第5話 五、武蔵の国の衛士と帝の娘(竹芝)

文字数 1,582文字

 今は武蔵の国になりぬ。ことにおかしき所も見えず。浜の砂は白くもなく、濃い地面のようで、紫草生ふと聞く野も、葦や荻のみ高く生いて、馬に乗った人の弓も末が見えぬほど、高く生い茂りて、中をかき分けて行くと、「竹芝」といふ寺があった。
 遠くに、「ははさう」などといふ所に、楼の跡の石の基礎などがある。「いかなる所ぞ」と問へば、「これは、昔、竹芝という坂だった。国の人がありけるを、火焚く屋の火たく衞士として国司が朝廷にさしあげたところ、御前の庭を掃くときに、「なんで苦しき目を見るのだろう。わたしの国にいくつもいくつも作り据えた酒壺があり、さし渡したる直柄の瓢が、南風が吹けば北になびき、北風が吹けば南になびき、西風が吹けば東になびき、東が風に吹けば西になびくのを見ないで、かく辛い仕事をしていることよ」と、一人ごとを、呟きけるのを、その時、帝の御娘で、いみじう大事に育てられ給う宮姫が、唯一人御簾の際に立ちい出給て、柱に寄りかかりて御覧ずるに、この男が、かくひとり言を漏らしているのを、いと心惹かれ、どんな瓢が、どのようになびくのだろうかと、いみじう優雅に思われたので、御簾を押し開けて、「その男、こっちへ寄れ」と召しければ、かしこまりて高覧のそばに参りたりければ、「言っていることを、いま一返りわれに言いて聞かせよ」と仰せられければ、酒壺のことを、いま一返り申しあげたところ、「われを率いて行って見せよ。そう言うにはわけがあり」と仰せられければ、かしこくおそろ しと思いけれど、さるべき宿命があったのだろう、姫を背負いたてまつりて東国へ下るに、無論のこと人が追って来るだろうと思いて、その夜、瀬田の橋のたもとに、この姫宮を座らせたてまつりて、瀬田の橋の橋板を一間ばかり壊して、それを飛び越えて、この姫宮を背負いたてまつりて、七日七夜かけて武蔵の国に行き着きにけり。
 帝と妃は、皇女が失せ給ひぬとおぼしまどひ、求め給うたところ、「武蔵の国の衞士の男が、いと香ばしきものを首に引っ掛けて、飛ぶように逃げける」と申し出でがあって、この男を尋ねたところが、なかりけり。勿論、元の武蔵の国にこそ行くらめと、朝廷より勅使が下りて追うと、瀬田の橋が毀れて、え行きやらず。
 三ヵ月もかかり武蔵の国に行き着きて、この男を尋ぬるに、皇女、勅使を召して、「われは、さるべき運命にやありけむ、この男の家が見たくなって、率いて行けと言いしかば率いて来きたり。いみじくここは住み心地がよくおぼゆ。この男が罪に問われ、逮捕されれば、われはいかであれというのだろうか。これも前世に、この国の跡を住み着くべく宿命がありけめ。はや帰って、朝廷にこの状況を奏せよ」と仰せられた。
 言うこともなくて、京に上りて、帝に『かくなむありつる』と奏しければ、『言うかひもなし。その男を罪にしても、今となっては、この姫宮を取り返しし都に帰したてまつるべきにもあらず。竹芝の男には、生きていかぎり、武蔵の国を預けとらせて、公務をなさせじ、たゞ姫宮にその国を預けたてまつらせ給う」よしの宣旨がくだりにければ、この家を内裏のごとく造りて、住ませたてまつりける。
 家を、宮などが亡くなり失せ給にければ、寺になしたのを、竹芝寺といふなり。その姫宮の産み給へる子供は、やがて武蔵という姓を得てなむありける。それより後、火焚き屋に女が詰めているという」と語る。
 ※瀬田の唐橋に行ってみた。想像していたより琵琶湖は、とてつもなく広い。その流れ込んでいる瀬田川の両岸のもっとも狭いところに橋がかけてある。数百メートルはありそうな感じ。板橋を架けるのも大変だったとおもぅ。姫の追手を遅らせるため、板を一間分はがしたという。飛んで向こう側へ渡るのは無理である。近くに船着き場もない。追手は、随分遠回りをして向こう側へ歩いて行ったのだろう。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み