Return of Happiness(17)

文字数 3,210文字

◇暗い海の底で◇

 到着はちょうど昼時。しかし予想通りかなり混雑している。レストランの前にも行列ができており、少し時間を置いた方が良さそうだと思ったスズラン達は先に展示を見て回ることにした。
「……」
「どうしたのスズ?」
 入場ゲートを通ってすぐ目の前にある円筒型の水槽。その前に立ちながら何故かあらぬ方向を見つめる彼女に気付き、問いかけるモモハル。スズランの視線の先は後回しにしたレストラン。
「やっぱりお腹空いた?」
「いえ……」
 時間的にこうなる予感がしたので移動中に軽くお菓子などつまんできた。もう一時間や二時間なら自分以外の面々も我慢できるだろう。
「ちょっと、ね……」

 ゲルニカの子孫──いるとは聞いていたけれど、こんなに早くすれ違うことになるとは。元々そうするつもりではあったが、どうも余計な苦労をかけてしまっているらしい。後できちんと挨拶に行った方がいいだろう。

(あまり畏まらないでくれるといいけれど……やっぱり帰り際にちょっと顔を出す程度にした方がいいかしら? 遠い先祖がいきなり訪問して来るって子孫の側からしたら迷惑な話よね、きっと……)
 自分だったら対応に困ると思う。知らない親戚というだけで大分ハードルが高い。それなのに突然の来客のため奔走してくれているのだから、きっといい子達なのだろう。
 その厚意に応えるためにも今は素直に楽しもう。切り替えて振り返る彼女。
「ごめん、先へ進み──あれ?」
 どういうわけか、今しがたまでいたはずのモモハルの姿が無い。
「ええと……」
 彼の身に何かあった、というわけではなさそうだ。それだけ確かめて後は何も探らないよう心がけるスズラン。
 きっと考えがあるのだろう。彼自身か、あるいはアサガオ達に。なら余計なことは知らないままでいた方がいい。実際彼女達の姿も無い。
「あの……何故か皆さん、すごい勢いで奥へ駆けて行ってしまったのですが……?」
 困り顔で残っているのは時雨だけ。スズランは苦笑して歩き出す。
「私達はじっくり見て回りましょう。きっと準備も必要でしょうし」
「準備……? ああっ」
 雨龍からこちらの事情を聞いてあるらしく、察して頬を染める時雨。過去を思えば仕方ないことだが色恋とは縁が無いらしい。
「ど、どうするんですか? きっと、そういうことですよね?」
「さあ?」

 心はすでに決まっている。なのにスズランは未だに答えを決めかねていた。
 彼がこの迷いを晴らしてくれたなら、その時こそは──

「……どう、しようかしらね」



「な、なんだよノイチゴっ!?
「いいから来て来て」
 兄の手を引っ張って奥へ奥へと連れて行くノイチゴ。といってもそんなに先まで進んだわけではない。入口から歩いて二分程度の位置。きっとスズランはすぐに追いついて来てしまう。
 ノイチゴは照明の少ない暗い一角まで来てようやく足を止めた。水槽の中には異世界ということを差し引いても異様に見える特異な姿の魚達。似た雰囲気の魚類を自分達の世界でも港町などで見たことがある。おそらく深海に棲む種類。だからここだけ暗くしてあるのだと思う。
 ノイチゴは振り返ってモモハルを見上げ、キッと睨みつけた。対するモモハルはやっと立ち止まってくれたと安心する。
「そんなに慌てないでゆっくり見なよ」
「そういう場合じゃないの! お兄ちゃん忘れたの? この旅行はこないだ失敗したプロポーズにリトライする絶好のチャンスでもあるんだよっ」
「いや、忘れてないけど」

 ──スズランは実父のことで傷付いたばかり。この旅の中でもう一度求婚するにしても、旅を楽しんで彼女の心が癒されてからで遅くない。むしろそうすべきのはず。彼はそんな風に考えていた。

「ノイチゴ、気持ちは嬉しいけど僕は急いでないよ。あの時、クチナシ師匠のせいで声は聴こえなかった。でもスズがどう答えたのかは、実はだいたいわかってるんだ。だからさ、焦らないでスズの気持ちが落ち着くまで待とう」

