蛙始鳴(かわずはじめてなく)
文字数 440文字
日本には二十四節気とはまた別に、七十二候と呼ばれるものがある。
その中のひとつ、五月五日~九日の期間の頃を、蛙始鳴(かわずはじめてなく)という。
田んぼに水が入り、田植えが始まる直前、春に土の中から出て来たかえるが、田んぼの中でゲコゲコと言い始める。
田舎の初夏では聞くことが当たり前だが、最近まじまじとかえるを見た覚えはない。
姿は見えずとも、どこからか聞こえるので、ああ田んぼにいるんだなと感じ取れる。
かえるは産卵のために田んぼに集うが、実際のところ、いったいどれくらい集まるのかは知らない。きっとものすごい数なのだろう。
たくさんのお坊さんの読経の声にも負けないくらいの大声量で、朝でも、昼でも、夕方でも、夜でも忙しない彼ら。
そんなに鳴いて声が枯れないのかと疑問にすら思う。
降りしきる雨の中ですら、その大合唱は耳に届く。
彼らは彼らなりのプライドを持って、今日も元気にその喉を自慢するかのように鳴き続ける。くれぐれも鳴きすぎでバテないようにがんばってほしいところだ。
その中のひとつ、五月五日~九日の期間の頃を、蛙始鳴(かわずはじめてなく)という。
田んぼに水が入り、田植えが始まる直前、春に土の中から出て来たかえるが、田んぼの中でゲコゲコと言い始める。
田舎の初夏では聞くことが当たり前だが、最近まじまじとかえるを見た覚えはない。
姿は見えずとも、どこからか聞こえるので、ああ田んぼにいるんだなと感じ取れる。
かえるは産卵のために田んぼに集うが、実際のところ、いったいどれくらい集まるのかは知らない。きっとものすごい数なのだろう。
たくさんのお坊さんの読経の声にも負けないくらいの大声量で、朝でも、昼でも、夕方でも、夜でも忙しない彼ら。
そんなに鳴いて声が枯れないのかと疑問にすら思う。
降りしきる雨の中ですら、その大合唱は耳に届く。
彼らは彼らなりのプライドを持って、今日も元気にその喉を自慢するかのように鳴き続ける。くれぐれも鳴きすぎでバテないようにがんばってほしいところだ。