第62話 六二、上達部

文字数 2,698文字

 上達部、殿上人などに対面する女房は、定められているようなので、なれない里人の私などは、いるかいないかさえ知られていないものだ。が十月初めごろ、いと暗い夜、不断経のとき、声よき僧たちが読む時刻なので、そこらに近い戸口に私ともう一人ばかり立ち出て聞きながら、お喋りし、寄りもたれかかっていると、参りたる人が来るので、「逃げこんで、局のいる担当の女房を呼び上げなどするのも見苦しい。そういうことだから、適当に折があれば対応しましょう。このままで居ましょう」ともう一人がいうので、かたわらで聞いていると、温和しく閑やかそうな気配で、ものなど言う、好ましい人のようだ。
 「いま一人の方はどなたです」などと問うので、世の常にある場当たり的な好色な物言いなどもしないようで、世の中のしみじみとしたことなどを、こまやかに語り、私も出て、こちらもさすがに堅苦しく、引きこんでいられない節々もあった。
 私ももう一人の女房も答えたりするので、「私のまだ知らない方がいらしたのですね」などと珍しがって、直ぐには立ち去りそうにもなく、星の光さえ見えない暗い所に、時雨が何度もさっと過ぎては、木の葉にかかる雨音も趣があるのを、「中々、月がない今夜も艶があって興趣がある夜ですね。月が隈なく明るいのもはしたなく見え、まばゆいばかりで顔を合わせるのも恥ずかしいかもしれません」。
 春秋のことなどについて話し、「時に従い眺める景色としては、春霞もおもしろく、空ものどかに霞み、月の表もそれほど明るくもなく、月の光が遠くへ流れていくように見えるそんな夜に、琵琶で風香調をゆるやかに弾き鳴らしているのは、とても素晴らしく聞こえます。また秋になって、月がたいそう明るい夜に、空は霧が少し掛っているけれど、月が手に取るように鮮やかに澄みわたっている上に、風の音と、虫の声など、秋のすべてをとり集めたような心地がして、箏の琴がかき鳴らされていたり、横笛が吹き澄まされたりしているのは、なかに春が最高ではないかと思われます。
 また、そうかと思えば、冬の夜の、空は冴えわたり寒いのに、雪が降りつもり月の光りを照り返している所へ、ヒチリキがわななくような音色で出てくるというのも、春秋の素晴らしさをみな忘れてしまいます」と言い続けて、「あなたはどの季節に御心をとどめられますか」と問うので、一緒にいる女房が、「秋の夜に心を寄せています」と答え給うので、私は、そうそう同じようには言うまいと思って、
   「あさ緑花もひとつに霞みつつおぼろに見ゆる春の夜の月」
と答えたところ、繰り返し誦じられ、「それでは、秋の夜の風情は見捨てられたのですね。
   「今宵より後の命のもしもあらばさは春の夜を形見と思はむ」
と言われたので、秋に心寄せた人が答えて、
   「人はみな春に心をよせつめり 我のみや見む秋の夜の月」
と詠むと、とても興味をもたれて、どちらに味方するか思いわづらわれた様子で、「唐土などにも、昔より春秋の評定は、されなかったようですが、このように分かれて判断された御心には、なにか思うことがあってのことでしょう。
 自分の心がなびき、その折が、感慨をおぼえたり、興趣を感じられたり、おかしとも思う事のある時、やがてその折の空の景色も、また月も花も、心に沁みこんでいくもののようです。春秋の判別をおつけになった理由を、是非とも承りたいところです。
 冬の夜の月は、昔より興ざめの例として引用されておりましたし、又ひどく寒い時などは、特に月を見る気にもならないでしょう。私が斎宮の御裳着の敕使として伊勢に下った折のことです。役目を終え、明け方に上京しようと、数日降りつもった雪に月が映え明るく、旅の身空という思いもあり、心細く思っているとき、斎宮にお暇乞いに参上すると、他の所と違って、神域だと思うせいか、恐ろしいのに、しかるべき所に私を召して、円融院の御世よりお仕えしたという女房で、とても神々しく、古風な様子の人が、とても慎み深い態度で、昔の思いで話しなどをして、うち泣きなどして、よく調律した琵琶の御琴を私にさし出されたのは、この世のこととも思われず、夜の明けてしまうのも惜しまれ、京のことを思い絶えぬばかり思いだしました。 
 それ以来、冬の雪が降っている夜は、その趣向が思い知らされて、火桶などを抱いてでも、かならず出て座り、外の景色を眺めているのです。あなたたちも、かならずそのような思いをおもちなのでしょう。それでは今宵からは、暗い闇の夜の時雨の降る折には、又心にしみることを味わう事になるでしょう。斎宮の雪の夜に劣らない心地もすることでしょう」などと言って、別れにし後は、自分が誰だと知られまいと思っていたのだが、翌年の八月に、宮が内裏へ入らせ給う時にお供して、夜もすがら殿上にて管弦の御遊びあったとき、この人が伺候されていたことも知らず、その夜は下局で夜明かしして、細殿の遣戸を押しあけて外を見ていると、明け方の月が、あるかなきかにおかしいのを見ていると、退出する人々の沓の声が聞え、読経する人もあり。その読経をする人は、この遣戸口に立ち止まって、物など言うのに答えると、その人はふと思いだして、
   「時雨の夜こそ、片時も忘れず恋し侍れ」
 と言うので、殊更長く答えるほどでもないので、
   「何さまで思い出でけむなをざりの木の葉にかけし時雨ばかりを」
 とも言い終らぬうちに、人々が又来合わせたので、そのまま局にすべり込んで、その夜のうちに、私は退出してしまった。
 ところが、あの時雨の夜一緒だった女房を尋ねて、返歌をされていたなど、後になって聞いた。「『あの時雨のようなときに、ぜひ琵琶の音を私の覚えている限り弾いて聞かせましょう』とのことでした」というのを聞くにつけても、それを聞きたくて、私もその機会を待っているのに、いっこうにその気配もない。
 翌年の春ごろ、のどやかなる夕暮れ時、その人が参上されたと聞いて、あの夜に一緒だった女房といざり出てみると、外には人々が参り、内にもいつもの女房たちがいるので、私たちは出ようと思ったが引っ込んでしまった。あの人もそう思ったのであろうか、しめやかなる夕暮をおしはかって、参上されたのだけれど、騒がしかったので退出されたようである。
   「加島みて鳴門の浦にこがれ出づる心は得きや磯のあま人」
とばかり詠んで、お終いなってしまった。あの人柄も、いとまじめで、世間によくある人と違って、私たちのことを「その人はかの人はどうしていますか」などと、尋ね問うこともなく時が過ぎてしまった。
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