八章・少女の英雄(3)

文字数 4,110文字

「──それから数日後よ、私が異変を感知したのは」
 静まり返った食堂で、辛い記憶を語りやはり沈黙してしまったナスベリに代わり、アイビーが説明を引き継ぐ。
「魔法使いの森西部で、ありとあらゆるものを凍らせながら歩き続ける少女が目撃された。明らかに正気を失っており、目的もなくただ動き回るだけのそれは最早災害と変わらない。森の管理者として対処に出向いた私は、そこで自分の目を疑った」

 災害を生み出しているのは、かつて同じ森で出会い、いつかの再会を約束したナスベリだった。

「私を見た瞬間、この子の魔法の暴走は止まった。それで直感したのよ。ナスベリは多分、何もかも忘れてしまっても、約束だけは律義に果たしに来たんだろうと」

 だから彼女も覚悟を決めた。

「私は、どうしてもこの子を元に戻してやりたかった。森へ到るまでの足跡を辿り、街で起きた惨劇を知って、記憶を全て封じてしまいたくなるほど辛いことがあったのも知った。けれど、それでも以前のナスベリに戻って来て欲しかった。まあ、つまりこの子の強情でまっすぐな気質が気に入ってたのよ」

 そしてビーナスベリー工房──当時はまだ“魔道具開発工房”という名前だった会社へ連れ帰り、社員達と協力して面倒見た。記憶を完全に失ったナスベリは赤子同然になっていたが、封印の原因となった惨劇に無関係な知識は比較的簡単に蘇り、一年ほどで会話が会話なレベルまで回復した。

「あとはナスベリ、貴女の知っている通り。私達に恩義を感じた貴女は工房で働きたいと言い出した。元々才能があったんでしょうね。綿が水を吸うように知識と技術を吸い込み、高い社交性まで身に着け、瞬く間に社内で頭角を現していった。十年後、私が貴女を後継者に指名した時、誰もなんら異論を唱えなかったほどに」

 ──本人には言えないが、アイビーはこの娘が愛おしくなった。千年近く生きていても、こんな体だから当然、子を生したことはない。けれど彼女のおかげでやっと子育ての喜びを知った。
 そんな関係だから、多少の贔屓目があるのも事実だ。それでも誰もが認めている。工房を継ぐべき人間がいるとしたらナスベリだと。彼女はそう評されるに相応しい努力と実績を積み重ねてきた。

「これが、貴方達の知らなかったナスベリの過去。私から話せることは以上よ」
 アイビーがそう言って締め括ると、食堂にはいくつものすすり泣きだけが響いた。誰も一言も発せず、ただ俯いて泣いている。
 改めて自分達の所業を悔いている者がいれば、ナスベリに強く同情している者もいた。
 もしそれだけだとしたら、アイビーはすぐさま彼等に別れを告げ、ナスベリをオサカへ連れ帰っていただろう。
 しかし──

「レンゲ! 手伝え!」
「あなた?」

 急にサザンカが立ち上がって鼻息荒く厨房へ入って行った。その姿を見た妻のレンゲはすぐに夫の考えを読み取り、自らも後に続く。
 村長が赤く腫れた目を二人に向けた。
「お前さん達、何をする気だ?」
「飯だよ! どいつもこいっつも、せっかくナスベリが戻って来たってえのに、いつまで辛気臭ぇ面して落ち込んでやがんだ!? 美味ぇ飯と酒でもかっ喰らって元気出せ!」
「そうよ、カズラとカタバミ以来の帰省者じゃない。ここは派手に歓迎しなきゃ。どうせ今はクルクマさん以外にお客さんもいないし、ぱーっと食材使い切っちゃいなさい!」
「たりめえだ! 足りなきゃカズラの店から買って来い!」
「……うちに置いてるのは保存の効く食品ばかりだよ。でも、たしかにそうだね。暗い顔してちゃもったいない」
 カズラも立ち上がり、玄関へ向かう。
「都の旧友から送ってもらった蒸留酒がある。名酒らしいんだけど僕は飲めないからまだ手つかずだ。すぐに持って来るよ」
「なら、うちの畑からも野菜を取って来るか」
「肉ならワシに任せな。ちょうど三日前に鶏を絞めて熟成させてたところさ」
「いい時期に帰って来たなナスベリ。腹一杯カニを食わせてやれる」
 老人達も立ち上がり、次々に動き出した。
 ウメは厨房へ向かう。
「サザンカ、アタシにもちょいとここを使わせておくれ」
「お、そりゃ構わねえが、何を作るんだい?」
「みかん豆腐さ。昔、お前さん達にも何度か食わせてやったろ。ありゃ実はリンドウから教わったもんでね、ナスベリの好きなデザートなんだってさ」
「おおっ! それなら最優先で作ってやってくれ!」
「いや、待って、そこまでしなくても──」
「いいから!」
 立ち上がろうとしたナスベリを強引に椅子へ押し戻すカタバミ。苦笑しながら隣の椅子に腰を下ろす。
「やらせてあげてよ。皆、あんたやご両親に謝りたかったんだ。なのに、あんたはそんな必要無いって言うし、リンドウさんとトリトマさんはもういない。だったらせめて、これくらいしないと気が済まないでしょ」
「……」
 たしかにそうかもしれない。納得したナスベリは住民達の厚意を素直に受け取ることにした。
「それで、なんでオマエは座ってんだよ?」
「あの厨房に四人も入ったら身動き取れなくなるわ」
「んなこと言って、料理なんかできねえくせに」
「馬鹿言わないで、もう十年以上も主婦してんのよ? うちの子なんかね、あたしの作るムオリスが世界一美味しいって言うんだから」
「へえ……」
 最悪の魔女の娘。そんな大変な子供を引き取って、きっと苦労しているだろうと思っていたが、この笑顔を見るにそうでもないようだ。
「幸せなんだね、カタバミ」
「当たり前でしょ。だからあたしは自慢してやるわ。あんたがいなかった間の、この村のことを聞かせてあげる。特にカズラと結婚してからのことをね」

