文字数 1,616文字
そのあたりで、本当に船べりから飛んだ者が何人か出てきた。ただしロープのせいで、船べりからぶら下がることになってしまっていたが。
まわりを取り囲む歌声に、だんだんと苛立ちが混じってきたように思う。
焦ったように繰り返し繰り返し、魅惑的な音階を響かせ、シルフィでさえも頭がくらくらしてきた。
そのとき視界の隅で、船乗り猫ミスター・クラムビーの黒い尻尾が揺れた。いつもの飄々とした様子はなく、今すぐ海に飛び込みそうだったところで、覆いかぶさるようにして止めた。
両手でしっかり抱きしめるが、とにかくめちゃくちゃに暴れるし、毛並みが滑っていまにも抜け出しそうだ。なんとか落ち着かせようとあやすような声を聞かせながら、力を入れるしかない。
それでも効果はなく、あげくには爪がシルフィの首元のスカーフにひっかかった。
引っ張られ、一瞬首が締まりそうになったが、さいわい結ばず巻いていただけだったので、なんとかほどけた。ふわり、と空中へ舞い上がる。
そのときだった。
スカーフのまわりで、小さな羽蟻の形の風が生まれていた。
それに気づいたとたん、ほぼ脊髄反射のように、気がつくとシルフィは口笛を吹いていた。
あやす声を出していた延長だったので、いつもとは違って、調子はずれではあるが、ちょっとした音階のようになる。
すると、風の羽蟻の姿が、みるみるうちに蝶へと変わった。
驚いて思わず吹くのをやめると、また羽蟻の姿に戻る。本能的にまた吹き直すと、蝶の形にまたなった。続けると、最初は小さな蝶だったのが、大きなアゲハへと変わった。
これで、確信した。風が、口笛に反応して強くなったのだ。
それは、はじめての体験だった。
風を呼んだのではない。
風を、育てたのだ。
ゲイルに教わった技術でもない、偶然のできごとだった。
どうしてそんなことができたのか、ぜんぜんわからない。でも今は、この技にすがるしかない。
そう思い、シルフィはそのまま、音階が続くように気をつけながら口笛を吹き続ける。
蝶は、コマドリへと変わりはじめていた。
シルフィはそのコマドリたちを、霧に向かっていくように誘導を始めた。すると、わずかずつではあるが、薄まっていく箇所ができてきた。
謎の歌声が、あちこちで大きくなった。苛立ちの叫び、に近いかもしれない。さっきまで連動していた、いくつもの歌声のバランスが崩れ始める。
必死に吹くうちに、コマドリは力強く羽ばたくカラスになった。霧を吹き飛ばすだけではなく、シルフィの頭上を旋回し始める。
いける。
そう思い、シルフィは、ミスター・クラムビーを抱えたまま、船尾へと向かった。
自分達の船室に駆け込むと、しまってあった自分の着替えのシャツを取り、猫は閉じ込めておいた。
甲板に駆けあがり、シャツを振りまわし、それから生まれた風を、さっきの要領を思い出しながら大きく変化させていく。
霧に切れ間ができはじめているせいか、歌声の反響がどんどんうまくいかなくなっている。そのおかげで、絶望的な閉塞感は薄れてきていた。
帆が風をはらみ始めた。
このチャンスを、なんとか活かすしかない。
とにかくこの異様な空間から離れることができれば、みんなが正気に戻るかもしれない。
シルフィは船首へと行き、風を使って霧を払うと、船首像のレイディに呼びかけた。
「レイディ!レイディ!」
レイディは船が止まったせいで、眠っていたようだった。それでも、シルフィの呼びかけは通じたらしく、ゆっくりと目を開ける。
「みんな、どうしちまったんだい。はやくあたしを走らせておくれよ」
「なんだかみんな、おかしくなってるんだ。でもなんとか風起こしてみる。とりあえず、舵も取らなきゃいけないから、あたしは船尾に行ってくる」
それだけを伝えると、操舵輪を操るために、また船尾へ戻ろうと、振り返った。
