一章・彼女の疑問(2)

文字数 2,868文字

 一時間後、村から少し離れた衛兵隊の訓練場。マドカは三つ子達によってタキア支社へ連行され、スズランはいつものようにナスベリから指導を受けている。
 同時に、彼女達のすぐ横ではモモハルも鍛錬を行っていた。
「にひゃくきゅうじゅうなな! にひゃくきゅうじゅうはち! にひゃく、きゅうじゅうきゅう!」
 いつものように木剣で素振りを繰り返す彼。すぐそばで師のノコンが見守っている。白金色の髪が汗のせいで額に張り付いていた。邪魔くさい。後でお母さんに切ってもらおうなどと考えつつ最後の一振りを行う。
「さん、びゃく!」
「よしっ! 一年足らずで最初の三倍の素振りをこなせるようになったな! 見事な成長だぞ、モモハル君!」
 弟子の努力を称えるノコン。彼は部下には厳しいが弟子に対しては褒めて伸ばすタイプのようだ。しかし、その弟子はいまいち不服そうである。荒い息をつきながらスズラン達の方を見やり、静かにぼやく。
「あっちのほうが、すごい……」
「たしかに。しかし人にはそれぞれに合ったペースがある。そもそもスズラン君を基準にして考えるべきではない。彼女は特殊な例だ」
 苦笑し、弟子の頭を軽く小突くノコン。その顔にはゆらゆら揺らめく奇妙な影が差していた。スズランの生み出した巨大な水球が空中に浮かんでいるからだ。

「うんうん」

 同じくそれを見上げて感心するナスベリ。水球の形は今も少し歪つ。それに不必要に大きい。とはいえ去年の秋まで水を球体にすることさえ苦戦していたことを鑑みると十分にめざましい進歩だと言える。しかも落ち着いた状態で術の制御をこなしている。以前なら少し失敗するたび、いちいち慌てて力んでいたのに。多少のミスには動じず即座にリカバリーできる胆力も身に着けつつある。
(ノコンのダンナがモモハルを可愛がるわけだ)
 日に日に成長を感じさせてくれる優秀な弟子は、師にとってかけがえのない宝なのだと、スズランの指導役を引き継いだことで理解した。ましてや努力家だったり覚えが良かったりすると、教える側も相応にやる気が出る。
「よしよし、いいぞ。何度も言ってるが、魔力のコントロールに一番大事なのは“自分を()る”ことだ。心を落ち着けりゃいいってもんじゃねえ。自分の限界、術との相性、魔力の流れる経路、今の体調。できる限り正確、かつ詳細に把握しろ。より無意識に近い形でそれができるようになりゃ、外へ気を配る余裕が生まれる。自分を見つめながら、同時に力を借りる精霊や神様への呼びかけも続けるんだ。特に精霊には言葉が通じねえ。曖昧なイメージでなく正確な像を思い描いて、どういう風に力を貸してもらいたいのかしっかり伝えろ」

 ナスベリが教えているのは魔法を扱う上での基礎。
 その基礎をスズランは長年疎かにしていた。
 だからこそ舌を巻く。

(ほんと大したもんだな。流石はウィンゲイトの神子)
 基礎がなっていないのに、まがりなりにも魔女としてやって来られたのはセンスが優秀だからだ。そのため自身の強大な魔力に対する怯えが払拭されて以来、驚くべき成長速度で上達を重ねている。天才とまでは言えないが、それに近い才能の持ち主である。

 この才能というやつには種類がある。
 努力で覆せるものと、どうしようもないもの。
 魔力制御は前者で、スズランの人知を超えた魔力は後者。

 だからこのまま研鑽を重ねていけば、いつか彼女は“森妃の魔女”アイビーのような偉大な魔法使いになるだろう。三人目の師として、その日が今から楽しみでならない。
 ただ、やはり一朝一夕にその領域へ辿り着けるわけではない。スズランが「あっ」と声を上げた瞬間、制御に乱れが生じて頭上の水球が弾けた。
 滝のように降り注ぐそれを魔力障壁で防ぐナスベリ。スズランも辛うじて防御できたが、近くにいたモモハルとノコンは思い切り被害を受けた。
「ごめんなさい!」
「いや、気にしなくていい。今日は日が照っているからな、すぐに乾く」
「すっきりした~」
 ノコンの言葉は若干の強がりを含んでいるものの、モモハルの方は心底爽やかな笑顔で喜ぶ。汗だくになった体を洗い流され気持ち良かったらしい。
 とはいえ──
「そのままじゃ風邪引くぞ。明日出発だろ? 乾かしてやっからこっち来い」
 苦笑を浮かべたナスベリは優しく手招き、モモハルに呼びかける。彼女にとって親友の子である彼とスズランは、どちらも甥と姪のようなものなのだ。

 ほどなくして村への帰路に着く四人。
 時刻は間も無く正午を迎える。
 並んで歩きつつ、ノコンは子供達を見つめた。

「イマリへ家族旅行か、羨ましい話だ」
「だなあ」
 相槌を打つナスベリ。
「あそこはいいとこだぜ、アタイも久しぶりに行きてえや」
「お二人はイマリに行ったことが?」
 スズランが訊ねると、ナスベリは首を縦に振り、ノコンは横に振る。
「いや、私は話に聞いたことがあるだけだ。傭兵時代にあちこち回ったものの南方までは足を運んだことが無くてね」
「アタイは仕事で一回、プライベートで一回だな」
「プライベート?」
「おば……ロウバイさんに診てもらったことがあるんだ。記憶を失ってた時にな。あの人は医者としても超一流だし、なによりアタイと面識があったからよ。記憶が回復するかもしれねえってんで、社長が連れて行ってくれたのさ」
「なるほど」

 そういうことかと納得するスズラン。ナスベリとロウバイの関係については以前聞いたことがあった。縁とは不思議なもので、ゲッケイに操られココノ村を襲った彼女は少女時代のナスベリが森で出会った二人の魔女の片割れでもあったらしい。
 極端に冷気の精霊に好かれる体質のせいで長年乗りこなせずにいたホウキも、ロウバイに手伝ってもらって捕獲し、契約したのだそうだ。飛び方の基礎も彼女に教わったという話だから弟子のようなものである。

「まあ、結局ロウバイさんでもアタイの記憶の封印は解くことができなくてよ、その後はたまに手紙をやり取りするくらいだったな。心配してくれてたんだけど、アタイは記憶が無くてもいいと思ってたし、色々忙しかったから、なかなか返信が書けなくて……今さらだけど恩知らずなことしてたよな」
 バツの悪い顔で頭を掻くナスベリ。記憶が戻った後も、なかなかキッカケが無くて謝ることができていないという。
「じゃあさ、ナスベリさんもいっしょに来る?」

 モモハルが問うと、彼女は苦笑を浮かべた。

「そうしたいのは山々なんだが、いよいよ支社の建設が本格的に始まったところだからな。トップのアタイが長く留守にするわけにはいかねえよ」
 なにせ建設工事もビーナスベリー工房の社員が自ら行うのだ。あの三つ子を始めとして鉱物の操作に長けた魔法使いが多く在籍しているため、その方が手っ取り早い。
「残念です。しばらくナスベリさんの指導は受けられないんですね」
 嘆息するスズラン。世辞ではなく本気で気落ちしている。ナスベリが優秀な弟子を気に入ったように、彼女もまた優れた師を気に入ったのだ。クルクマ、アイビーという二人の先達に比べても抜群に教え方が上手い。
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登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

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