 それまで、どの程度の時間が必要かはわからない。でも、きっとあの闇の中で過ごした十年ほど長くはないだろう。仮にそれ以上の時間が必要だとしても彼には待つ覚悟がある。
 だが、そんな覚悟をノイチゴは一蹴した。

「わかってない、わかってないよ、お兄ちゃん」
「え?」
「お兄ちゃんが受け身になってどうするの? スズねえってさ、いつだって他の人のことばっかりじゃん。自分のことは後回し。それがスズねえ自身の望みだって皆もわかってる。だから何も言わない。
 でも、お兄ちゃんはそれじゃ駄目なの。本当にスズねえと家族になって生きて行きたいなら、したいようにさせてあげるだけじゃ駄目」
「……」
 動揺するモモハル。衝撃的な一言だった。今まで考えたことの無い──いや、なるべく考えないようにしていた選択。
 何故なら彼は知っている。スズランは“自由”を愛しており、それを侵害されることを最も恐れるのだと。
 過去に何があったかは断片的にしか知らない。幼い頃、スズランの精神世界で見た過去の光景。その一部分だけ。実の母親が関係しているらしい。それしかわからない。子供の彼に対しスズランや深い事情を知るクルクマは真実を語ることを避けた。
 でも当時の出来事がヒメツル、そしてスズランを形作ったのだとは北の大陸の冒険の後でクルクマに聞いた。
 自由を求め、縛られるのを嫌うのは、身を守るための本能のようなもの。それは彼女を想うならけっして越えてはいけない境界線。

 そのはずなのに、ノイチゴは、あえて踏み越えろと言う。
 そこにアサガオ達もやって来た。

「──お前もスズちゃんもさ、そろそろ殻を破る時期だってことだよ」
「スズねえんちのおじさんとおばさんはいつも仲がいいからさ、モモにいとしては二人をお手本にしたいんだよね? でもモモにいの場合はサザンカおじさんとレンゲおばさんを見習った方がいいと思う」
「うん、ロウバイ先生も言ってた。先生とノコンさんだって意見の違いで衝突することはあるんだって。うちのお父さんとお母さんもしょっちゅうケンカしてる。それでも一緒にいられるから夫婦なんじゃないかな? 僕たち全員まだ未婚だから説得力が無いかもしれないけど……」
「そこは自信持って言い切りなさいよ」
「ごめんっ!?
 強くユウガオの背を叩くノイチゴ。合流して来た三人ともが息を切らしている。どうも館内を急いで見て回ったらしい。
「実はあの雑誌を見た時からさ、サプライズを仕掛けるならここだって思ってたんだよね。まあ、スズちゃん相手じゃ見抜かれてるかもしんないけど」
「散らばって絶好のスポットを探して来たよ。スズねえだってさ、もしかしたらこんなに早くリトライされるとは思ってないかも」
「スズ姉の本当のお父さんのことは僕たちも聞いてる。けど、それならモモ兄が励ましてあげたらいいんだよ。好きな人に好きって言ってもらえたら絶対気持ちは軽くなる」
 ノイチゴに何度もアプローチして、それでもまだ振り向いてもらえない少年の言葉には重みがあった。
 そんなユウガオの隣から妹は再び兄を見上げる。

「やろう、お兄ちゃん! 今度こそスズねえは応えてくれる!」
「……うん」

 確信に満ちた瞳。そこに、いつの間にか自分が失っていたものを見たモモハルは覚悟を決めて頷いた。
 成長するにしたがって臆病になる大人が忘れがちな心。相手への純粋な信頼。
 マリア・ウィンゲイトは最上位の神。だからその生まれ変わりであるスズランの未来は彼にもなかなか見通せない。今もこの選択の結果がどうなるかは未知数。
 それが当たり前なんだ。皆は未知への恐れを乗り越えて前に進む。自分もそうしたいと思った。その程度のこともできない男に運命の特異点であるスズランを幸せにできるはずがない。
「教えて、どういう作戦?」
「ふふっ、感謝してよ、私が見つけたんだからね。ここならきっと、あの夜よりもロマンチックなプロポーズになる!」
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登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

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