二章・冬の始点(4)

文字数 3,915文字

 駅舎で切符を買って、座って待つこと数十分。
 しばらくすると馬車がやって来た。中を見ると他に乗客はいない。新たに乗り込む客も自分だけ。運良く貸し切り状態らしい。
「ハコダテまではどのくらいかかります?」
 切符を切られながら質問すると、愛想の無い御者はグルグル巻きにしたマフラーの下で「四時間くらいだね」と呟いた。思ったより長い。普段は飛んで移動するものだから陸路の感覚はいまいちわからない。
 ここからハコダテまでの間に停留所は無いらしい。それじゃあ着くまで完全に貸し切りなわけだ。この男は会話したいタイプに見えないし手紙でも書くとしよう。あの親子から注文が来たなら送料をまけてやれと、忘れないうちに指示しておかなければ……。

 そうして二時間が経った頃だった。

 とっくに手紙を書き終えて暇を持て余していたクルクマは、小さな窓から景色を眺めてみる。ホッカイは大陸の北に突き出した大きな半島で、その大半は未だ手付かずの未開の土地。このあたりも街道以外は何も無い原野である。
 天候は回復しており、風が穏やかになって、雲間から陽が差し込んでいた。
「すごいな、もう雪が積もってる……まだ十一月の頭なのに」
「お客さん、よそから来たのかい?」
「ええ」
「だったら驚くのも当然か。ホッカイじゃこの時期から積もっちまうんだよ。馬車もそろそろ使えなくなるね」
「冬の間は運休を?」
「いや、犬ぞりに切り替える。馬車ほど大勢は運べないが、冬の間はそれでも貴重な収入源さ」
「なるほど」
 ちょっと来るのが早すぎたかもしれない。どうせならそっちに乗りたかった。
「お客さん魔女だろ?」
「わかります?」
「長年色んな人を乗せて来たからね。魔法使いは、なんとなく雰囲気が違う。それに本当の歳こそわからんが、見た目子供のアンタが一人旅をしとるんだ。普通の子だと言われるよりかは納得できる」
「言われてみれば、そうですね」
 もう少し成長した段階で年齢固定化処置を受けていたら話は違ったのだろうが、師匠は自分を弟子にしてすぐ強制的に処置を行った。子供の方が逃げられにくいし、不老にしておけば長くこき使えると思ったからだそうだ。
 こっちからすれば迷惑な話である。
「ホッカイには何をしに?」
「知人と会う約束が」
「ほう、その人も魔女かい? こんな田舎じゃ珍しいね」
「男ですよ。魔法使いなのは当たりです。研究一筋の人でしてね、北の大陸の言い伝えを信じて長年観察と調査を続けています」
「あ~、なるほど、あのおとぎ話かい」

 ──千年近い昔、この世界に“魔王”が現れ、破壊と殺戮を繰り返した。彼女との戦いによって元々あった北の大陸は失われ、代わりに古代の魔法使い達が氷の大陸を生み出し、その地に魔王と眷属である魔物を封印した。北の海域に漂う霧の障壁の向こうでは彼女達が今も生き続けている。
 そんな伝承がある。真偽の程は不明だが、実際北の海には常に濃い霧が漂っていて、中に入った船は方向感覚を見失い、必ず元いた場所に戻ってしまう。向こう側の秘密を知りたがっていた師の言葉によると、あの障壁がなんらかの魔法による結界なのは間違い無いらしい。
 答えを知っているかもしれない人間は現在でも数人いて、そのうちの一人とは最近知り合った。だが訊いても素直には教えてくれないだろう。彼女は“ゲッケイの弟子”を警戒している。
 あるいは、それ以外の自分を──

「その人も酔狂だね、魔物なんているはずないのに」
「ええ、そう思います」
 クルクマもこの昔話は眉唾物だと考えていた。どれだけ調べても本当に魔物やその王がいたという証拠が見つからなかったからだ。
 けれど、最近少しずつ認識が変わりつつある。あんなことがあったから。
(師匠の変異……本来器に影響されるはずの魂が、逆に器を浸食して起きた現象……)
 あの時の師の姿は正に“魔物”そのものだった。
 あんなことが可能なら、ひょっとすると“魔王”とはそれを人為的に起こしていた古代の魔法使いか何かなのでは? 言い伝えでもその力は“生物の本来の在り方を歪める”と語られている。
 だとしたら、その技術を上手く利用することで自分も……。
 考え込んでいると、目の前に銀色の筒が差し出された。
「お客さん、飲むかい? あったかいお茶」
「あ、これはどうも、いただきます」
「ビーナスベリー工房は便利なもんを作ってくれたよ。こんな仕事をしてると体が冷えてしょうがないからさ。いつでも熱々の茶が飲めるこの“魔法瓶”は本当に助かる」
「私、こないだ少しだけあの会社で働きましたよ」
「本当かい? じゃあ教えてくれよ。あの会社の社長さんはえらくちっこい子供みたいな魔女だって聞いたことがあるんだが」
「ああ、それは本当です。見た目は五歳児なんですけど、とにかくおっかない人で」

