文字数 1,260文字

「だ……誰」

 問いかけたが、返事はない。
 人間……に似てはいたが、明らかに違う。身体の作りは同じように見えるが、その大部分が虹色の鱗に覆われていたからだ。
 相手はしばらく黙ったまま、その濡れた大きな瞳で、じっとシルフィを見ていた。まるで、初めて見た生き物を、用心深く観察しているようだった。
 とは言っても、シルフィにとっても、相手は初めて見る姿だった。
 全身裸で、身体の膨らみから女性に見えるが、正直確信はない。黒い巻毛の髪は長く、腰のあたりまで伸びていた。

「ナゼ、メスガ、イル」

 話しかけられ、さらに驚いた。
 たどたどしいものではあるが、たしかに、船乗り用の万国共通語だった。
 シルフィもまだ習い始めたところなので、あまり上手とは言えないが、聞き取りはまあまあできる。
 ただ、まさか海の魔物にまで、リッチーみたいなことを訊かれるとは。しかも、メス、なんていう失礼な言い方は、さすがのあいつでもしなかった。
 だが、どうやらシルフィの存在が計算外だったおかげで、相手の思い通りになるのはなんとか避けられたようだ。
 これはチャンスだ。
 シルフィはそう思った。
 相手と意思疎通の方法があるのなら、なんとか交渉の余地もあるというものだ。

「コロスノ、ヤメロ」

 だから、シルフィも船乗り語を使ってみた。
 相手は魚臭い息を長く吐いた。もしかしたら、ため息だったのかもしれない。

「ニク、ヒツヨウ。フタリ、モラウ。ノコリ、ニゲル、ユルス」

 肉が必要?二人差し出せば残りは逃がしてくれる、というのだろうか。
 だがそれは、あっさりと受け入れられる提案ではない。さらに言えば、そんな権限はシルフィにはない。

「ニク、ナゼ、ヒツヨウ?」

 苦し紛れに、そう質問した。
 相手はしばらく悩んだあと、言葉が見つからなかったのか、手の動きで自分の腹の膨らみを示してきた。
 どうやら、妊娠しているようだ。
 言葉に困ったのにも納得した。たしかに、航海の便宜と商売ごとに特化した船乗り語に、そんな言葉はないだろう。
 相手は目を何度かしばたたかせた。鳥のような、上下にまぶたのある目だ。そうしていると、涙が頬にこぼれ落ちた。
 それが人間と同じように感情からくる反応なのか、シルフィには判断がつかなかった。それでも、相手に感情を寄せるきっかけにはなってしまう。

「コドモ、クル。ニク、ヒツヨウ」

 訴えるように言う。
 シルフィは、母親のホリーが弟のウィルを産んだときのことを思い出した。
 妊娠期間中はたくさん栄養を取れと、あのだらしない父親のティムが珍しく賭け事をやめ、食費をまともに家に入れていた。
 それだけ大変なことが起きているのだと、実感した出来事だった。もっともティムはといえば、ウィルが生まれた途端にまた賭け事に戻ってしまったが。
 そう考えると、相手だって必死なのだろう。
 そこで、急に思いついたことがあった。

「ホカノニク、タメス?」

 そう問いかけると、相手は不思議そうな表情をした。待ってろ、と身振り手振りで示してから、シルフィは船倉の備蓄室へと全力疾走した。
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