四章・宴の夜(1)
文字数 5,309文字
私は早速スプーンを口に入れ、左手でほっぺを押さえました。
「んんっ、美味しい……っ」
聖域一の料理名人さんがわざわざ私のために用意してくれたというムオリスを頂いたのですが、驚くほどに見事な一品ですわ。
その恰幅の良いおじさま、ムラツメさんはホッと息をついて胸を撫で下ろします。
「おお、なんと嬉しいお言葉。私も安心できました。スズラン様はムオリスがお好きだと伺っておりましたので、お口に合うかが心配で……」
「最高ですよ」
「そこまで言って頂けるとは料理人冥利につきます。ありがとうございます」
感謝するのはこちらですって。彼の言葉にスプーンをくわえたまま満面の笑み。卵が半熟のとろとろで中のチキンライスは甘酸っぱさが絶妙。それに、なんでしょうかこの香り。これまでに一度も嗅いだことのない独特な芳香。
(ハーブでしょうか?)
鮮烈なのですけれど、ケチャップやバターの香りとはぶつかり合わず、むしろ時としてくどさを感じることもありそうなそれらの濃厚な後味を、爽やかな香りによってスッキリ断ち切り、飲み込んだ途端に舌をリセットしてくれているような感覚。おかげで次の一口ではまた新鮮な感動が味わえます。
(斬新なアプローチですわ。余韻を長く楽しませるのでなく、時間を巻き戻すようにして何度も同じ快感を体験させる思い切った決断。この一皿は、お母様やサザンカおじさまのムオリスに匹敵する逸品だと言って良いでしょう)
私の中でのムオリス三柱が、たった今、決定しました。
「しかし……」
そう言葉を続けると、一転表情を曇らせる彼。立派な口ひげが感情に連動しているかのようにしおしおと萎れます。
「カウレに関しては正式なレシピが手に入らず……一応それらしいものは作れたのですが、モモハル様のお口に合うかどうか……」
あ~……カウレの生みの親であるモモハルのお祖父様もそれを受け継いだサザンカおじさまも、まだ本家のレシピを公開していませんものね。タキア国内では何軒か模倣した品を出すお店もあるようなんですが、それでもまだ誰も本家は越えられていないと言われていますし。
でも気にしなくていいと思いますよ?
「モモハル、どう?」
「美味しいよ。お父さんのと同じくらい美味しい」
「お、おおっ、それは良かった!!」
当然でしょう。これだけの腕前の料理人が心血を注いだ一皿です。たとえ本家のそれと大きく異なる物になっていたとしても美味しくないはずありませんわ。
テーブルの上には他にもたくさんのお料理。いくつか味わってみたところ、どれも本当に素晴らしいとしか言いようがありません。モモハルだってさっきから上機嫌で食べてるじゃないですか。
「この子は料理人のお父さんから才能を受け継いでいて、味にはうるさいんです。だから自信を持っていいと思いますよ」
「うちのカウレの作りかたも、知りたかったらぼくがおしえられるよ?」
「本当ですか!?」
「いや、それは駄目。勝手に公開したらおじさんが怒るってば」
貴方のお家はカウレの人気のおかげで経営できていますのよ。流石にそんな勝手はさせられません。
「ちゃんと自覚しなさい、跡取り息子」
「ごめんなさい……」
「あああ、申し訳ありません、私めが余計なことを申したばかりに……」
「気にしないでください。この子が考え無しなのが悪いんです。モモハル、もう九歳なんだから人とお話する時にはしっかり考えてから受け答えすること」
「スズちゃんはモモ君に厳しいね」
「本当に」
ナスベリさんの言葉に微笑みを浮かべ同意するロウバイ先生。って、貴女にだけは言われたくありません。学校を開いた初日の授業で木剣を振り回して窓を割ってしまったモモハルを叱った時、あまりの恐ろしさで失禁させてたじゃないですか。
まあ、その後にちゃんとフォローしていましたが。着替えを持って来てあげたり授業の内容を変更して絵本の読み聞かせを始めたりと。ちなみに悪いことをしたら正直に謝った方が良い結果に繋がるという道徳的な内容の物語でした。
……あ、つまり私にもフォローしろと?
