文字数 1,339文字



 ずいぶん静かだと、シルフィは思った。バッグから食事と飲み物を出しながら訊くと、ティシャは申し訳なさそうな顔をした。

「水が動かないと、鳴らないんだ。今日はダメみたいだな」

「水が動くって、どうやって?」

「風だな」

「風?」

「風が吹くと、水面が動くだろ。それで……」

「ああ、じゃあ」

 シルフィは手を止め、立ち上がった。

「あたしが風を呼んでみる」

「え?」

 ティシャは首を傾げたが、すぐに思い出したようだ。

「ああ、あんた、風呼びなんだっけ」

「うん。山で吹くのは、初めてだけど」

 シルフィは空を見上げた。崖に丸く切り取られて見える空には、雲ひとつない。海から吹いてくる風は勢いが強く、蛇のような細長い姿を取り、あっという間に通り過ぎていく。
 それを流れから切り離し、崖の内側へと誘導するのは、なかなか難しかった。しかしティシャはのんびりと待っていてくれる。はっきり物は言うし、動きときはてきぱきしているし、そういうタイプの人間はシルフィの母国では性格もきついというイメージが強かったが、ティシャはそうでもないらしい。この新しい友だちが、シルフィはいっそう好きになった。
 その気持ちが身体にも伝わったのだろうか。いつの間にか固くなっていた筋肉が解れ、指笛の音階も増え、音も柔らかく広がりのあるものへと変わっていった。
 それに惹かれたのか、一陣の風が、上空から降りてきた。翼の生えた蛇の姿で、ぐるぐると崖の内側を回る。シルフィはそれを下方向へと誘導した。
 風が水面に触れた。
 そこから、同心円の水紋が広がった。
 そして……。

 ぽぉぉうぉん。

 不思議な音が聞こえてきた。
 それは予想していたより、上のほうから聞こえた。思わずティシャに問いかける視線を投げると、説明してくれた。

「木のなかを伝って、上から聞こえてくるんだよ」

 ぷぁぁぁぁん……。

 今度は違う木から、音が聞こえた。

「さっきのと、違うね」

「木によって違うんだよ。内側がまったく一緒の木なんてないからね」

 それから最初の木から近いところに立っているもの二、三本からもそれぞれの音が聞こえた。
 ただ、風が弱かったせいか、水の揺れもそれ以上は広がらなかったらしく、また無音に戻った。蛇の姿の風も、消えてしまった。
 シルフィはあの不思議な音をもっと聞きたくて、必死で風を呼び込んだ。
 やがて崖に囲まれた空間に、多くの風が吹き込んでくるようになった。水面を揺らし、木のあいだを抜け、シルフィたちの髪をくしゃくしゃにする。

 ぽぉぉうぉん……。

 ぷぁぁぁぁん……。

 からからからから、からから……。

 ふぉうふぉうふぉう……。

 多くの音が響き、重なり合い、旋律のようなものが生まれだしていた。シルフィは以前大道芸で見た、水を入れたコップを並べて叩いて、音楽を演奏していたのを思い出した。
 なんだかそれに似た音に感じる。規模はもっと大きいが。
 ティシャが岩から身を乗り出し、瞳を輝かせながら耳を傾けている。

「こんなに音が鳴ってるの、初めて見たよ!あんた、すごいね!」

 シルフィも指笛をやめた。風はもう、放っておいてもいいくらい勝手に渦巻いて吹いていたからだ。ティシャの横に並んで、同じように木々のたてる音に聞き入った。
 まるで楽器のなかにいるようだった。


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