文字数 1,681文字

 甲板では、色々な人間が忙しそうに作業をしていた。
 あちこちの装備の点検をする者、積み込む備品や食料を数え上げ台帳に記入する者、それが済んだ順に貯蔵場所に運んでいく者。
 なかでも不思議だったのが、甲板に這いつくばるようにして、なにかを探している者だった。横にはバケツを持った助手がいて、指示があるとなにかを丸めたものと熱い液体の入ったひしゃくを渡す。するとそれを板と板の隙間に流し込んでいた。
 後になって、それが填隙(コーキング)という作業なのを知った。
 (たわ)んだり痛んだりしてできた木材の隙間を見つけては、とにかく片っ端から埋めていくという、際限のない作業だ。
 あたりには、じゅうじゅういう音と、独特の匂いが立ちこめている。火事を防ぐためか、すぐそばには水のポンプも置いてあった。
 長い尻尾をピンとたてた猫が、それをものともせず、すぐそばを我が物顔で通っていった。

「猫だ」

「ああ、ミスター・クラムビーか」

「そんな大層な名前なんだ」

「あれでなかなかの熟練船乗り猫だからな。斃した獲物の数なら、そこらの軍人も顔負けだろう」

 そんなことを話しながら船尾に回り、短い階段を降りる。すぐに狭いながらも調度品なども揃った部屋があり、真ん中のテーブルには男が一人、窓からの光を頼りに、書き物をしていた。

「船長」

 ゲイルが声をかけると、待てという合図をしたあと続きを書き終わり、たたんで封蝋を施すと、側で控えていた青年に渡した。彼はそのまま部屋を出ていった。
 そこでようやく、ゲイルに向き、話を促すように顔をわずかに傾げた。
 ブラウンヘアーの、よく日に焼けた肌をした三十代前半に見える男だった。野性味に溢れてはいるが下卑たところはなく、頭の回転の速そうなはしばみ色の目をしている。
 そしてなにより、人の生き死にに責任を負う人間独特の威厳を持っていた。

「これから出航までの一週間、こいつを見習いにします。物になりそうなら、航海に連れていきたい。許可をもらえますか」

「なんだ。女の見習いか?聞いたことないぞ」

 揶揄するような言葉に、ゲイルは肩を竦めた。

「息子は、軍艦の風呼びになって戦死した。長年かけて教え込んだ事が全部パァだ。女なら、よっぽどのことがなけりゃ徴兵なんかされないですからね」

 ああ、そんな事情があったのか。
 そう思ってから、もしかしてブラストというのがその息子の名前なのかもな、と思った。それならあの宿の女主人の態度もわかる。
 船長の顔からも、さっきまでの笑いが消えていた。

「確かにな。許可しよう。見込み通りにうまくいけばいいな」

「ありがとうございます」

 ゲイルは頭を下げ、シルフィを連れて甲板に戻った。

「あれがケリーソン船長だ。第二試験、合格」

「次はどうすんの」

「そうだな。檣楼(しょうろう)に登ってみるか。高いところがダメなヤツはいる。もしそうなら、船の風呼びになるのは無理だ」

「檣楼?」

 首を傾げたシルフィに、ゲイルはメインマストのてっぺんに近いところを指さしてみせた。

「あそこにあるだろう。俺たちが風を呼ぶときに使う台だ。物見に使われることもある」

 たしかに、マストの上部に、平らな台が取りつけてあるのが見えた。まるで雲にも達しそうな高さに思え、見上げているうちに、シルフィは後ろにひっくり返りそうになった。
 しかしそこまでいくには、帆やマストにかけてあるところに横にもロープをかけて格子状にした、いわば簡易の縄ばしごのようなものを登るしかないようだった。
 さっき船に上がるときに使った縄ばしごは平気だったので、シルフィは最初は気軽に登りはじめた。
 しかし、かなり勝手が違うことに、すぐに気づいた。
 まず、風の直撃を受ける。しかも、これまで受けた風とは段違いだ。
 甲板の上に吹いていた風は、ヒバリのような小さな鳥の姿をしていた。
 しかしいま通り過ぎてゆく風は、白鳥のような大きな翼を広げた鳥の姿だった。
 力強い羽先が何度も何度も頬を掠めるのだが、それがまるで力いっぱいの平手打ちを喰らっているようで、そのたびに身体のバランスが崩れる。たまらず何度も動きを止めて、掴む手に力を込め直した。
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