第26話

文字数 797文字

 「ああ、ご心配なく。まだケガ人とかは出ていないので」
 女性は佐久間、と名乗った。
 長い黒髪に、女性用のスーツを窮屈そうに着ている。
 話し方からして、こういう真面目な服装をするのが向いていないのかもしれない。
 「学校でこの森の周辺のことが噂になっていてね」
 佐久間は長い黒髪をなびかせて森を見る。
 「でも、ただの噂でしかない」
 そう言って腕を組みながら佐久間は言ったことを否定する。
 「どんな噂が?」
 ナツが聞くと佐久間は困ったような顔をした。
 「わたしは見たことがないんだが、熊の化け物が出るらしい」
 黄月がナツに目配せをする。
 どうやら事件は複雑になりそうだ。
 「熊なんて、この街には棲んでいないんだ。単なる見間違いだろう」
 佐久間の口ぶりは噂について信じていないようだった。
 「噂になっているのにか?」
 佐久間以上に砕けた言葉遣いで黄月が聞く。
 「噂は子供たちの間に広まっているんだが、思春期によくある行動だろう」
 ナツは腕組して佐久間の言葉について考える。
 彼女は妖怪の存在について知らないから、噂で済ましている。
 だが、自分たちはそうもいかない。
 ナツは佐久間に視線を向ける。
 「見たことがないって言ったけど、ここには何度も来るんですか?」
 佐久間は答えずに、すこし間をおいてから森を眺めた。
 クラクションが鳴らされて、別の車が通りかかる。
 細い一本道だけがあって、教師の車は脇に停めている。
 道路は今にも森に飲み込まれそうな心細さがある。
 車を動かそうと佐久間が乗り込もうとする。
 「動かす必要はなさそうだぜ」
 黄月がやってきた車の行動を読み取る。
 彼の言う通りに車は脇を通り抜けていく。
 佐久間は車を見送りながら戻ってくる。
 「私も昔は、この森に入ったことがあるんだ」
 神妙な話になってきたのでナツは姿勢を正す。
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