やっと察した私はモモハルの背中に手を当て、顔を上げさせました。
「カウレの作り方を教えるのは駄目だけど、逆に教わるのはいいんじゃない?」
「えっ?」
「こんな凄い料理人さんから色々教えてもらって勉強していけば、おじさんもおばさんもきっと喜んでくれるはずよ」
私の言葉に、彼はパッと表情を輝かせてムラツメさんに頼み込みます。
「料理のことをおしえてください!」
「も、もちろんです!
笑顔でがっちり握手する二人。というわけで、ここに新たな師弟が誕生しました。まあ明日帰るまでの短い間の話ですけれど、しっかり教わって来なさいな。
「ところで、ずいぶん静かな宴ですね」
周囲を見渡して不思議そうに首を傾げるナスベリさん。たしかに、これだけ大勢の人が集まっているのに静かというか、活気がありません。おそらく私達五人の神子に遠慮しているのでしょう。
「それに私達にはお酒を出してくれたのに、皆さんが飲んでるのってスズちゃん達と同じジュースじゃないですか?」
「あ、はい、よくお気付きで。万が一にも神子様の前で醜態を晒したり無礼を働くようなことがあってはいけないと長老達から酒を出すことは禁じられました。もちろんあなたやロウバイ様は別ですよ」
「気にしなくていいと今日だけで何度言ったかわからないけれど、まあ貴方達が自主的にそうすると決めたのなら口を出すことでもないわね」
アイビー社長は流石にこういう扱いをされることに慣れているのか、そう言って彼等の配慮を受け容れました。
大人ですね、私はそうすんなりと納得できません。
「今日一日ここを回って、一緒に遊んだり話を聞いたりしているうちにそれなりには打ち解けられたと思ったんですけど、まだまだ皆さんの態度がよそよそしいです」
「そんな、けっしてそのようなつもりでは、申し訳ございません」
「いえいえ、別に怒っているわけではないので」
ただ、私としては三つ子さん達くらい気軽に接してくれた方が嬉しいというだけのお話。元々堅苦しいのは苦手なんですよね。
「仕方ないんだよ」
と、見かけは子供なのに明らかにナスベリさんと同じ飲み物を口にしているアカンサス様がフォローしました。
「聖域の住民は長年アイビーという神子の庇護下で暮らしてきた。いわば世界で最も神子との関係が近しい場所なんだ。だからどうしても畏まってしまう」
その言葉に私とナスベリさんは眉をひそめます。
「関係が近いのなら、もっと気楽に話せるものでは?」
「うちの社員達も社長のことは家族同然に思ってますよ。もちろん、ある程度の線引きはしてますけど」
「対等な人間同士ならそうなる。工房でのアイビーは人として君達に接しているんだろう。けれど、ここではあくまで神子のアイビーだ。僕らもね。
近くに居続けると、かえって遠く感じてしまう場合がある。人間と、そうでないものの違いを知った時なんかがそうだ。スズラン君、モモハル君、君達にも、いずれわかる時が来る。時間はたくさんあるからね」
「たくさん……」
そういえばアカンサス様は加護によって不老になったと言っていました。シクラメン様は違うようですから同じ神子でも必ずそうなるというわけではないようです。
となると私とモモハルは? 無事に“崩壊の呪い”に勝てた場合、二人のように何百年も生きることになるのでしょうか?