 ──などと話をしつつ、第一印象と違っておしゃべり好きな人だなと苦笑した時、それは飛来した。

「伏せて!!
「えっ」
 咄嗟に展開した魔力障壁は左手の雪原からいきなり放たれた無数の閃光によって容易く砕かれた。馬達と御者の体にいくつもの穴が空き、血飛沫が上がる。
 さらに、続けざまに襲って来た強烈な突風が馬車を横倒しにした。車体が粉々にならなかったということは、この攻撃は手加減されたもの。
 となると、敵の狙いは──

「出てこい、ゲッケイの弟子。まだ死んでいないことはわかっている。魔力障壁で自分を守るくらいのことはできるだろう?」

 やっぱりか。クルクマは倒れた馬車の扉を蹴り開け、要望通りそこから外へ這い出してやる。
 視線の先に立つのは今朝食堂にいた男。濃い茶色のクセッ毛で、見た目は二十代の後半。若干タレ目で長身の優男。彼女の顔を見るなり大仰におどけてみせる。
「なんと、あのゲッケイの弟子にしては素直で良い子じゃないか。その調子で私に教えてくれないかな?」
「何を? 道を尋ねるにしちゃ乱暴なやり方ですけど」
「もちろんそんな話じゃないよ。皮肉好きなところはあのババアに良く似てるね。すでに察しているんだろう? 聞きたいのは遺産の在り処だ」
(あちゃー)
 額に手を当てるクルクマ。予想通りの手合いだった。師の遺産はあらかた消滅しましたと正直に教えてやっても、この手の輩は絶対信じないだろう。
 嘆きつつ、さりげなく右手を後ろに回す。だが男は見逃さなかった。右手を掲げて掌をこちらに向ける。
「おっと、お嬢さん、下手な真似はするな。さっきのでわかっただろう? 君の魔力じゃ私の攻撃は防げない」
「いやいや、あちらにいるお連れさんの攻撃では?」
 左手で雪原の真ん中を指す。もう一人そこにいることは特定済みだ。かなり高度な隠蔽魔法だが、自分を欺けるほどではない。なにせこっちは世界一他人を騙すのが好きな老婆の弟子である。
「なるほど、君の特技は探査魔法か。彼女の隠形を見破るとは良い腕だ」
「そりゃどーも。とりあえず、これは捨てますね」
 ゆっくりと右手を相手に見せ、腰の後ろのホルダーから引き抜いた短剣を地面に捨てる。格上の魔法使い相手にこんなもの持っていてもしかたがない。
 けれども男は片眉を上げた。
「随分諦めがいいな……君、本当にあのババアの弟子か?」
「ええ、残念なことに、あのババアの弟子です」
 本当、どうしてあの時あんな選択をしてしまったのだろう? 才害の魔女の弟子になるくらいなら社会の荒波に揉まれて野垂れ死んだ方が何万倍もマシだった。

 ──そう、思っていた。

 でも今は違う。あの婆さんに感謝なんてしていないけれど、彼女の下で得た経験は今の自分に必要なものだ。
 けれど、まだ足りない。もっともっと強くなりたい。
 あの子のために。
 どこからか甲高い音が聴こえ始める。女の金切り声のような、風を切り裂く刃のような、鋭くて恐ろしい唸り声。
「ん? なんだ、おい、なんの音だ?」
 もう気付かれた。やはり静粛性を高めることが今後の課題。
「背中だな? おい君、そこに何を隠している?」
「何……って」
 力が流れ込んで来る。こんな時のために用意しておいた切り札が空気中に漂う“とある物質”を魔力に変換してクルクマの体内に送り込む。
「こいつはただの、企業秘密ですよ!」
 一気に間合いを詰めるクルクマ。男は咄嗟に攻撃魔法を放って来たが、魔力障壁を斜めに展開して受け流す。
「なっ!?
「チッ!!
 すかさず放ったこちらの魔力弾も防がれた。自分の魔力に装置から受け取った魔力が上乗せされる分、疑似的に出力は上昇している。それでもまだ差は大きい。
 次の瞬間、雪原から閃光が放たれた。狙いはクルクマの足。口さえ利ければそれでいいと思ったのだろう。
 だが、その攻撃もまた防ぎ切る。への字型魔力障壁の多重展開。魔力で劣っていても技術があればある程度は補える。
(まあ、ギリギリだけど!?
 やはり凄まじい威力だ。一枚目の障壁は完全に砕かれ、二枚目も辛うじて攻撃の軌道を変えただけ。
 連射されたらおしまい。そう判断した彼女は狙いを付けさせないよう動きに緩急をつけつつジグザグに走る。
 圧倒的に魔力の強い相手が二人。勝てるか?
「やるしかない!」
 彼女はもう一度腰の後ろに手を伸ばし、ベルトで固定してある装置のツマミをひねった。こうなったら試運転も兼ねて限界まで使い倒してやる。
 先日のオサカの一件で無事ホムンクルス素体を手に入れた彼女は、アイビーにある物を報酬として要求した。それは世界一の大企業ビーナスベリー工房が抱える大いなる秘密の一端。

 その名も、魔素(まそ)吸収変換装置。

「全力運転、開始!」
 空気を吸い込むためのファンが高速回転する。そし、さらに大きな魔力が彼女の体内に流れ込んで来た。
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登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

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