文字数 1,863文字
甲板は、ふらふらと歩き回る水夫だらけだった。
ちゃんとした意志を持って歩いているのではなく、見えない糸に操られているように見える。ゲイルと同じだ。
船首像のレイディが悪態をついている声がぼんやりと聞こえるが、人間に通じない魔法の言葉なので、ちゃんとした内容まではわからない。
姿といえば、あまりに濃い霧のせいで、ほんのすこし先にいるはずなのに、まったく見えなかった。
霧のなかに響く不思議な歌声が、さらに大きくなってきている気がした。ボリュームがあがった、というよりは、声の主が増えた、そんな印象だ。
すると、その声に呼応するように、船べりから海へと飛び込もうとする者がいた。
ピーティーだ。
シルフィはあわてて駆け寄り、ゲイルのように近くのロープで縛りつけた。そのあとにも何人かが同じことをしようとしているので、やはり縛りつける。
歌声が、さらに強まる。
霧に反響し、声の元がどこなのかも定かではない。水面から聞こえたかと思えば、上空からも響いてくる。
まるで、霧と歌声で、閉じた空間を作り上げているようだった。
そのなかで一人、甲板を駆け回って乗組員たちをロープで縛りつけているうち、ケリーソンの姿を見つけた。
急いで近寄ったが、その姿はいつもとはあまりにも違っていた。
寝ていたところでそのまま出てきたのか、いつも後ろで結んでいる髪はざんばらに乱れ、シャツの前はだらしなく開いたまま。もちろん、上着も身につけていない。
「船長!」
腕をつかみ、思いっきりひっぱると、一瞬だけ瞳に生気が戻った。
「ああ、シルフィか」
受け答えができるようなので、安心した。
彼さえしっかりしていれば、この船は大丈夫だ。
そう思い、必死で訴えかけた。
「みんな、どうかしちゃってるんだ!なんとかしないと……」
しかし、返ってきた言葉は、予想もしていない内容だった。
「俺の妻のジュリアを紹介するよ。ほら、お腹が大きいのがわかるだろ?」
「えっ……?」
どこかうっとりとした表情だ。いつもみんなに指示を出す厳しい顔とは、似ても似つかない。
「このあいだの稼ぎで、新しい家も買えてな。子供も生まれるんだから、広くないとな……。なかなか、こざっぱりしていい家なんだ。居間には、朝日も射すんだぜ」
「船長、ケリーソン船長。なにを言ってんのか、わかんないよ」
混乱するシルフィの肩を、ケリーソンはぐっと握って、自分から引き離した。そのまま船べりへと近づく。
「ああ、ほら、お茶を淹れたって。おまえも一緒にどうだ」
そう言って、波を指さす。当然、そこに紅茶の用意されたテーブルなどない。
「いないよ!いるわけないだろ!どうしちゃったんだよ、あんたがこんなじゃ、この船は……」
霧のなかの歌声が、喜びの旋律を奏でた。その声に惹きつけられ、今にも飛び込みそうなケリーソンをいそいで縛りつけながら、シルフィは泣きたくなった。
結局、今まともな思考をもっていられるのは、どうやら自分だけのようだった。
どうしたものかと悩んでいると、急に足元を駆け抜けるものがあった。
ネズミたちだった。
隠れ住んでいた船倉の底から、一斉に出てきたようだ。そのまま一目散に、海へと飛び込んでいく。
あまりにもあり得ない行動に、呆気に取られながらも、その行方、海面を見た。
ネズミたちが飛び込んだ場所が、血で真っ赤に染まっていた。さらに、ばちゃばちゃと水面が泡立つと、細い腕が何本も水中から出てきては、血にまみれたネズミの身体をつかんで引きずり込んでいた。
ぞっとして身を引き、シルフィは急いでありったけのロープをかき集めた。そしてかたっぱしから、残りのみんなの身体を船に縛りつけた。
船から飛び降りてしまえば、デヒティネの加護を受けられなくなる。ただでさえ安全の保障などほとんどない海の世界で、それは生き残る可能性をかなり下げる行為だ。
必死に作業を続けているうちに、リッチーも見つけた。
正直、一瞬迷った。
------こいつがいなければ、どれだけ船上生活からストレスが減るか。
だが、ぶつぶつと呟く声を聞いて、その気が失せた。
「ああ、エドナ、戻ってきてくれたんだな。そうだな、俺はわかってたぜ。おまえが心から俺を愛してくれてる、ってな……。あれは、気の迷いだったんだよな……」
哀願する表情でくどくどと言っているのを見たら、なんだか可哀そうに思えてきた。
ムカつく野郎だけど、別に死んでもいいとは思っていない。
それに気づき、シルフィはやっぱり他の人間と同じように、リッチーをロープで縛った。
