第91話 短歌と返歌の詠み合い

文字数 1,301文字

 平安の頃は、短歌というものは、貴族にとっては必須の教養であったのでしょう。親が子供に教え、短歌を作って、相手に送り、送られた貴族は返歌をつくり、送る。更級日記では、毎日の生活のなかで心に浮かんだ自然の現象あるいは人間関係などを歌に詠み、父娘のあいだでやり取りするシーンがあります。父が国司として単身赴任しているとき、娘のことを想い懐かしみ短歌を送る。
”吾妻より使いの人がやって来た。父の手紙に「神拜というおつとめをして、常陸の国の内を歩き回っていたところ、水の流れに趣があり、野原が、広々としている。木が群がっている、興味深い場所だ、貴女に見せてやりたいと、まず思い出して、「ここはどういう所ですか」と問うと、「子を偲ぶ森と申します」と答えたのだが、身につまされて、ひどく悲しくなったので、馬より降りて、そこを長い間ぼんやり眺めていた。
    「とどめおきてわがごとものや思ひけむ見るにかなしき子を偲びの森」
となむ思った」とあるを、見る心地、言えば、なおさらなり。返事に、
    「子しのびを聞くにつけても留め置きし秩父の山のつらきあずま路」”
このような状況のとき、歌を詠むのだということが、よく分かりました。
 
 枕草子においても、宮中の舞姫の場面で、衣裳の紐が解け、それを結びたいと思っていると、実方の中将が舞姫の解けた紐を結んでやり、そのとき彼は短歌を即席で詠んだ。それに対する返歌をするのが礼儀であった。しかし舞姫はまだ十分教養を身に着けていないので、即席の返歌が詠めないでいた。それを見た清少納言が短歌を作り、女房に伝える場面がある。
”小兵衛という女房の赤紐が解けていたので(小兵衛)「この赤紐を結びたい」と言うと、実方の中将、近寄ってきて結びなおすのだが、なにか様子ありげである。
    「あしひきの山井の水はこほれるをいかなる紐の解くるなるらむ」
と、詠みかける。小兵衛は年もまだ若い女房で、表舞台の経験も浅く、言いにくいのか、返歌もせず。その傍らにいた女房たちも、ただ見守っているだけで時が過ぎ、ともかく何も言わないので、宮司などが耳を聴きとどめ、返歌に時間がかかりそうなのを、いたたまれなく思ってか、異方より入って、女房のもとに寄ってきて、(宮司)「なんでまた、こんな状態のままなのですか」などささやき告げた。四人ばかり隔てたところに私 はいたので、いい考えがあったにしても、言いにくい位置である。まして、歌詠み人として世に知られた実方の中将の並大抵ではない、気迫の籠った歌に対して、どのような返歌ができようかと、気後れしてしまうような自分が体裁が悪くおもわれた。(宮司)「歌を詠む人はそんなに愚図愚図してはいけません。それほど優れた歌でなくても、大切なのは敏速に返歌をすることである」と爪弾きをするように女房たちを責めてまわるので気の毒に思い。
  (清少)「うは氷あわれに結べる紐なればかざす日かげにゆふるばかりを」
という返歌を作り、弁のおもとという女房に伝えさせると、この女房も消え入るばかりに言い伝えきらず、(実方)「なんといっているのか、なんと」と、耳を傾けながら問うのだが、”
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み