四章・眠れる檻の魔女(1)
文字数 4,651文字
場所は大陸南西部のイマリ王国。希少な宝石や美しい陶器の産地として有名な地。その首都タチバナで訪れたのは“
「うわぁ、中も凄い」
邸内へ通されてまず驚いたのは、その広さと住人達の若さ。大半の使用人が少年か少女なのである。中にはモモハルくらいの幼子までいる。
「全然大人がいませんね」
「はい、先生は私達に一人前になって独立することを望んでおられます。だから私も来月にはここを出て、王宮に住み込みで勤めることになっているんです。本当はずっと先生のお傍にいたいのですけれど」
「なるほど。しかし城勤めとは立派ですね、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
聞いていた話のままだ。聖実の魔女ロウバイは篤志家で、資産のほとんどを貧しい家の子供や孤児の養育費に注ぎ込んでいる。このお屋敷は彼女の邸宅であると同時に子供達の学びの場であり生活の場。ここで教育を受け一人前になった子供達は、そのまま留まるを良しとせず順に巣立って行くという。
師、ヒメツル、そして自分が“悪の三大魔女”と呼ばれるのに対し、ロウバイは“善の三大魔女”の一角に数えられている。その実力は確かで、医者が匙を投げた重傷者を瞬く間に癒し、衛兵も手を焼く犯罪者を一人で捕らえる。活躍の場は幅広く、功績も枚挙に暇がない。同じ魔女でありながら国王からも教会からも信頼篤く、タチバナ随一の名士とも称される。
もちろん政治的な発言力も強く、彼女からの諫言ならば王も素直に耳を貸す。影響力は国内に留まらず他国にまで及んでおり、三十年ほど前に隣国間で発生した紛争は発生から三年後、彼女が介入したことにより速やか、かつ平和的に解決された。
(よくまあ、そんな大物が会う気になってくれたもんだ)
粘り強く交渉するつもりだったのだが、手紙を送ってみたらあっさり約束を取り付けることができた。なんでも、欲しいものがあって調達を頼みたいらしい。普通の商売人では入手の難しい品なので、商人であり魔女でもあるクルクマからの連絡は渡りに船だと返信に書いてあった。
(さて、どんなものかな? 交渉材料になるほど貴重な品ならいいんだけど)
──クルクマが今日ここに来た目的は商談ではなく、とある物を返却してくれないかと要求するため。それは彼女の師が生前、何人かの有力な魔女達に贈った品の一つ。
「先生、クルクマ様をお連れしました」
屋敷の奥まった一室の前で立ち止まり、使用人の少女がドアをノックする。聖実の魔女は相当な資産家で大商人の娘でもあったはずだが、ここに来るまで華美な装飾や調度品等は見かけなかった。物には執着しない性格なのかもしれない。だとしたら返還交渉もやりやすい。そうならいいなと期待しつつ反応を待つ。
『中へどうぞ』
「はい」
室内から優しい声色で許可が下り、使用人の少女はドアを開けた。
一緒にそこへ踏み込んだクルクマは再び感嘆の声を上げる。
「おぉ……」
物凄い数の器具と資料。それらが几帳面に整理されて並んでいる。クルクマもどちらかというと同じタイプなので早速ロウバイに対し好感を抱いた。
(ヒメちゃんとこも片付いてはいたけど、あれはモミジさんのおかげだからな……)
ヒメツルの家であり使用人でもある“お化けカエデ”のモミジは、家の中の掃除や整頓まで手掛けている。ヒメツルは本来片付けが苦手なタイプ。モミジがいなければあの家はとっくにゴミ屋敷になっている。
そのモミジは、今でも八年近く帰らない主のため、せっせと自分の体内を掃除している。たまには帰ってあげればいいのに。
(にしても、あのヒメちゃんが今じゃ“しっかり者のスズランちゃん”だなんてね)
幼馴染のモモハルに口うるさく接してきた結果か、昔より色々な意味で模範的な子供になっていた。そのことを思い出し、つい口元を緩ませる。
「ようこそおいで下さいました。あら? 何か楽しそうですね」
ようやくお目にかかれたロウバイは妙齢の美しい女性だった。いや、実年齢は自分よりかなり上だったはず。こちらも見た目は若いので本来の年齢差と同程度の開きがあるようには見える。
とはいえ威圧的な雰囲気は無い。誰であれ温かく受け入れてくれるような、そんな心地良さを感じつつ頭を下げた。
