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 ここでようやく、相当にまずいことが起きているとシルフィがわかりはじめたときだった。

「もうやめておけ」

 ワイアットが言った。

「しかし……」

 軍人たちは渋い顔を見せる。しかしかまわず続ける。

「この程度のことでいちいち罪に問うてたら、国の半分以上の人間を牢屋に放り込まなきゃいけなくなるぞ」

 地位の高い人間のわりにくだけた口調が意外で、頭を下げたままだったシルフィは、目を見開いた。

「しかし……」

「こいつの言うことにも一理ある。無理に割り込ませてもらったんだ。詫びのひとことくらい、言うべきだった」

 そして周囲に聞こえる大きな声で言った。子供にしてはやけに姿勢がよく、声も朗々としていた。

「私の初出陣が急に決まったのだ。手続きを急がねばならない。わかってくれ」

 もちろん、誰も反論する者はいなかった。ただざわめきが生まれ、さざ波のように広がっていった。それはさっきまでとは違い、どこか温かい、好感の広がりだった。

「だが、おまえ」

 ワイアットはシルフィの前に立つと、手を伸ばして顔を上げさせた。

「今回ははっきり言ってくれて助かった。しかしその生意気な口を噤んでいたほうがいい場所はたくさんあるぞ。他では気をつけるんだな。次に見るのが処刑台なんてことにはなりたくない」

 いくら身分が高いとは言え、自分とたいして年齢も違わない少年に偉そうに言われ、シルフィは思わず相手を睨みつけた。
 ワイアットは一瞬気圧されたような表情になったあと、とりつくろうように笑い声をたてた。
 そのまま取り巻きを連れ、さっさと手続きを済ますと、階段を上がっていった。そこでようやく、ゲイルが長い安堵のため息をついた。

「まったく、ヒヤヒヤしたぜ。その口も考え物だな」

 シルフィは頬を膨らませた。

「あたしの言ったこと、間違ってないよね」

「どうかな。相手によるな」

 ゲイルはまだ頑固に言うシルフィに、呆れたように答えた。

「でも、王子でも出撃なんてするんだ」

「王子だから、だろ。国の面子を背負ってるのさ。王太子は陸軍だから、海軍には第三王子を出したんだろう。第二王子は身体が弱いって話だし」

 あんな年齢で、取り巻き連中に慇懃にかしずかれて、そのくせなんだかよくわからないものを背負わされるなんて、王族ってのも大変なんだな。シルフィが感じたのは、そんなことだった。
 しつこいようだが、王族というものと自分たちの生活には、あまりにも関連がなさすぎて、他人事にしか思えなかったのだ。

「もっとも、内海の制海権がどうのこうので隣国と小競り合いばっかやってんのを、やめりゃいいだけの話なんだが」

 ゲイルはそう言って、肩を軽くすくめた。ちょっと怒っているようにも見えたが、その理由はシルフィにはわからなかった。
 やがてすぐに、用事を済ませた軍人たちが引き返してきた。偉い人間相手になら、手続きを早く済ませることもできるんだな、と、感心とも呆れともつかない気持ちになった。
 ワイアットが一瞬視線を群衆に走らせた。
 シルフィと目が合い、鼻に皺を寄せた。笑おうとしているのかしかめっ面をしようとしているのか、微妙な表情だ。だがすぐに側近にせかされ、顔をそむけて出ていった。
 そして彼らの姿が見えなくなったとたん、まるでなにも起きなかったかのように、神殿のなかはまた元の騒がしさに戻った。

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