八章・災悪の戦い(4)
文字数 3,498文字
まだ頭がクラクラします。頭痛に吐き気、気分は最悪。でも、まだ倒れるわけにはいきません。だってクルクマの虫達を倒しただけです。本人は生きている。
私は氷が溶けて谷のようになった部分を飛び越えると、その外側の雪を乱暴に蹴散らしながら歩いて行き、クルクマの襟を掴みました。そして彼女の体の下に自分の体を強引に潜り込ませ、上体を起き上がらせます。
「何を気絶してるんですか……これが、本命です……!」
そして拳を振り被り、顔面に一発お見舞いしようとして──突如、左手に小さな痛みを感じる。
「え……?」
手袋越しに何かに刺された。そう気付いた瞬間、意識はそのまま身体が勝手に雪の上へ倒れ込みます。
「あーしも……これが、本命だよ」
ゆっくり立ち上がり、露出した胸元を見せるクルクマ。その肌の下から一匹の虫が顔を出していました。
「体……内、に……」
「安心して、ただの麻痺毒だから……三十分もしたら動けるようになる」
スズランがクルクマの奥の手を読んでいたように、クルクマもまた彼女の性格を読んでいた。こちらが完全に打つ手を無くしたと思えば自分から近付いて来る。そして魔法ではなく、自分自身の手で一発叩き込もうとするはずだと。
「なんで……どうしてですの……」
何故、圧倒的に魔力で上回る自分が負けたのか。
どうしてクルクマは人を殺すのか。
いったい、何でこうなってしまったのか。
スズランのその一言にはたくさんの思いが詰まっていた。だから、もうそれ以上は何も言えなかった。大粒の涙がとめどなく溢れ出す。
倒れたまま泣き出してしまった少女を見て、クルクマはようやく答えを知った。
「あーしのせいさ」
スズランは何も悪くない。
今回の件で、この子は何一つ悪いことをしていない。
「あーしが……私が、スズちゃんを信じてあげられなかったせいだ」
クルクマも泣いた。やはり涙が止まらなかった。スズランの涙を目にして今までの自分の愚かさが身に沁みて理解できた。最も大切な友達を泣かせて、何が親友だ。
出会いからずっと騙して来た。善人のふりをして、この優しい少女のすぐ近くに居座り続けた。
ただ自分の心を救って欲しいがために。罪の意識から逃れるために彼女の善意と友情を利用し続けた。
「最初から、全部話していたら良かった……ごめん、ごめんヒメちゃん…私のせいなんだ。私が皆に嘘をつき続けたからこうなった」
そしてクルクマは告白した。
自分が本当は何者なのか。
今までにどんな罪を犯して来たのか。
洗いざらいぶち撒けた。
気が付けば、周りには他の皆も集まっていた。
「ウレシノ王の死から始まり、その後の疫病の蔓延……数々の暗殺……」
「本当に“
ロウバイとナスベリは苦い顔でクルクマを見つめる。
「そう、です……」
彼女達にもこの一年、嘘をつき続けて来た。
「すいません……」
謝っても許されることでないのは、良く分かっている。ヒメツルのおかげで自分の力に誇りを持つことは出来た。けれど罪は許せなかった。自分で許せない代わりに彼女に救いを求め、そのためにさらに凶行を重ねた。
いつも自分自身を卑下している。憎んでいる。この性分はきっと一生変わらない。いや、変わるべきではない。最期を迎えるその瞬間まで己はクズだと忘れぬために。
全てを聞き終えたスズランは泣き腫らした瞼を開き、虚空を見上げた。
「私も嘘つきじゃないですか」
「……うん」
そう、彼女も家族に、多くの親しい人々に嘘をつき続けている。
自分達は似た者同士だと、そう言いたいのだろう。
でも違う、自分と彼女とでは決定的に違う。
「ヒメちゃんは……罪の無い人間を殺したことなんて無いよ」
「そんなの……わからない、でしょう……」
毒の効果が切れかかっているのか、彼女はゆっくり体を起こした。
「あの施設に、屋敷に、城に、罪の無い人間がいなかったと言い切れるんですか……その後だって私は散々暴れましたよ……」
傍若無人な振る舞いを諫めに来ただけの大人を打ち負かし、裸で吊るして辱めたこともあった。彼等が善良な人間では無かったなどと、今の自分には思えない。
「少なくとも、殺人に関しては故意では無かったでしょ。あーしは金に目が眩んで自分の意志で殺したんだ。その差は大きいよ」
