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戻ってきたシルフィに状況を聞くと、ケリーソンは手の空いている連中に手伝いに行くように命じた。
檣楼ではゲイルが風を誘導し、残っている瘴気を吹き飛ばそうとしていた。その効果もあって、しだいに相手の船の全体が見えるようになってきていた。
飲み水の入った樽をティシャと二人で転がしながら運びこむと、コップに汲んでは甲板に出された人たちの口元へと持っていく。
なん人かはひび割れた唇を動かし必死で飲んだが、それすら反応できない者もいた。
その場合、ティシャが指で唇を開き、なんとかできた隙間に、シルフィが流し込むようにした。
そんな作業をやっているうちに、二等航海士のジェリーが乗り込んできて、さっさと舵輪を取った。
「俺の船だぞ、俺が……」
船の持ち主が不満を口にしたが、ジェリーは軽蔑の目を向けただけだった。
「うちの船長はおまえを信用できないってさ。さあ、このまま戻るぞ」
その言葉に、男の顔が引きつった。
「なあ、戻るなんて、やめてくれよ。俺のへまのせいで密輸がバレたなんて知れたら、殺されちまう……」
「自業自得だ。こんな仕事請け負ったのが悪い」
交渉はもう無理だと悟ったのだろうか。男は突然見張りの手を振り払い、デヒティネとは反対側の左舷へと突っ走ると、そのまま海に飛び込んだ。
派手な水音が響く。
「おい! くそっ! 誰かロープを投げろ!」
ジェリーの声に、作業していた人間達が手を止めて駆けつけ、ロープの先を海面へと放った。
しかしそれには目もくれず、男は沖合に向かって泳ぎ始める。
「あいつ、島まで泳いで逃げるつもりか」
ジェリーが呆れた。
「行けるの」
シルフィの問いに、肩を竦める。
「どうだかな。まあ、ヤツの選んだ道だ、放っておけ」
冷めたことを言っていると、ふいに唸り声が船首から聞こえた。
「なんだ?」
「見てくる」
甲板を駆け抜けていくと、声はあの痛々しい姿の船首像のものだった。後ろについてきていたティシャが、その姿を見て声をあげた。
「ひどい」
「自分の船にこんなことするなんて、どうなってんだろ」
「外律魔法を使うのに、船の力を封じる必要があったんだろうね」
ティシャは言いながら、舳先に向かって身を乗り出した。
「あの目の塗料なら、剥がせるかも。ちょっとやってみる」
なん種類かの呪文を試すと、なんとか取れた。
あとは口元をなんとかしたくて、シルフィは船嘴へと向かった。
腰にロープを結びつけ、反対側の端を索具にしっかり結びつけると、船のヘリから外側へと降りた。ロープと、外壁にしっかりつけた二本の足でバランスを取りながらゆっくりと下がり、なんとか船首像の口元に手が届く位置まで来た。
片手はしっかりロープを握っている必要があるので、空いているほうの片手だけを使って、短剣を取り出す。
汗だくになりながら、手が届く部分をなんとか切ると、ロープと口に挟まれた木の枝は、そのまま海へと落ちていった。
船首像の唸り声が止む。
そしてひと呼吸置いたあと、次に聞こえたのはあたりの空気を震わすほどの迫力があるいななきだった。
シルフィはあわててナイフをしまい、両手でしっかりとジブブームにしがみついた。
しかし、それだけではすまなかった。
まるで船首像のいななきに呼応するかのように、ざぁぁぁぁ、という、船が水を掻きわけるときに似た音が沖合から聞こえた。
シルフィは顔だけを上げ、音の方向へと目を凝らした。
そのときちょうど、空の雲が切れ、月の弱い光が波面を照らす。
波の一部分が、急に盛り上がっていた。驚いてみているうちに、それは真上に噴き上がり、海のなかに突然水柱ができた。
よくよく目をこらすと、てっぺんの部分に、泳いで逃げようとした男の身体が持ちあげられている。
水柱は、そのまま移動し始め、みるみるうちに船へと近づいた。
そして思わず口をあんぐりと開けて眺めていたシルフィの脇を過ぎると、甲板に船の主を放り投げた。
それが済むと、すぐに水面に同化して、あっというまに跡形もなくなってしまった。
「今の、なに!?」
甲板にいる人間たちに怒鳴って聞いたが、誰も正確なことを答えられる者はいなかった。
それぞれが勝手な推測を並べたてるなかで一番可能性が高そうなのは、この沿岸一帯を受け持つ海の神コーヌラのおしおきだという説だった。船首像の訴えに答えたのだと。
たしかに、あっけに取られていた人間たちをよそに、船首像だけが、意地の悪い笑い声のような、復讐に成功した者があげるような、そんないななきを暗い波間に響かせていた。