だが、ギョッとして動きが止まった。
女性が一人、突然、そこに立っていたからだ。
まわりを取り囲む歌声に、だんだんと苛立ちが混じってきたように思う。
焦ったように繰り返し繰り返し、魅惑的な音階を響かせ、シルフィでさえも頭がくらくらしてきた。
そのとき視界の隅で、船乗り猫ミスター・クラムビーの黒い尻尾が揺れた。いつもの飄々とした様子はなく、今すぐ海に飛び込みそうだったところで、覆いかぶさるようにして止めた。
両手でしっかり抱きしめるが、とにかくめちゃくちゃに暴れるし、毛並みが滑っていまにも抜け出しそうだ。なんとか落ち着かせようとあやすような声を聞かせながら、力を入れるしかない。
それでも効果はなく、あげくには爪がシルフィの首元のスカーフにひっかかった。
引っ張られ、一瞬首が締まりそうになったが、さいわい結ばず巻いていただけだったので、なんとかほどけた。ふわり、と空中へ舞い上がる。
そのときだった。
スカーフのまわりで、小さな羽蟻の形の風が生まれていた。
それに気づいたとたん、ほぼ脊髄反射のように、気がつくとシルフィは口笛を吹いていた。
あやす声を出していた延長だったので、いつもとは違って、調子はずれではあるが、ちょっとした音階のようになる。
すると、風の羽蟻の姿が、みるみるうちに蝶へと変わった。
驚いて思わず吹くのをやめると、また羽蟻の姿に戻る。本能的にまた吹き直すと、蝶の形にまたなった。続けると、最初は小さな蝶だったのが、大きなアゲハへと変わった。
これで、確信した。風が、口笛に反応して強くなったのだ。
それは、はじめての体験だった。
風を呼んだのではない。
風を、育てたのだ。
ゲイルに教わった技術でもない、偶然のできごとだった。
どうしてそんなことができたのか、ぜんぜんわからない。でも今は、この技にすがるしかない。
そう思い、シルフィはそのまま、音階が続くように気をつけながら口笛を吹き続ける。
蝶は、コマドリへと変わりはじめていた。
シルフィはそのコマドリたちを、霧に向かっていくように誘導を始めた。すると、わずかずつではあるが、薄まっていく箇所ができてきた。
謎の歌声が、あちこちで大きくなった。苛立ちの叫び、に近いかもしれない。さっきまで連動していた、いくつもの歌声のバランスが崩れ始める。
必死に吹くうちに、コマドリは力強く羽ばたくカラスになった。霧を吹き飛ばすだけではなく、シルフィの頭上を旋回し始める。
いける。
そう思い、シルフィは、ミスター・クラムビーを抱えたまま、船尾へと向かった。
自分達の船室に駆け込むと、しまってあった自分の着替えのシャツを取り、猫は閉じ込めておいた。
甲板に駆けあがり、シャツを振りまわし、それから生まれた風を、さっきの要領を思い出しながら大きく変化させていく。
霧に切れ間ができはじめているせいか、歌声の反響がどんどんうまくいかなくなっている。そのおかげで、絶望的な閉塞感は薄れてきていた。
帆が風をはらみ始めた。
このチャンスを、なんとか活かすしかない。
とにかくこの異様な空間から離れることができれば、みんなが正気に戻るかもしれない。
シルフィは船首へと行き、風を使って霧を払うと、船首像のレイディに呼びかけた。
「レイディ!レイディ!」
レイディは船が止まったせいで、眠っていたようだった。それでも、シルフィの呼びかけは通じたらしく、ゆっくりと目を開ける。
「みんな、どうしちまったんだい。はやくあたしを走らせておくれよ」
「なんだかみんな、おかしくなってるんだ。でもなんとか風起こしてみる。とりあえず、舵も取らなきゃいけないから、あたしは船尾に行ってくる」
それだけを伝えると、操舵輪を操るために、また船尾へ戻ろうと、振り返った。
だが、ギョッとして動きが止まった。
女性が一人、突然、そこに立っていたからだ。