- 1 - 針路変更
文字数 2,055文字
船長室では、航海士たちが集まって、海図を睨んでいた。
予定とは違うコースで緊急避難的に外海に出たため、はじめに予定していたポート・マジグに向かうことは、海流を考えると難しくなったからだ。
「鮫牙 湾を目指そう」
船長のケリーソンが言うと、他の人間たちは、顔を見合わせた。
「なんだ?」
「そのコースは……、その……」
「はっきり言え」
「あのあたりは気候も海流もころころ変わる。難しくないですか。むしろ一気にもっと南下して……」
「俺もそれは考えた。だが、飲料水が持たない。砲撃でかなり樽がやられたんだ。できれば積み荷の氷には手を出したくない。雨でも降ればなんとかなるかもしれんが」
「そうですね。それに関しては、賭けに出るわけにはいきませんしね……」
しかたなく、といった感じで揃った面々は頷いた。
「では、決まりだ。甲板にもそう伝え……」
言いかけていたところで、その甲板から、わぁぁっ、と騒ぐ声が聞こえてきた。
船上生活は、常に潜在的に反乱の危険を伴っている。まさかとは思うが、急いで船長室を出て、ケリーソンは階段を駆けあがった。
甲板に出たとたん、なにか小さいものがすごい勢いで飛んできた。ほぼ脊髄反射で右に避ける。
それは背後の壁、甲板と船尾楼の段差にあたる部分に当たって鈍い音をたてたあと、足元をころころと転がった。
ライムの実だ。
ケリーソンはそれを拾い、騒ぎの元へと近寄った。
シルフィと、甲板員の若者リッチーが、ライムの実を投げ合っている。かなりの本気モードだ。
野次馬がまわりを取り囲み、けしかける声をかけている。なかにはコインをやり取りしている者までいた。どちらが勝つか賭けているのだろう。
ケンカは、退屈な航海生活のなかでは娯楽あつかいだ。殺し合いに発展しない限りは、誰もわざわざ止めようとはしない。
すぐそばには、ライムの入った樽に腕をかけて投げ合いを見物しているコックのブルーノ、その隣には備品管理担当のトバイアスが突っ立っていた。
ブルーノは明らかにおもしろがっているが、トバイアスは渋い顔だ。ライムが潰れるたびに、頭の中で管理台帳の数字を訂正しているに違いない。
「てめぇら!ライムは武器じゃねぇぞ!」
ケリーソンが怒鳴って、ようやくシルフィとリッチーの動きが止まった。
船上において船長は絶対権力だ。逆らって海に放り込まれても、文句は言えない。それほどの存在だった。
「こいつが先に腐ったライムを投げつけてきたんだ!」
シルフィがリッチーを指さしながら訴えた。
その相手といえば、いかにもばかばかしい、といった様子でタバコ臭い唾を吐いた。
「邪魔なところをウロチョロしてんのが悪いんだよ。だいたい、おまえみたいな娘っ子が船に乗るなんざ、おっかしな話じゃねぇか」
これを聞いて、シルフィはまだ手に持っていたライムを、また投げつけようとした。
「いいかげんにしろ!」
ケリーソンはその腕を力を入れて握った。たまらず、シルフィはライムを手放した。
ころころころ、と転がるのを、さっそくトバイアスがいそいそと拾う。
「リッチー、おまえもだ!娘っ子だろうがなんだろうが、風呼びは貴重な人材だ。きちんと敬意を払え!呼んだ風で吹っ飛ばされても知らんぞ」
いかにも不満そうな表情ではあったが、リッチーもさすがに船長に口答えはしたくないのだろう。いやいやながらも一度だけ頭を下げると、野次馬の間に入っていってしまった。
「ゲイル、おまえも止めりゃいいだろ」
近くにいたシルフィの師匠にそう言うと、首をすくめた。
「あんなこと言うやつ、これからごまんと出会うでしょうからね。いつかは独り立ちするんです。自分でなんとかできるなら、なんとかするっちゅう経験を積ませておかないと」
「ずいぶん厳しい教育方針だな」
「まあ、さすがにやばくなったら割って入るつもりでしたけどね。あいつも船上生活の荒っぽさには適応せんといかんですから」
ゲイルはあっさり言う。それを聞いていたシルフィは、しかめっ面で思いっきり舌を出してみせると、さっさと一人で檣楼に登り始めた。
ケリーソンはため息をひとつだけつくと、甲板にいた全員に、針路の変更の説明をした。リッチーにはあとで船長室に来るように言い、ゲイルにもシルフィを寄越すように命じた。ゲイルはうなずくと、檣楼へと戻った。
ブルーノはあたりに散らばったライムを拾い、また樽の中身を選別し始めた。腐ったものを取り除く作業をしようと、明るい甲板に持ち出していたところで、騒動になったのだ。
甲板が通常営業に戻ったのを確認すると、ケリーソンは船長室へ戻った。
乗組員に少女がいるなど、そもそも前代未聞のことなのは確かだ。戸惑う人間がいるのも、理解はできる。
だから今のところは、口出しは最低限にするつもりでいた。
そもそも、頭ごなしに言ったところで、自負心の強い水夫たちのこと。納得しなければかえって反感になるだけだ。
-----大きな問題にならなければいいが。
