息が聞こえてくる。
起こさないようにそっと立ちあがり、部屋を出た
ニックが医者から受けた説明によれば、傷は思ったよりは浅く、感染症に気をつけ、安静にしていれば二三週間で直るだろうということだった。
ただし、今は大量に血液を失った状態なので、血を増やす薬と食事を与えるため、フォンムンに着くまではこちらの艦で預かる、ということだった。
どうやら死にはしないらしいという診断が医者からもおりたことは、デヒティネの人間にとってはなによりの朗報だった。
そのおかげで、続く夕食も、明るい気持ちで楽しむことができた。
出港してまだ数日しかたっていないラープムイの食材は新鮮でたっぷりとしたものだった。
残り少ない食材でなんとかやりくりしていた近頃の食事に慣れていた舌には、それらはあまりにも豊かな味だった。
料理の皿をすべて平らげ、片づけられたテーブルのうえに食後のお茶が並べられる頃には、誰もが満足気なため息をもらしていた。
ここで、リャン・ツォイキンは海盗賊の襲撃のあらましを聞き取りするつもりだったらしく、書記の人間を呼びつけた。
ニックやジェリーに色々な質問を浴びせかける。
二人とも、ひと通りのことを真面目に答えていたが、シルフィの外律魔法のことは黙っていてくれた。
シルフィは安心すると同時に、なんだか申し訳ないような気持ちにもなった。