文字数 2,131文字
デヒティネの艦長室でグラスの酒をちびちび飲みながら、ケリーソンは満足気なため息をついた。
正直、自分を取り戻せたような気分だった。
商会回りですり減らしていた神経が、海に出たことですこしだけ持ち直せたのだ。
人助けができるなんていうのは本当のところ口実で、自分がこれを意識下で欲していたからこそ、話に乗ったのかもしれない。
そんなことを酒でぼんやりした頭で考えていると、ドアがノックされた。
「入れ」
ジェラニだった。
「ああ、失礼しました。うちの船員かと思って」
酒を勧め、座るように言う。
「今回は助けていただき、ありがとうございました。娘も無事でしたし、他の弱ってた連中も、何日かすれば体力を取り戻しそうです」
グラスを傾けたあと、ジェラニが言った。
「ああ、そりゃあよかった。船の持ち主は?」
「私が船を買い取って、奴は内陸に逃がすことにしました。ここにいちゃ危ないかもしれないので」
「危ない?」
「雇い主がね。手を広げてるのはいいが、どうも以前から、悪い噂が絶えない奴で」
「ああ、なるほど」
そこらへんは、正直どこの港でもある話だ。
「ただ、今までは決定的な証拠がなくて、手を出せなかったんです。我々が見て見ぬふりをしているうちに、立場の弱い者から搾り取ったり無知な人間を騙すだけじゃ飽き足らず、外律魔法にまで関わっていたとは」
外律魔法の危険さは、ケリーソンもよく知っていた。
強力であることは確からしいが、調子に乗って使ったあげく、滅んだ国や沈んだ島の話は、いくらでも聞いたことがある。つまり、周りまで巻き込まれかねないのだ。土地の人間が放っておけないのもわかる。
「ゴールドって男なんですけどね。彼が来てから、色々とおかしくなった。……あなたと同じ国から来たようですが」
「名前からすると、そうみたいですね」
「彼みたいな人間が流れ着いてくるかと思えば、あなたみたいな、直接自分に関係ないことでも、手を貸してくれる人も来る。港町っていうのは、面白いものですね」
「ここにお住まいじゃないんですか」
「一年の大半は、内陸の自分たちの部族の土地で暮らしています。年に数ヵ月だけ、商売の契約手続きや最新情報を仕入れにここに住むんですよ。今回は初めてティシャも連れて来たんです。そろそろ社会勉強もさせなきゃいけない年齢ですから」
「なるほど」
「そういえば」
ここで急に、ジェラニが話題を変えた。
「デヒティネを雇うという話の続き、ちゃんと詰めてませんでしたね。いくらお支払いすればいいでしょうか」
「ああ、あれですか」
ケリーソンは自分のグラスに酒を足しながら肩をすくめた。
「気にしなくていいです。あそこで揉めて時間を無駄にしたくなかったから、とっさに言ったまでです。デヒティネに損害があったわけでもないですし、払う必要はないですよ」
「しかし、乗組員の方々にまで手伝ってもらったではないですか」
「ああ。あいつらは好きでやったことですから。なんならあとで酒場で一杯ずつ奢ってやってください。それで満足するでしょう」
「しかし、それでは……」
しばらく悩んだあと、急になにか思いついたのか、ぱっと顔が明るくなった。
「そういえば、染料の荷が手配できなくて、お困りだとか」
「ああ、そうなんです。明日っからまた商会巡りです」
「もしよかったら、私の
「いいのですか」
願ってもない申し出に、ケリーソンは腰を浮かしそうになった。
「我々のためにわざわざ船を出してくださったんだ。その心意気は報われなくてはいけません。ちゃんと上物を揃えさせますよ」
「そりゃありがたい」
ずっと頭を悩ませていたことが解決するとなると、急に酒の味がよくなった気がした。出港の予定もあまりずらさずに済む。
「こちらとしても、直接取引ができるのはありがたいですよ。なんなら今回ばかりと言わず」
「願ってもないです」
デヒティネは年に数回、この港に寄る。
「では明日さっそく見本を持ってこさせましょう」
「こちらも担当の者を同席させます。構いませんよね」
「ええ、もちろん」
ジェラニは酒を飲み干すと、立ち上がった。
「とにかく、助かりました」
「まあ、そもそもはシルフィが頼んできたからですけどね」
ケリーソンがちょっと皮肉な笑みを浮かべると、ジェラニも同じような表情をした。
「お互い、やんちゃな子供がそばにいると、退屈するヒマがありませんな」
「まあ、面白いっちゃ面白いから、いいんですけどね。本人にゃ絶対そんなこと言わないですが」
「はっはっは。わかります。調子に乗らせたら世界の果てまで飛んでっちまいそうですからね。これから説教ですよ」
「まったく。今回は結果がよかったとはいえ、身の危険をちゃんと考えられる人間になってくれないと、寿命が縮まります」
そうやって笑いあいながら、ジェラニは部屋を出て行った。
なかなかの太っ腹で、しかもどうも周囲の人間の態度からして相当の地位の人間のようだ。
いい縁ができたものだと、ケリーソンは笑みを浮かべた。
説教をするにはしても、こういうきっかけを作ってくれたことに関しては、シルフィを褒めてやってもいい気がしてきた。