そう思いつつも、今は見守るしかなさそうだった。
予定とは違うコースで緊急避難的に外海に出たため、はじめに予定していたポート・マジグに向かうことは、海流を考えると難しくなったからだ。
「
船長のケリーソンが言うと、他の人間たちは、顔を見合わせた。
「なんだ?」
「そのコースは……、その……」
「はっきり言え」
「あのあたりは気候も海流もころころ変わる。難しくないですか。むしろ一気にもっと南下して……」
「俺もそれは考えた。だが、飲料水が持たない。砲撃でかなり樽がやられたんだ。できれば積み荷の氷には手を出したくない。雨でも降ればなんとかなるかもしれんが」
「そうですね。それに関しては、賭けに出るわけにはいきませんしね……」
しかたなく、といった感じで揃った面々は頷いた。
「では、決まりだ。甲板にもそう伝え……」
言いかけていたところで、その甲板から、わぁぁっ、と騒ぐ声が聞こえてきた。
船上生活は、常に潜在的に反乱の危険を伴っている。まさかとは思うが、急いで船長室を出て、ケリーソンは階段を駆けあがった。
甲板に出たとたん、なにか小さいものがすごい勢いで飛んできた。ほぼ脊髄反射で右に避ける。
それは背後の壁、甲板と船尾楼の段差にあたる部分に当たって鈍い音をたてたあと、足元をころころと転がった。
ライムの実だ。
ケリーソンはそれを拾い、騒ぎの元へと近寄った。
シルフィと、甲板員の若者リッチーが、ライムの実を投げ合っている。かなりの本気モードだ。
野次馬がまわりを取り囲み、けしかける声をかけている。なかにはコインをやり取りしている者までいた。どちらが勝つか賭けているのだろう。
ケンカは、退屈な航海生活のなかでは娯楽あつかいだ。殺し合いに発展しない限りは、誰もわざわざ止めようとはしない。
すぐそばには、ライムの入った樽に腕をかけて投げ合いを見物しているコックのブルーノ、その隣には備品管理担当のトバイアスが突っ立っていた。
ブルーノは明らかにおもしろがっているが、トバイアスは渋い顔だ。ライムが潰れるたびに、頭の中で管理台帳の数字を訂正しているに違いない。
「てめぇら!ライムは武器じゃねぇぞ!」
ケリーソンが怒鳴って、ようやくシルフィとリッチーの動きが止まった。
船上において船長は絶対権力だ。逆らって海に放り込まれても、文句は言えない。それほどの存在だった。
「こいつが先に腐ったライムを投げつけてきたんだ!」
シルフィがリッチーを指さしながら訴えた。
その相手といえば、いかにもばかばかしい、といった様子でタバコ臭い唾を吐いた。
「邪魔なところをウロチョロしてんのが悪いんだよ。だいたい、おまえみたいな娘っ子が船に乗るなんざ、おっかしな話じゃねぇか」
これを聞いて、シルフィはまだ手に持っていたライムを、また投げつけようとした。
「いいかげんにしろ!」
ケリーソンはその腕を力を入れて握った。たまらず、シルフィはライムを手放した。
ころころころ、と転がるのを、さっそくトバイアスがいそいそと拾う。
「リッチー、おまえもだ!娘っ子だろうがなんだろうが、風呼びは貴重な人材だ。きちんと敬意を払え!呼んだ風で吹っ飛ばされても知らんぞ」
いかにも不満そうな表情ではあったが、リッチーもさすがに船長に口答えはしたくないのだろう。いやいやながらも一度だけ頭を下げると、野次馬の間に入っていってしまった。
「ゲイル、おまえも止めりゃいいだろ」
近くにいたシルフィの師匠にそう言うと、首をすくめた。
「あんなこと言うやつ、これからごまんと出会うでしょうからね。いつかは独り立ちするんです。自分でなんとかできるなら、なんとかするっちゅう経験を積ませておかないと」
「ずいぶん厳しい教育方針だな」
「まあ、さすがにやばくなったら割って入るつもりでしたけどね。あいつも船上生活の荒っぽさには適応せんといかんですから」
ゲイルはあっさり言う。それを聞いていたシルフィは、しかめっ面で思いっきり舌を出してみせると、さっさと一人で檣楼に登り始めた。
ケリーソンはため息をひとつだけつくと、甲板にいた全員に、針路の変更の説明をした。リッチーにはあとで船長室に来るように言い、ゲイルにもシルフィを寄越すように命じた。ゲイルはうなずくと、檣楼へと戻った。
ブルーノはあたりに散らばったライムを拾い、また樽の中身を選別し始めた。腐ったものを取り除く作業をしようと、明るい甲板に持ち出していたところで、騒動になったのだ。
甲板が通常営業に戻ったのを確認すると、ケリーソンは船長室へ戻った。
乗組員に少女がいるなど、そもそも前代未聞のことなのは確かだ。戸惑う人間がいるのも、理解はできる。
だから今のところは、口出しは最低限にするつもりでいた。
そもそも、頭ごなしに言ったところで、自負心の強い水夫たちのこと。納得しなければかえって反感になるだけだ。
-----大きな問題にならなければいいが。
そう思いつつも、今は見守るしかなさそうだった。