 ニッと笑うカタバミ。
 ナスベリの胸は少し痛んだが、同時に温かくもなった。
 結婚した人間が全て不幸になるわけではない。
 むしろ父と母の関係が例外だった。
 それを再確認できて安心したし、かつての宿敵の幸福に喜びも湧く。

「ナスベリ、貴女笑ってるわよ。久しぶりに見たわ、そんな顔」
「え? あ、社長──」
「アイビー様」
「座ったままでいい」
 立ち上がろうとする二人を止めるアイビー。さっきまでの静けさから一転、宴の準備で慌ただしくなった食堂の中をぐるりと見渡し、再び彼女達を見上げる。どこか満足そうな表情。
「村長は私にも是非参加をと言ってくれたけれど、残念ながら辞退したわ。この体だから飲酒は毒だしね」
 成長が止まっている彼女は、本当に永遠の五歳児なのだ。酒なんか飲んだら間違い無く酷い目に遭う。素面で酔っ払い達に絡まれるのも好きじゃない。
「疲れもあるし今夜は上の部屋を借りて眠る。でも私に遠慮することはないわよ。好きなだけ騒いでちょうだい。術で遮音しておくから子供達のことも心配はいらない」
「あ、ありがとうございます」
「そう畏まらないで、カタバミさん。私こそ貴女には感謝しているの。貴女がいなければナスベリはこんな風に安定した状態で元に戻れなかったでしょう」
「え?」
「この子は記憶を失った後、ほとんど別人としての人生を歩んだ。だから人格が二つ存在しているの。私でも記憶を回復させてあげられなかったのは、それが理由。二つの人格を上手く融和させるか、共存させられるように、先に下地を整えなければいけなかった。
 それを成したのは貴女よ。ナスベリの心の奥、最も深いところに元の彼女を繋ぎ止めるための楔として打ち込まれていた記憶。この子の一番大切な思い出の主役」

 ああ、そうか──記憶の回復したナスベリはカタバミの顔を見つめ、納得する。

「そうだ。サザンカもレンゲも友達だけど、アタイの家の事情を知ってるから、どっかに遠慮があった。カズラも多分、姉貴分みたいに思ってたんじゃねえかな。
 だからオマエだけなんだ。アタイにまっすぐぶつかってきたのは。本当に対等な関係でいてくれたのはカタバミだけだった」

 魔力が無いのに魔女に立ち向かって来る勇敢な少女。何度負けても絶対諦めない根性に感心した。自分が正しいと思ったならけして譲らず、間違っているとわかれば素直に頭を下げられる潔さもあった。

「だから私は、あなたのことだけは忘れられなかった」
 あの廃村で一瞬だけすれ違った時から記憶凍結魔法の暴走は始まっていた。どうしても凍結できない記憶を凍りつかせようと足掻いたせいで。
 おかげで二十年以上も保たれてきた封印に初めて綻びが生じた。その綻びを強引に押し拡げることもできたはずだが、カタバミを始めとするココノ村の住民達は優しく外から声をかけた。出て来てくれ、帰りを待っていると。
 結局、魔法が暴走して再び全ての記憶を凍りつかせてしまったものの、直後に何故だか術が解除された。あれがどういうことだったのかはナスベリにも理解できない。
 でもカタバミ達の呼びかけが無かったら、記憶の再凍結が進む中でその呼びかけに応えたいと願わなかったなら、アイビーの言う通り二つの人格が互いを拒絶してどちらも崩壊してしまっていたはず。
「カタバミ、もう一度言わせて。ありがとう。あなたは私のヒーローだわ」
 ナスベリはカタバミの手を取り、穏やかに微笑む。
 カタバミは真っ赤な顔で口をむずむずさせた。
「そ、そんな大層なもんじゃないけど、まあ悪い気はしないわ。でも、アンタだって」

 と、彼女が何かを言いかけたところでアイビーが再び割り込む。

「ところでナスベリ、気が付いてる? 貴女、さっきから一人称と口調が入れ替わってるわよ、何度も」
「え?」
「自覚は無し……か。今のところ安定しているけれど、やはり二つの人格が融和したわけではなさそうね。おそらく完全な統合には数年かかるはず。それまで人格の衝突を避けるための対策も講じておいた方が良さそうだわ」
 一応、いくつか検討しておいた案はある。どれが今のナスベリにとって最適か、考えたアイビーは、ふとあるものの存在を思い出す。
「あら、まだ私が持っていたわ」
「あっ、スズのメガネ」
「どうせ今から二階に行くし、ついでに返しておく。でも、ふむ、メガネか。それもいいかしらね」

 フレームを畳んだ状態のそれを軽く持ち上げ、ナスベリの顔に重ねるアイビー。やはり悪くない。

「決めたわ、これでいきましょう」
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登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

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