脳裏に霊廟で見たウィンゲイトの記憶が再び浮かび上がりました。
永遠に続く生への絶望。死ぬことも狂うことも許してくれないシステムへの憎悪。私にとっては短い時間の体験だから耐えられましたが、当人達にはどれほどの苦痛だったのか想像もつきません。
アカンサス様とシクラメン様も、やはり同じ痛みを抱えている? だとすると、お二人よりさらに長い時を生きて来たアイビー社長は……。
人にあらざる寿命を得たら、私とモモハルも、いつかあんな絶望に陥るのかもしれない。絶対にそうならないと言い切る自信は今の私にはありませんでした。
そこへロウバイ先生が割り込んできます。
「あまりスズランさんを脅かさないでください、アカンサス様」
「はは、すまない。でも、すでに余命が数年と確定している君はともかく、ナスベリ君のように年齢を固定してしまった魔法使いはやはり覚悟しておいた方がいい。人の心は長い寿命を持て余しがちだ。実際ゲッケイが年齢固定化の方法を見つけた後も魔法使いの平均寿命はそれほど上がっていない。大半が百歳にもならないうちに固定化を解除してしまうからね」
「私はあんまり気にならない……」
ぽつりとつぶやくシクラメン様。大人しそうに見えますが、意見を言うべき時には遠慮無く言う人のようです。
「君の場合、新しい本さえ読めれば幸せという特異な精神構造をしているからだよ。残念ながら若者達の参考にはならない」
「失礼……」
ほんの少し目を細める彼女。怒った……のでしょうか? 表情の変化が乏しくてわかりにくいですわ。
次の瞬間、視線に気付いたのか不意に振り返りました。じっと見ていたため目が合ってしまいます。怪訝な様子で一言。
「何……?」
「あ、いえ、お綺麗な瞳だなと」
「お世辞はいらない」
「お世辞? いえ、本当にお綺麗ですけれど」
「不気味じゃないの?」
「どうしてです?」
誰かにそう言われたことでもあるのでしょうか? それこそ失礼な人ですね。オパールやウィグナイトのような神秘的な輝きですのに。中心に行くほど薄く水色に色付いていて、なんだか艶めかしくも見えます。
「……あなたの髪も綺麗ね」
「ありがとうございます。自分でも気に入ってるんです」
反射光が虹色に煌めく不思議な白髪。ヒメツルではなくスズランとしての私を象徴する特徴ですから。
「同じ色だね」
シクラメン様の瞳と私の髪を交互に見つめるモモハル。
「そうね、お揃いだわ。髪と目だけど」
「お揃い……」
眠たげな眼差しのまま呟く彼女。やっぱり、その表情からは何を思ってるのかいまいち読み取れません。
失礼なことを言ってしまったでしょうか? 内心ハラハラする私に今度は別の方向から声がかかります。
「スズラン君」
「あ、シキ……じゃなくて、ムラサさん」
三つ子さんが席を立って、すぐ傍までやって来ていました。
「君、胸を見て判断してるでしょ? たしかに最近膨らんで来ちゃったからなあ」
「じゃあ僕も詰め物をしたらしばらくは見分けられずに済むかな?」
「見分けられたくないんですか、シキブくんは」
「その方が色々と面白いからね」
そうでした、この人達そっくりなのをいいことに周囲に色んな悪戯を仕掛けてるらしいですね。被害に遭った経験があるのでしょう、ナスベリさんは二人を睨みつけます。
「あの時はよくも……」
「おお、怖い怖い」
「安心してよ支社長、今日はもう何もしないから。僕達はね」
「スズランさん、よろしければ、この子達のお願いを聞いてあげてくれませんか?」
「あら?」
サキさんの背後から小さな子供達が二人現れました。
彼等はおずおずと私に願い出ます。
「あ、あの、みこさま。もしよかったら魔法を見せてください」
「サキねーちゃんから、スズランさまはすごうでの魔女だってききました」
「おねがいしますっ」
なるほど、そういう用件でしたのね。
「コラ! 神子様のお食事を邪魔するでない!」
「戻りなさいお前達!!」
ハルナ村の村長さんや他の何名かの方々が子供達の行動に気付いて立ち上がり、怒鳴りつけます。でも私もまた立ち上がって、そんな彼等を制止しました。
「構いません。神子らしいところを見たいんですよね?」
アイビー社長達と違って私とモモハルには何の実績もありません。少しは実力を示しておかないと、すでに“崩壊の呪い”について知っている皆さんには安心していただけないでしょう。
ちょうどここは会場の中心。パフォーマンスを行うには良い位置取り。
何をしようかと考えた私にアイビー社長が釘を刺してきます。
「スズラン、くれぐれも!!」
「わかってます!」
失礼ですね、私だって反省はするのです。去年初めて重奏魔法を使った時のような失敗はいたしませんとも。
さて、そうは言ったもののどうしましょう? ウィンゲイトの神子としての私の売りはソルク・ラサが使えることくらいです。もちろん森の結界を破壊しかねないあれは、ここでは使用厳禁。
となると、あとは魔力の強さをお見せするくらいしか……あ、そうです、あの術を使いましょう。ちょうど夜ですものね。
何を見せるか決めた私は胸の前で両手を合わせ、期待の眼差しを向ける子供達と周囲の人々の視線の先で呪文を唱えました。