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 結局ライムを絞るところまで手伝って、ようやくシルフィは檣楼に戻った。
 ちょうど操帆手のピーティーが、近くにきているところだった。
 帆桁の木の棒に上半身を預けるようにして掴まり、足元はといえばそのすぐしたに張ってあるフット・ロープに乗っているだけだ。
 その姿は、いつか路上売りで見た、木の棒にしがみついて回転する猿のおもちゃを思い出させた。というか、もしかしたらあれを作った職人こそ、こういう水夫の姿を見て、あのデザインを思いついたのかもしれない。
 なんとも不安定な体勢のはずだが、慣れているのでものともせず、ゲイルと世間話をしている。

「よう。おまえのライム投げ、なかなかコントロールよかったじゃねえか。石投げの練習でもしときゃ、立派な武器になるんじゃねえか」

 シルフィを見ると、からかい半分、本気半分でそんなことを言って、げらげらと笑う。

「いいね。リッチーの野郎になんか言われたら、今度は石を投げてやれる」

 シルフィが言うと、さらに笑う。

「ばっか言え。死んじまわぁ」

 心配そうなかけらもない。物騒な冗談など、誰も本気にはしないのだ。

「しかし、あいつあんな風に女に絡むヤツだったか?」

 ゲイルが訊くと、急に真顔になった。

「それだよ。あいつ実は、出港前に手ひどくふられてさ……」

「本当か」

「ホントもホント。前の航海から家に戻ったらさ。待っててくれると思っていた女が、家財道具一式売っ払っちまったあげく、雲隠れしちまってたんだってさ」

「ああ、そりゃあ……」

 ゲイルが渋い顔になった。

「だからあいつ今、女嫌いの真っただ中なんだよ。まあ、シルフィにしてみりゃ、とんだとばっちりだな」

 言葉のわりには、さして気の毒そうでもない顔つきで言う。
 シルフィはなんとも言えない気持ちになった。事情を聞いてしまうと、純粋に相手を嫌うのはとたんにむずかしくなる。
 つい視線を甲板に落とすと、偶然見あげたリッチーと目が合った。瞬間、顎をしゃくってみせてきた。
 完全にこちらを煽ってきている。
 その態度に、シルフィの同情心はあっというまにふっとんだ。
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