第3話 三、ひき布を晒しける家の跡(まの)(くろとの浜)

文字数 576文字

 十七日の早朝に、出発した。昔、下総(しもつさ)の国に、「まののてう」といふ人が住んでいた。ひき布を千むら、万むら織らせ、晒していたという家の跡とかで、深い河を舟で渡った。昔の門の柱がまだ残っているようで、大きな柱、川の中に四つ立っていた。人々が歌よむのを聞き、心のうちに、
「朽ちもせぬこの河柱残らずは昔の跡をいかで知らまし 」
その夜は、「くろとの浜」という所に泊まる。片側はひろい山のような所で、砂がはるかに遠くまで白く、松原が繁り、 月がとても赤く見え、風の音もひどく心細そうに吹いている。人々は面白がって歌詠みなどするなかに、
  「まどろまじこよいならではいつか見むくろとの浜の秋の夜の月」
※「まの」という人物や「くろとの浜」という地名は現在はない。布を晒して商売し、金持ちだった人が一世を風靡し、今は何も残らず消え去ったのだろう。人生とはそういうものかもしれない。作者は十四歳ながら短歌の教育を受け、その才能も優れていた。旅での状況を、即興の短歌で表わし、それを聞いた他の人が、また歌を詠む。平安時代はこの文化で雅な心をあらわし、短文で見事に表現している。この短歌のやりとりが、日記の中に随所に出てきている。藤原定家がこの本を発見し、世間に公表したのは、この短歌の素晴らしさと、当時の宮中勤めの経験談などで気に入っていたのではないだろうか。
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