「屋敷では、わざと……」
「あいつらは自業自得。教えたじゃない、去年行って調べて来たって。あの屋敷の主人は子供への性的虐待と人身売買を繰り返していたんだ。死んでしまった子の死体をゴミ同然に捨てさせたりもしていた。使用人達も全員が黙認していて、手伝ってすらいたんだから殺されたってしょうがない」
「それでも……殺人は、殺人です……」
「そうだね、人の命を奪うことに程度の差なんか無いのかもしれない。でも、そんなことを言ったらナデシコさんはどうなのさ? ナスベリさんだって人を殺している。彼女達もあーしと同じかい?」
「それは……」
「返り討ちにした人達だってさ、自分から挑んで来たんだから仕方無いじゃないか。相手だってやられる可能性を考えた上でそうしたはずだ。でも、あーしはこそこそ隠れて一方的に命を奪って来た」
だから、だからやっぱり──
「やっぱり……あーしは、みんなの傍にはいられないよ。もし許してもらえるなら最後の戦いには参加する。でも、それまでは牢にでも放り込んどいて」
自由の身になんかされたら、また自分は誰かを殺してしまう。親友のためだなんて汚い言い訳を並べて。
クルクマはそれで納得した。ナスベリとロウバイも異を唱えなかった。それが最善だと思ったからだろう。
でもスズランは違った。
「ふざけ……ないで!!」
「ッ!?」
驚いた。もう掴みかかって来られるとは。これも神子の力か?
いや、単純に精神力だった。クルクマの胸倉を掴んだ手に力は篭っていない。それでも彼女は下から睨みつけて吠える。
「だったら私も告白します! 皆の前で自分は“最悪の魔女”だと叫んでやりますわ!」
「なっ!?」
「ちょっ、貴女、何を」
クルクマだけでなく他の面々も困惑する。ナデシコだけは笑っていてモモハルはそれの何がいけないのだろうと首を傾げた。
「人殺しをしたくないなら、殺しに行く前に私に相談なさい! 今回は負けましたけれど、次からは絶対に止めてあげますから! 殺さずに済む方法も一緒に考えます!」
「で、でも」
「でももカカシもありますか! 私の目の青いうちは絶対許しませんわ! これ以上誰かを殺すことも、私から離れることも!」
どうしてそこまで?
なんで、こんな汚い人間のためにそんなに必死になれる?
いや、本当はその答えはわかっている。
でも、汚い性分だから訊いてしまった。
「なんで、そんなにしてくれるのさ……」
「貴女、そんな簡単なこともわからなくなりましたの? どこかで頭を打ったんじゃありませんか? 友達だからに決まってるでしょ!! 友達が人を殺して、そのせいで苦しんでいると、苦しみ続けるとわかっているのに……どうして、どうして……!!」
「……」
その言葉に何かを感じ取ったのはクルクマ一人では無かった。スズラン自身、ようやく納得できた。
だから彼女は来た。ずっと隠して来た本性を曝け出し、自分に憎まれることも覚悟した上でこんな場所まで。
そしてアイビーも、また──
(友達だから……だから、人を殺させたくない……か)
何も難しいことじゃない。当たり前のことだ。スズランも、クルクマもそのために行動した。
なのに、自分はその当たり前を忘れていたのだとアイビーもやっと理解できた。
(私も、ムスカリのことを言えなかったのね)
そして隣に立つ友人を見上げる。
「貴女が四百年、ずっと私の計画を否定し続けていたのも……」
「……ああ」
今頃気付いたのかという風に苦笑するナデシコ。たしかに、あまりにも長く時間をかけ過ぎた。
一番愚かなのは自分だった。この計画は瓦解して当然だったのだ。自分達の友情と彼女達の友情を、両方見くびってしまった時点で。
「あああ、あああああああっ! ご、ごめっ、ごめんなさい……!」
スズランはまた泣き出してしまった。声を上げて、本当の幼子のように。
クルクマもやはり泣きながら、そのか細い身体を抱き締める。
「ごめん……私こそごめんね、スズちゃん」
彼女達はこれで大丈夫だろう。スズランがクルクマを見捨てるわけはない。クルクマがそんなスズランを無視できるはずもない。
次はこっちの番。
自分達の友情にも決着を付けなくてはならないのだと、アイビーは若い二人の魔女の姿を見つめ、決心した。