第64話 六四、大嘗會に初瀬詣で

文字数 2,708文字

 その翌年の十月二十五日、大嘗會の御禊ということで大騒ぎしているときに、初瀬詣での精進を始めており、その御禊の当日、京を出発と決めていたが、しかるべき周囲の人々が、「大嘗會は天皇一代に一度しかない見物なので、田舎の世の人だって見に来るというのに、月日は沢山あるのだから、その日に京を出て行くというのも、なんとも酔狂なはなしです。長年の語り草になるほどの事ですよ」など、兄者なる人が言い、 腹まで立てるのだけれど、子供たちの親である夫は、「たとえ兄が何と言おうとも、初瀬詣でをやろうと決めたあなたの、心に沿うようにしていいのですよ」と私のことを理解してくれ、旅立ちさせてくれた。夫の心遣いは、身に沁みる有難いことでありました。
 ともに行く人々も、いと御禊を見物したそうにしているので可哀想に思いもしたのだが、「見物しても何になろうか、こんな機会に参詣しようとする心ざしは、仏さまは汲み取ってくれるでしょう。かならず仏様の御しるしが現れるはずです」と思いたって、その明け方に京を出る。だが、二条の大路付近を、渡っていく時に、先頭に仏前に捧げる燈明を持たせ、供の人々も浄衣姿であるのが、大勢、桟敷などに移ろうとして、あちこち行きかう。馬に乗る人も牛車の人も、「あれはなんだ、あれはなんだ」と、ただ事ではないように言い、驚き、あざけ笑い、馬鹿にする者どももいる。
 良頼の兵衛督と申す人の家の前を通り過ぎるとき、そこでも桟敷へ渡り給うところだろう、門を広く押しあけて、人々立っているが、「あれは物詣に行く人だろうな。月日は世の中にいくらでも多かろうに」と笑うなかで、どんなに心ある人だろうか、「ほんの一時、目を楽しませたところで何になるというの。こんな日に真剣に思い立ちなさり、仏の御徳を必ずや見給われるべき人であるに違いない。たわいもない。御禊の見物などしないで、こういうときこそ物詣でを思い立つべきだったのだ」と真面目に言う人が、一人だけいる。
 道中は目立たないようにと、深夜のうちに出たので、立ち遅れたる人々も待ち合わせ、恐ろしいほど深い霧が、もすこし晴れるまで待とうということで、法性寺の大門に立ち止まっていると、田舎より御禊見物に上京する者どもが、水の流れるように途切れないで見える。すべて道も人並でよけきれない。物の心も知らないような童までが、ひきよせて行き過ぎていく私たちを、その車に驚きあきれ返っているほどである。こんな状況を見るにつけ、本当にこんな日に出立したのが良かったのだろうか思うのだけれど、一心に仏を念じたてまつりながら、宇治の渡場に行き着いた。
 そこでも いま猶、こちらの方に舟で渡ってくる者どもが立込んでいる。舟の楫を操っている男は、舟を待つ人の数も数え切れぬ状況を知ってか、心がおごりっているような面持ちで、袖をまくりあげて、棹を顔にあてて、棹にもたれかかって、すぐには舟を寄せず、うそぶくように周りを見まわし、憎らしくすました顔をしている。無期になかなか渡ることが出来ずに、つくづくと見ていると、源氏物語に宇治の宮の姫君たちの事が書かれてあるが、なぜこのような所に、姫君たちを住ませたのだろうかと、興味をもった場所ではないか。ほんとうに趣ある場所だなと思いながら、かろうじて向こう岸に渡って、関白殿の御領の宇治殿に入って見ていると、浮舟の女君はこのような場所に住んでいたのかなど、懐かしく思い出される。
 夜の明けない内に出てきたので、人々は疲れ果て、「やひろうち」といふ所にて休み、物を食べたしている時に、供の者たちが、「ここは盗賊のでる高名な栗駒山ではありませんか。日も暮れがたになってしまった。皆さん調度した弓や矢など手放さないでください」と言うのを、いと物おそろしいと思って聞く。
 その山は無事越えて、贄野の池のほとりへ行き着いた頃、日は山の端にかかってしまった。「今は宿の手配をしなさい」と言って、人々は分かれて、宿を求めるが、中途半端なところで、「あやしげなる下衆の小さな家しかありません」と言うので、「仕方ありません」ということで、そこを宿とした。家の者はみな京の方へ出かけて行ってしまいました」と言って、賤しい男二人だけがいた。
 その夜は寝るに寝むれず、この下男が出たり入ったり歩き回り、奥の方にいる女たちが、「どうして、そんなに歩きまわるのだ」と問うと、「いやなに、心も知らぬ人を宿として泊めたてまつり、釜でも盗まれたならば、大変なことになると思って、寝ないで回りを歩いているのです」と、私が寝てしまったものだと思って言うので、それを聞くと、気味悪くもおかしくもある。
 翌朝そこをたって、東大寺に寄り、拝みたてまつる。石上神社も、まことに古びて、心配になるほど、ひどく荒れはてていた。
 その夜は、山辺といふ所の寺に宿り、ひどく疲れていたのだけれど、経をすこし読みたてまつった。それから休んだ夢のなかに、非常に高貴な方で清らかなる女性の人がいらっしゃった所へ参上したところ、風が激しく吹いている。その人は、私を見ると、すこしお笑いになって、「何をしにおいでになったのですか」と問いたまうので、「どうして参上しないでおられましょう」と申し上げると、「あなたは、内裏に上がることになっています。博士の命婦とよく相談するのがよいでしょう」とのたまわれたかと思うと、夢から覚め、それが嬉しくて頼もしくて、いよいよ熱心に念じたてまつりて、初瀬川などうち過ぎて、その夜、長谷の御寺に詣で着いた。
 お祓いなどして御堂に上る。三日間お籠もりをして明け方退出しようと思って、うとうとまどろんだ夜、御堂の方より、「それ、稲荷より賜はる霊験あらたかな杉ですよ」と言って、物を投げ出すようにするので、はっと驚き目を覚ますと 夢であった。
 明け方、夜深い内に長谷寺を出て、途中の宿に泊まらなかったので、奈良坂のこちらよりの家を尋ねて宿泊させてもらった。これもみすぼらしい小家である「ここは、怪しげな所らしい。ゆめゆめ眠りなさるな。思いがけないことがあるかも知れない、ああ恐ろしいこと、しかしおびえ騒がないでください。息を殺して寝てしまってください」と言うのを聞くにつけても、なんだかわびしくて恐ろしくて、夜が明けるのを待つ間、千年を過ごす心地である。かろうじて夜の明け初める頃、「これは盗人の家です。あるじの女が、うさんくさい事をしていたのですよ」などと言う。
 すごく風の吹く日、宇治の渡しを越えると、網代のごく近いところまで舟が漕ぎ寄った。
   「音にのみ聞きわたりこし宇川の網代の浪も今日ぞかぞふる」

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