「すいません。このお部屋が良く整理整頓されているのを見たら、知り合いの子のことを思い出しまして」
「まあ、その子のお話も是非聞いてみたいです。けれど、ひとまずおかけ下さい。長旅でお疲れでしょう?」
「それでは、お言葉に甘えて」
研究室なのに何故か応接間のようなソファーとテーブルを置いてある。まさか、いつもここで来客に対応しているのだろうか? 普通、研究資料の類は人目に触れさせたくないものだが。
「ふふ、奇妙だとお思いでしょう? 子供達が多くて部屋は余っていないのです。それにここには隠すような物はありません。これらは希望する子に魔法や錬金術を教えるための教材。授業もここで行います。つまり教室であり職員室というわけですね。本当の研究室は危険なので誰も立ち入れないよう、その場所も入り方も秘密にしてあります。この部屋のものでしたら自由にご覧になってください。たとえば、これ」
「なるほど」
渡された紙に目を通すと、子供にもわかりやすいよう図解まで付けて簡易な栄養剤の製法を説明していた。教師が教師だ、ここでしっかり学べばどこへ行っても職には困らないだろう。
「さて、それでは本題を片付けてしまいましょうか。先程仰っていたお知り合いの子の話を聞くのは、それからということで」
「そうですね」
こちらとしても焦らされるより、その方が良い。笑顔で頷くクルクマ。
しかし次の瞬間、驚きで目を見張る。ロウバイの背後にある机。その引き出しが勝手に開いたかと思うと、中から小箱が浮かび上がり空中を移動して来た。
箱は、そのままテーブルの上に静かに降り立つ。
「あなたが手紙に書いていた“箱”とは、これですね?」
「あ、はい……」
同じ魔女であるクルクマにも彼女が何をしたか全く理解できなかった。魔力で壁を作る魔力障壁という術を使えば似たようなことはできるが、あの術なら一目でそうだとわかるはず。魔道士の目には魔力の輝きが映る。
(いや、それより箱は──)
良かった、まだ開いていない。内心胸を撫で下ろす。間に合ったようだ。
ロウバイは頬に手を当て、不可解そうに首を傾げる。
「あなたの仰る通り、たしかにこの箱は何年か前に差出人不明で我が家に届いたものです。奇妙な魔法の気配を感じたため厳重に封印しておきましたが、これのことを知っているとなると、あなたが?」
ここで初めて彼女の目に鋭利な光が宿った。こちらが“正体”で挑んだとしても厄介な相手。下手な嘘は自分の首を絞める。なので正直に返答。
「いえ、私の師匠の仕業です。つまり、あの“才害の魔女”ですよ」
師が様々な遺品に転生術式を仕込み、有力な魔女達にばら撒いたことも説明する。危険性を知れば即座に返却してくれるかもしれない。その場合、彼女の欲しているものは無償での調達を約束しよう。多少の出費で安全が買えるなら安いものだ。
クルクマがそのように計算していると、急にロウバイが笑った。
「ほう……」
──それは今までのような貞淑な微笑とは異なる、ネズミをいたぶる猫に似た嗜虐的で狡猾な笑み。
まさか! 血の気の引いた顔でもう一度小箱を見る。
「開いて……る?」
「実験終了。よう付き合ってくれたな、我が弟子よ」
ロウバイが立ち上がった。しかしそれはもう彼女ではない。別の誰か。クルクマの良く知る存在。唐突に魔力波形が別人のものに変化する。
「師匠……ッ!!」
「気付かなかったな、わからなかったな? 完全にアタシを“聖実の魔女”と思い込んでいたな? それで良い。そうでなければいかん」
なんてことだ、遅かった。それに気付いたクルクマは立ち上がろうとする。何が何でもここから脱出しなくてはならない。あの子にこの事実を報せなくては。
だが、そんな彼女の四肢に何かが絡みつき、無理矢理その場に引き留めた。
「なっ!?」
そして、ようやくクルクマにもそれが見えた。ロウバイは窓に背を向けた位置に立っており逆光の中にいる。だから机の引き出しを開け、小箱を持ち上げた時、差し込む日光に紛れて見えなかったのだ。
淡く輝く、魔力の糸が。
「これは、まさか……!!」
「そう、世に名高き聖実の魔女の得意技“
なんてことだ。あの理不尽な術まで師のものになってしまっている。
(でも、この程度なら!)