ちゃんとした意志を持って歩いているのではなく、見えない糸に操られているように見える。ゲイルと同じだ。
船首像のレイディが悪態をついている声がぼんやりと聞こえるが、人間に通じない魔法の言葉なので、ちゃんとした内容まではわからない。
姿といえば、あまりに濃い霧のせいで、ほんのすこし先にいるはずなのに、まったく見えなかった。
霧のなかに響く不思議な歌声が、さらに大きくなってきている気がした。ボリュームがあがった、というよりは、声の主が増えた、そんな印象だ。
すると、その声に呼応するように、船べりから海へと飛び込もうとする者がいた。
ピーティーだ。
シルフィはあわてて駆け寄り、ゲイルのように近くのロープで縛りつけた。そのあとにも何人かが同じことをしようとしているので、やはり縛りつける。
歌声が、さらに強まる。
霧に反響し、声の元がどこなのかも定かではない。水面から聞こえたかと思えば、上空からも響いてくる。
まるで、霧と歌声で、閉じた空間を作り上げているようだった。
そのなかで一人、甲板を駆け回って乗組員たちをロープで縛りつけているうち、ケリーソンの姿を見つけた。
急いで近寄ったが、その姿はいつもとはあまりにも違っていた。
寝ていたところでそのまま出てきたのか、いつも後ろで結んでいる髪はざんばらに乱れ、シャツの前はだらしなく開いたまま。もちろん、上着も身につけていない。
「船長!」
腕をつかみ、思いっきりひっぱると、一瞬だけ瞳に生気が戻った。
「ああ、シルフィか」
受け答えができるようなので、安心した。
彼さえしっかりしていれば、この船は大丈夫だ。
そう思い、必死で訴えかけた。
「みんな、どうかしちゃってるんだ!なんとかしないと……」
しかし、返ってきた言葉は、予想もしていない内容だった。
「俺の妻のジュリアを紹介するよ。ほら、お腹が大きいのがわかるだろ?」
「えっ……?」
どこかうっとりとした表情だ。いつもみんなに指示を出す厳しい顔とは、似ても似つかない。
「このあいだの稼ぎで、新しい家も買えてな。子供も生まれるんだから、広くないとな……。なかなか、こざっぱりしていい家なんだ。居間には、朝日も射すんだぜ」
「船長、ケリーソン船長。なにを言ってんのか、わかんないよ」
混乱するシルフィの肩を、ケリーソンはぐっと握って、自分から引き離した。そのまま船べりへと近づく。
「ああ、ほら、お茶を淹れたって。おまえも一緒にどうだ」
そう言って、波を指さす。当然、そこに紅茶の用意されたテーブルなどない。
「いないよ!いるわけないだろ!どうしちゃったんだよ、あんたがこんなじゃ、この船は……」
霧のなかの歌声が、喜びの旋律を奏でた。その声に惹きつけられ、今にも飛び込みそうなケリーソンをいそいで縛りつけながら、シルフィは泣きたくなった。
結局、今まともな思考をもっていられるのは、どうやら自分だけのようだった。
どうしたものかと悩んでいると、急に足元を駆け抜けるものがあった。
ネズミたちだった。
隠れ住んでいた船倉の底から、一斉に出てきたようだ。そのまま一目散に、海へと飛び込んでいく。
あまりにもあり得ない行動に、呆気に取られながらも、その行方、海面を見た。
ネズミたちが飛び込んだ場所が、血で真っ赤に染まっていた。さらに、ばちゃばちゃと水面が泡立つと、細い腕が何本も水中から出てきては、血にまみれたネズミの身体をつかんで引きずり込んでいた。
ぞっとして身を引き、シルフィは急いでありったけのロープをかき集めた。そしてかたっぱしから、残りのみんなの身体を船に縛りつけた。
船から飛び降りてしまえば、デヒティネの加護を受けられなくなる。ただでさえ安全の保障などほとんどない海の世界で、それは生き残る可能性をかなり下げる行為だ。
必死に作業を続けているうちに、リッチーも見つけた。
正直、一瞬迷った。
------こいつがいなければ、どれだけ船上生活からストレスが減るか。
だが、ぶつぶつと呟く声を聞いて、その気が失せた。
「ああ、エドナ、戻ってきてくれたんだな。そうだな、俺はわかってたぜ。おまえが心から俺を愛してくれてる、ってな……。あれは、気の迷いだったんだよな……」
哀願する表情でくどくどと言っているのを見たら、なんだか可哀そうに思えてきた。
ムカつく野郎だけど、別に死んでもいいとは思っていない。
それに気づき、シルフィはやっぱり他の人間と同じように、リッチーをロープで縛った。