第4話 四、大井川兄に抱かれ渡る(まつさと) 

文字数 1,078文字

そこを早朝に、出発して、下総の国と、武蔵の国との境にある太井川という上の瀬、松里の渡りの津に泊まり、一夜、舟にて取りあえず色々な物などを渡した。私の乳母だった人が、夫を亡くし、国境で子を出産したが、われわれと離れて別に京に上ることになった。とても恋しく、乳母の所へ行って見たいと思って居たところ、兄上が私を抱いて、連れて行ってくれた。人は、かりそめの仮の家だ、などと言うのだけれど、風がすさまじく引き渡っていくし、これは、男などが付き添わねば、どうしようもない状態だった。苫という藁で編んだ筵のような物を、一重だけ敷いてあるのだが、月が煌々と差し入る中を、紅の衣を上に着て、難儀ながら、寝ているのだった。このような人にしては珍しく色白で清楚な感じである。髪をかきなでながら涙が止まらなかった。あわれに見捨てがたく思うけれど、いそぎ戻って行かなければならない心地、やりきれない感じである。おもかげを記憶して、悲しいけれど、月の興趣も思いも付かなく、宿舎にもどり臥して寝てしまった。
その翌朝、舟に車を据え付けて渡し、向こうの岸に車を曳きたてて、見送りにきた人々は、これ先へは行かず、皆帰っていってしまった。京へ上る者は止まって、行き別れることの辛さに、行くも人も帰る人も止まって、皆が泣いて別れを惜しんでいるのだ。この光景は、幼い心にも悲しく哀れに見える。
※この状況の描写は切実感があり素晴らしい。実の母でなく乳母に育てられる貴族の娘は、賢い乳母にあたると、その人の影響を受けることが多いだろう。市原の四年間の乳母だったのか、それとも京都でうまれた時から乳母だったのか分からないが、引っ越しの際、乳母も妊娠し子供ができた。別行動で引っ越しをする。作者は愛しい乳母がどうしているか、会いたくなり、兄者に連れていってもらう。乳母の泊まっている所は、屋根だけなのだろうか、寒い風が吹き込むような所。赤子と横になっている姿は、作者に哀れに感じられた。紅の衣を上にかけているが、返ってそれが痛々しい感じがする。一緒に移動すれば、もっと大切にしてあげられるのにと、作者は思って泣く。旅そのものが、当時は厳しい試練のようなものだ。出産したばかりの女性が赤子と移動するのは、猶更大変だろう。夫なる人も傍にはいないようだが、現代から考えると、過酷というような状況での旅だったのだろう。しかし周りの人の生活も厳しい自然の中での、同じ状況だったのだろうから、これはしょうがない運命だと考え、日々を生きていったに違いない。そんな状況の中だけれど、作者の日記の描写は、見事ですばらしい。
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