クルクマは魔力を研ぎ澄まし、刃に変えて放出しようとした。糸から強い力は感じない。魔力の塊である以上、普通の刃物で切断することは不可能。けれど同じ魔力をぶつければ可能である。
ところが切れなかった。それ以前に魔法が全く使えない。魔力の流れを乱され集中力を失ってしまう。
「ぐっ……ううっ……!?」
そうだった、この糸には魔力封じの手枷と同じ効果がある。そのくせ術式が不明なため同じ対処法は効かない。
──ロウバイが時に犯罪者の捕縛に駆り出される理由はこれ。彼女が開発した強力無比な拘束術。その名も繰糸魔法。極めて長射程で低燃費。普通の刃では切ることのできない魔力の糸を自在に操り、絡め取った相手の魔力までも封じ込める。
「今や、それだけではないぞ。アタシの知識はこの術をさらに進化させた」
「ん、ぐぅッ!?」
身動き一つ取れないクルクマ。そのうなじに一本の糸が突き刺さる。それは彼女の神経に絡まり、そこから信号を送り込んで来た。
「あっ……!! ああああああああっ!?」
全身に激痛。抵抗の意志を奪うためだ。自分のものではない別の思念が肉体の支配権をよこせと要求してくる。
「がっ、あ、ああっ!!」
床に倒れ、のたうち回った。あちこちぶつけて教材が落下する。
師は驚きの表情。
「ほっ、意外と耐えよるな」
「う、ぐう……っ」
「お茶を、お持ちしました」
クルクマが苦痛に喘いでいる横で先程の使用人の少女がテーブルにカップを置く。数は一つだけ。
彼女は平素と全く変わらぬ様子で会釈した。
「失礼します」
「ぐ、ぎい、が……っ」
その首筋にも、やはり糸が繋がっている。
ということは、この屋敷の子供達はもう、全員──
「さて、そろそろ商談に移るとしようかの」
「しょう、だん……?」
話をするためか、若干攻勢が緩んだ。
「そうじゃ、お主はそのために呼んだ。もう忘れたか? 調達が難しいものを持ってきてもらいたいと書いただろう」
ああ、この美女の姿をした陰険な老婆が何を言いたいか予想がついた。
クルクマは最後の力を振り絞り、一匹の虫に指示を出す。
「ん? お主、今何をした?」
「……虫を操って、ヒメツルにこのことを報せようとしました」
「ほう? アタシが死んどる間に新しい術を身に着けたか。出来損ないなりに精進は続けとったんじゃな、感心感心」
完全にクルクマの精神は支配した。その事実を確かめロウバイ──否、ゲッケイは命令を下す。
「ならばその新しい力、師匠のために役立ててみせい。“最悪の魔女”ヒメツルをアタシの元へ連れて来るんだ」
「わかりました、師匠」
畏まり頭を下げるクルクマの目は、完全に自我を喪失していた。