一章・秋の終点(4)

文字数 2,844文字

「お客様、夕飯をお持ちしました」
「待ってました」
 魔力波形で相手がさっきの受付嬢だとわかっていたため、すぐにドアを開ける。途端にカニに似た芳香が鼻孔をくすぐり、空きっ腹を刺激した。
 ぐう。
「あ、こりゃ失礼」
「ふふ、良いタイミングでしたね。ところで、お客様の要望通りに調理しましたが、これ、なんて名前のキノコですか? まるでカニのような香りでうちの母も驚いていました」
 盆を持ち、部屋の入口に立ったまま首を傾げる少女。彼女の言葉で分かるように、クロマツから貰った例の食材を早速いただくことにしたのだ。新鮮なうちに食してしまわねば、折角の厚意に対し失礼だろう。
「ハハ、そのまんま“カニタケ”ですよ。タキアのとある山中でしか採れないキノコです。昼に立ち寄った時、知り合いから貰いまして」
「へえ……世の中にはこんな食べ物もあるんですね」
 受付嬢は興味深そうな目で料理に視線を注いでいる。少し考え込んだクルクマは、その手からトレーをひったくるように受け取った後、とりあえずベッドの上に置いた。
 そして残念そうにうなだれる彼女の前に戻り、カバンから取り出した袋を渡す。
「どうぞ」
「え?」
「まだ三本ありますから、お譲りします。食べてみたいんでしょう?」
「で、でも、お客様の物を頂くわけには。貴重な品のようですし」
「お気になさらず、私は魔女ですが商人でもあります。対価さえ頂けるなら何も問題ありません」
「対価……と申されますと……?」
「今夜はゆっくり眠りたいので体の暖まる飲み物でも奢って下さい。あとは明日の朝食に甘い物の一つも付けてくれれば十分ですよ」
「そ、それでいいのでしたら是非」
「では取引成立です」
 差し出した袋を嬉しそうに受け取る受付嬢。
 しかし事実を一つ思い出したクルクマは、念の為に付け足しておいた。後から詐欺だのなんだのと言われても困る。
「それね、味はカニではないそうですよ」



 カニタケグラタン、カニタケスープ、カニタケの炙り焼き。それからこの宿の名物だという海藻と貝を甘辛いタレで似たツクダ煮なる料理。どれも実に美味い。特にこのツクダ煮はグラタンと交互に食べると互いの味を引き立て合ってくれる。
 少し口の中がくどくなってきたらスープでリセット。クロマツがよく干したカニタケで吸い物を作ると言っていた理由がよくわかる。出汁を取ったスープだけを飲むと味以上に香りの印象が強く残り、まるで本当のカニスープを飲んでいるかのようだ。
(ふむ、シイタケなんかは干した方が旨味が強くなるし、これもきっとそうなんだと思うけど、カニ好きのクロマツさんとしてはむしろ香りを鮮明に楽しめるこの状態の方が好きなんじゃないかな?)
 だからこそ、あの場で干していないものをくれたのかもしれない。
 さて、口の中がさっぱりしたところで、まだ一口しか齧っていなかった炙り焼きに再度噛り付く。クルクマの口にはかなり大きい。しかし大味ではない。舌の上ではなく、中にとろりと溶け込んでくるような濃厚で蠱惑的な味わいだ。
(たしかにカニではない)
 でも美味い。山の幸だけあって例えるなら栗に近い。前に栗を潰して砂糖と混ぜた料理を食べたことがあった。あれをさらにクリーミーにしたような味わいだ。これなら受付嬢とその家族も喜んでくれるだろう。
 暗い夜道、降りしきる雪の中を一時間歩いて陰鬱な気分になりかけていたが、この夕飯のおかげで気分が晴れた。クロマツには次の機会に改めて感謝しないと。ホッカイ名物のタラヴァガニでも買っていこうか。あれの旬は冬だったはずだ。
 まあ、買うとしても帰り道だ。まだ目的地にすら着いていない以上、気が早い。
「さーて、寝る準備しよ」
 明日も長く移動しなければならない。魔力の少ない自分はしっかり休んで回復しておかないと、いざという時に困る。
「そういやスズちゃん、本当に上手になってたなあ」
 体を拭くためタライの上で水球を生成する。アイビーの指導を受けて以来、スズランの魔力制御技術は目を見張る上達ぶりだ。
 まあ、元から才能はあった。障害になっていた自分の魔力に対する恐怖心を取り除けた以上、当たり前の結果ではある。
(才能……か)

 スズランのことは誰よりも大切に思っている。
 けれど、たまに嫉妬してしまうこともある。
 自分には無いものを全て持っているから。

「ああ……嫌なこと思い出しちゃった」
 せっかく気分が良かったのに、遠い昔の記憶が脳裏にチラつき始める。
 家族と、そして師の記憶。
 彼等との間に良い思い出なんて一つも無かった。家族はロクでなしばかりで、師はそれ以上の暴君。そもそも師匠と呼んではいたけれど、ほとんどそれらしい教えを受けた記憶は無い。あの老婆にとっての自分は、実質ただの小間使いだった。
「そろそろいいかな……ん、いける」
 服を脱ぎ、暖房の熱でほどよく温まった湯に手拭いを浸して絞り、体を拭く。サザンカの宿なら裏手の小屋の中に風呂がある。しかし、この宿には無いらしい。ココノ村以上の寒冷地なので薪を節約してるんだろう。少し離れた場所に共同浴場ならあると受付で聞いたが、外の天気はますます荒れてしまっている。こんな中を湯に浸かるためだけに出かけたくはない。帰りには間違いなく湯冷めするし。
(傷……消えないなあ)
 師との戦いで受けたダメージは完治したが、傷跡は残ってしまった。目立つ部分は金をかけて消したものの、服で隠れる部分はほったらかしにしてある。自分への戒めであると同時に、あの怪物と戦って生き延びた証として。
 ただまあ、これでは男には嫌がられるだろう。ただでさえ貧相な体なのに、さらにモテない体になってしまった。
(いいけどさ。そもそも中身はもう五十に近いおばちゃんだし)
 そういう相手だっていない。嘆息しつつ、身体を清潔にして下着だけを替え、ついでに今まで身に着けていた下着を洗って干してから元の服を着る。
「お客様」
 再びドアがノックされた。開けると受付嬢が立っている。
「お約束の飲み物、ジンジャーティーでもよろしかったでしょうか?」
「ええ、ありがたくいただきます」
「では、ごゆっくりおやすみください」
「おやすみなさい」
 受け取ったお茶をゆっくり味わい、体がポカポカ温まって来たところで一旦厠へ。手製の楊枝と薬液で歯を洗浄したら顔も軽く拭いて、それで寝る準備は整った。
 暖房を消しベッドに横になって毛布と羽毛布団に包まったクルクマは、鞘に納めた短剣を密かに握り締めて瞼を閉じる。彼女には意外と敵が多い。いついかなる時だって油断はできない。
 強風で窓がガタガタ鳴っている。もちろん旅慣れている彼女には、なんでもない程度の騒音。けれども、さっき嫌なことを思い出した瞬間から予感していた通り、昔の夢を見てしまった。それならいっそ眠れない方が良かったのに。

 それは、今の彼女の原点。
 かつての自分ではなく、クルクマとしての人生の始まり。
 家族を皆殺しにされ才害の魔女ゲッケイと出会った、あの日の記憶。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み