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ぎしぎしと木材の軋む音が、そこかしこから響いてくる。たいがいの船だって鳴るものだが、この謎の船がたてる音は、すこし度を越していた。海を進むのがやっとの老朽船なのだ。
あたりの様子を窺っているジェラニの背中が見えたので、シルフィは近づいていった。
隣に並ぶと、驚かれた。
「どうしてついてきた」
小声で訊かれる。だって、と返そうとしたら、急に黙るようにと仕種で示された。なにかの音に気づいたらしく、黒い瘴気の向こうに耳を澄ませている。
シルフィにも聞こえた。舵輪が回る音だ。
動き出すまえに、ジェラニは首元のスカーフを解き、鼻と口が隠れるように顔に巻きつけた。瘴気をなるべく吸わないための対策だろう。シルフィも、他の連中もそれを見て同じようにした。
ジェラニは何人かを呼び、自分と一緒に行く人間と、他の場所を探しに行く人間とを選び、指示をした。
シルフィはマストに登ることにした。ジェラニに、瘴気の荷袋を捨てに行くと言い残し、返事も待たずに一気によじ登った。
マストに結びつけていたロープをほどき、一瞬迷ったが、思い切って海へと投げ捨てた。
それから急いで降りると、物陰をつたうようにしながら、ジェラニたちが向かった船尾楼へと向かう。
奇妙なことに、この船には人の気配というものがなかった。
デヒティネなら、甲板にも帆桁にも人がいて、みな忙しく作業をしているものだ。それが、今のところ誰の姿も見ていない。足音や、合図の声すらも聞こえない。
そのまま進んで、ようやく初めての人影を見た。
痩せた顔つきの悪い男が、舵輪をつかんで立っていた。髪は乱れ、服はあちこちがほつれたり穴が開いていたりして、相当にみすぼらしい姿だった。
「娘はどこだ!」
怒鳴りつけるように訊いたジェラニの迫力に、なかば後ろにのけ反りながらも首を振る。
その態度に苛ついたのだろう、一気に駆け寄ると、まるで首を絞める勢いで両襟を掴み、耳元で怒鳴った。
「正直に言わないと、この場でぶっ殺すぞ」
まわりの空気がびりびりするような迫力の声だった。男はおびえて何度も視線を左右にやったが、とうとう諦めて口を開いた。
「船倉にある。それしか積んでない」
「よくこんな仕事請け負ったな!」
「しかたないだろ。ここんとこ、ろくな仕事にありつけてなかったんだ」
貧相な男は吐き捨てるように言った。
ジェラニはそれだけ聞くと掴んでた襟を、まるで投げ捨てるように離した。
「君はここで待っていなさい」
シルフィにそう言い、仲間のひとりに男を見張っているよう指示すると、すぐに船倉の入口に向かった。残りの仲間たちも続く。
シルフィは甲板をぐるりと見回した。やはり、他に船員の姿はなかった。
「こんなんで海出て、大丈夫なの」
訊くと、男は肩を竦める。
「すぐ近くにある島まで運ぶのを頼まれただけだからな。この船はもう、長い航海には耐えられない。おかげで水夫だって嫌がって、雇うこともできやしなくて困ってたんだ。この稼ぎで修繕して、そうしたら俺だって、もうひと旗上げられるはずだったんだ」
それを聞くと、シルフィはまた腹が立ってきた。こういう、どうしようもなく困ってる人間を利用して、非人間的な商売で儲けようとする人間がいることが頭にくるのだ。
「でも、積み荷の中味がなにか、知ってたの」
「いいや。詮索しないのも、条件のひとつだったからな。船は魔法で進めるから、俺だけ乗って舵取りしてくれればいい、って言われてさ。丸儲けだぜ。断る理由はないだろ」
悪びれもせずにそう言う姿に、なんだか同情するのがばかばかしいような気になってきた。
そうしているうちに、ジェラニがティシャを抱いて、船倉から姿を現した。
「ティシャ!」
シルフィが駆け寄ると、ティシャは父親の腕から飛び降りた。お互い両手を広げ、しっかりと抱き合う。
「他の人たちは?」
二人を穏やかな表情で見守っていたジェラニに訊くと、眉をひそめながら答えた。
「衰弱しすぎて、自分じゃ歩けないようだ。とにかくいったん、みんなの力を借りて箱から甲板に出そう。飲み水もあったほうがいいかもしれない」
「あたし、デヒティネから貰ってくるよ!」
シルフィは叫び、駆け出した。
「おまえも彼女を手伝いに行ってきなさい」
ジェラニに言われると、ティシャもその背を追った。