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 またなにか因縁をつけにきたのか、と、シルフィは身構えた。こういうリラックスしている状態のときにまで、自分に敵意を持つ人間の相手をしなければならないのは正直億劫だ。
 でも、無視したらしたで、調子に乗らせるだけだ。立ち向かわざるをえない。

「なんだよ、リッチー」

 いつでも攻撃できるように、シチューのスプーンを握り直しながら答える。いざとなったら、これを武器代わりにするしかない。
 だがリッチーはいつものようなケンカ腰ではなかった。両手を開いてあげ、戦意がないことを示してくる。

「おまえのおかげで、俺らは助かったんだってな。船長に聞いたよ」

「ああ……、人魚たちのことか」

「そうだ」

「あんたなんて、あいつらに食わせればよかったよ。あたしが甘くて、よかったね」

「なあ、おい、そんなにつっかかるなよ。おまえにひどい態度だったこと、反省したから、謝りにきたんだ」

 そう申し訳なさそうにするので、今までの暴言は許してやることにした。
 いくら頑固なリッチーでも、さすがに命に関わることで助けられたら、意識も変わったのだろう。有能か無能かで人間の価値を計る、現場主義の水夫らしいと言えばらしい考え方だ。

「わかったよ。ただし次になにか言ってきたら、マジで海に突き落とすから」

「おいおい、お手柔らかに頼むぜ」

 実際のところ、力勝負になったらシルフィのほうが負けるだろう。だがそうは言い返してこないことに、相手の休戦の意志を感じた。

「詫びに酒奢るぜ」

「いいよ。あたしが飲まないって知ってるだろ」

「じゃあ、かわりになにか……」

 そこでちょうど通りがかった果物売りを呼び止め、適当に見つくろっていくつかを買うと、テーブルに置いた。

「これでいいか」

「ありがとう」

 意外なサービス精神に面食らったが、ここは素直に好意を受けとることにする。
 やり取りを済ませたリッチーが、仲間たちが騒いでいるテーブルに戻ったあと、シルフィは食事を平らげ、果物に手を出した。
 異国の見知らぬ甘い果肉を楽しんでいると、ポーチでわぁっと歓声があがった。
 視線をやってみると、流しの楽器弾きと歌唄いの女が陽気な曲を演奏していた。それに合わせて、何組かの男女が踊っている。
 何曲かそれが続いたあと、今度は甘くゆったりしたメロディーに変わる。男女は寄り添いながらゆらゆらと揺れるような踊りになった。そうしない者でも、近くの席へと移動すると、身体をくっつけ合いながら、うっとりとした表情で耳を傾けている。
 シルフィには不思議だった。
 こうやって見ていると、彼らはまるで永遠の恋人たちのようだ。出港の朝には別れて、おそらくもう二度とは会わない相手なのに。
 それに、甘いメロディーに心を預けるようにしてる姿は、あの白い霧のなかでの状態を思い出させた。効果の程度こそ違え、意外と根の部分は同じことが起きているのかもしれない。
 そんなことを考えていると、酒灼けをした顔のみすぼらしい服を着た老人が、テーブルの脇に立った。

「おまえ、人魚に会ったというのは、本当か?」

 突然聞かれ驚いたが、頷いた。
 すると老人は、断りもせずに向かいの席に座る。

「そのなかに、黒い巻き毛の人魚はいなかったか」

「いたけど……。じいさん、なんでそんなこと知ってるの」

 ぎらぎらとした目つきが異様だったし、最初は追い払おうかと思ったが、なにやら事情通らしき言いかたなので、とりあえず話を聞いてみることにした。
 目の前に並んでいた果物のいくつかをを勧めると、腹が減っていたらしく、遠慮もせずにがつがつと食べた。そしてひとしきり食べるとようやく満足したのか、果汁のついた口元を拭い、話し始めた。

「それはきっと、俺の恋人か、娘なんだ……」
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