文字数 1,438文字



 レイディの叫びも、船の揺れも、どんどんひどくなっていた。
 乗組員たちは船にしがみつくのに必死でなにもできない。
 デヒティネの傾きはどんどんひどくなり、水面に触れるまでになっていた。
 甲板が波をかぶり、よけいに滑りやすくなる。
 意識を失っているケリーソンの身体も、ニックが必死に抱えていた。
 しかし片腕で舵輪の足元にしがみつきながら、もう片腕で大人の男の身体を保持しているのは、正直きつい。
 大きな揺れに耐えかねて、ついに手が離れてしまった。
 ケリーソンの身体が斜めになった甲板を滑っていく。

「船長! 駄目だ!」

 舵輪にしがみついていたジェリーが、丸めてあったロープをとっさに投げる。
 投げ縄の要領でなんとか両脇の下にひっかかり、船から放り出されるのは防ぐことができた。
 その衝撃で、意識が戻ったらしい。
 ずっと閉じたままだったケリーソンの目が開いた。

「レイディ……、レイ、ディ……、落ち、着け……」

 囁いた声は、人間にはほとんど聞こえないほど小さかった。
 だが、一瞬で効果があった。
 船体の揺れがおさまり、叫び声がやんだのだ。
 すると、それまであたかもレイディとシンクロしているようだったシルフィが、動きをとめた。

 指が唇から離れる。

「シルフィ!」

 すかさず呼びかけたゲイルの声に、今度はゆっくりと顔を向けた。

「あいつら、殺してやる」

 そう言う瞳は黒い膜に覆われ、人間ではないようだ。
 ゲイルは舷縁にしがみついていた腕を離し、そのまま、シルフィへと手を伸ばした。
 今度は、霧に阻まれることなく、両腕をしっかりと掴むことができた。
 闇へと連れてはいかせない、そんな想いをこめて、手に力をこめた。

「あいつら、殺してやる」

 そう繰り返すシルフィの身体は、細かく震えている。

「シルフィ、いいんだ。殺す必要があるんなら、みんなでやろう。お前ひとりで背負う必要はないんだ」

「あいつら……」

「でもまあ実際」

 ゲイルは無理におどけた声を出す。

「もう殺す必要はないぞ。あいつら間抜けなことに、結局なんにも奪えずに逃げてった。もう、終わったんだ」

「でも、レイディが……、船長が……」

「レイディは落ち着いた。ほら、もう揺れてないだろ。船長は、まあ……」

 それ以上は言葉を濁すしかなかった。
 ただ、それでもシルフィの身体から、強張りがだんだんとなくなってきていた。
 それにともなって、竜巻の勢いもどんどん弱まってきた。黒い霧の色も薄くなっていく。
 下を見ると、溺れかけていた人間たちも、渦がなくなってきた海面に、次々と頭を出していた。
 ただ、帰る船がなくなってしまったことには、唖然としていた。

「……ひっく」

 しゃっくりの音が聞こえた。
 シルフィが、泣いていた。
 これまで一度も、ゲイルに涙を見せたことはなかったので、正直驚いた。
 落ち着かせようと、背中を何度も柔らかく叩く。

「怖かったんだ」

「ああ」

「全部なくなっちゃう、って思ったら……、怖かったんだ」

「ああ、わかるよ」

 ゲイルの言葉にようやく落ち着いたのか、シルフィは長いため息をひとつついたあと、赤くなった目をこすった。

「みっともないね、あたし」

 ばつが悪そうに呟くのを、そんなことないさ、とだけ返す。

「なんでこんな気持ちになったんだろ……」

 腑に落ちない様子で続ける言葉に、ゲイルは黙って、ただそばに立っていた。
 そのときだった。
 あたりの海に、警告する鐘の音が響き渡った。

「くそっ!」

 海盗賊の連中が喚く。

「沿岸警備軍の船が来やがった!」



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