七章・悪夢の再来(1)
文字数 4,363文字
光の柱の消失を確認し狂ったような哄笑を上げるミナの影。眼前では“
『結局そんなもの! 紛い物なんてすぐ消える!』
「まだです!」
ロウバイの手で“
『いくら≪
破壊や生命の力による強化も失われたことで敵の火力を再生速度が上回った。腕を復活させ、強引に体を持ち上げるミナの影。それだけで彼女を縛りつけていた障壁が砕け散る。さらに腕を一振りすると、しつこく群がっていたドワーフ、ウンディーネ、兵士達がまとめて薙ぎ払われた。斧も甲冑も鱗も直撃を受けた者達の何もかもがバラバラに砕け彼方へすっ飛んで行く。
「皆さんっ!!」
魔力糸を操り出し幾人かの生存者を救出するロウバイとスイレン。大きな脅威ではなくなった彼女達を後回しにして、スズランを見つめ腕を伸ばすミナの影。唯一の弱点が遥か高みに去ってしまった今、兵士達も歯噛みして見上げるほかない。
「腕じゃ! 腕を壊せ!」
ミツマタらカゴシマ兵は諦めずに攻撃を重ねるものの、やはり彼等の“深度”をもってしてもこの超巨大記憶災害の再生速度を上回ることはできなかった。
『ママ……やっと手が届く……』
「まだ……よ……」
接続を維持し続けたことで疲労し切った肉体。それでもスズランは魔力障壁を展開して接触を拒む。その障壁越しに哀しみが伝わって来る。
『どうして……どうしてなの!?』
「ミナ、話を……」
その時だった。
「ぐぶっ!?」
だが、ユカリの影は称えられるべき敗者を一瞥もせず、空中へ浮かび上がった。
「ま、て……」
血反吐を吐いて倒れるクルクマ。その眼前から飛び去り、スズランに迫るユカリの影。
「こ、のおっ!! うあっ!?」
やはりネットワークとの接続を断たれた雨音が嗚角を抜き、迎撃する。だが彼女も能力の連続使用で疲れ切っていた。精彩を欠く攻撃を易々と躱し、すれ違いざま蹴り飛ばすと、やはり無視してスズランへ近付いて行く。
『マリア……!』
「チクショウ、来るんじゃねえっ!! うあああああああああっ!!」
トピー達衛兵隊の攻撃はダメージを与えられない。どれだけ必死に振り回しても武器が素通りしてしまう。深度が全く足りていない。
「こ、ここから先には──」
「ぎゃ!?」
「ぐぁっ!!」
村人達もスズランを守ろうと立ちはだかったものの、簡単に一蹴された。
「か……はッ……」
「親父……っ」
「じいちゃん!?」
胸を深々と切り裂かれ倒れたクロマツに家族が駆け寄る。抵抗して来ない者に対しては、ユカリの影は徹底的に無視を貫いた。
慈悲ではない。彼女の目には今、双子の妹以外何者も映らないだけ。
「姉さん……よくもっ!!」
激昂したスズランは倒れた衛兵が落とした槍を拾い、胸を狙って攻撃する。しかしその穂先が突き刺さる前に柄を掴み取られた。
一転、視界が跳ね上がる。
「しまっ──」
槍ごと持ち上げられた彼女の、その逆さになった視界の中でユカリの影の右手が伸びる。そして前回の戦いと同じように首を掴まれ宙吊りにされた。必死に両手で腕を掴み、目の前の顔や胸を蹴って抵抗する。
だが魔法を無効化するこの敵と相対した場合、スズランとてただの十一歳の少女でしかなかった。
「放せ! 放しなさいよ!」
「くそっ、近付けない!」
一旦弾き飛ばされたカタバミとカズラがショウブをウメに預けて駆け寄る。他の村人達も起き上がって立ち向かった。だがユカリの影は自分達の周囲に魔力障壁を展開して彼等を近付けさせない。
「スズランさん!!」
『行かせないって言ってるでしょ!!』
助けに向かおうとするロウバイ。彼女らを分断した魔力障壁にさらに力を注ぎ込むミナの影。自分の手で母を奪還できなかったのは悔しいが、これで趨勢は決した。
「スズラン君!」
「スズラン!」
アカンサスとシクラメン、二人が逆方向から救出に向かう。しかし発射準備にある程度時間を要する飛翔体を使うため距離を取っていたことが徒になった。彼等の到着を待たず再び空へ浮かび上がるユカリの影。彼女の飛行速度ならすぐにミナのところまで辿り着く。
スズランとミナの影が接触して何が起こるのか具体的なことは誰も知らない。だが本能は激しく警鐘を打ち鳴らしていた。絶対にそれは阻止しなければならないと。
『やっと、やっと私達の勝ちよ!!』
「い、いえ……」
ミナの言葉を、首を絞められながら否定するスズラン。
母・マリアの魂と記憶を持つ少女は断言した。
「貴女の……負け……」
『え?』
驚いたミナの影。その右肩に弾丸がめり込む。
そこから急速に“記憶”の凍結が始まった。
『なっ……こ、これは、まさか!?』
「──ったく、次から次にバケモンけしかけやがって。やっと、テメーに当てられたぜ」
絶対に近付けないよう間断無く足止めを送り込み遠ざけていたナスベリ。スズランに手が届くと思った一瞬、その存在から注意を逸らしてしまった。
「まだあんぞ! 全弾持ってけ!!」
リグレットから借りていた≪創造≫の力は消えた。しかし、どうせ情報神の方には効かないに違いない。残弾を一気に使い切るナスベリ。記憶凍結魔法を封じた特殊弾四発全てが胸、腹、腰、左腕に命中して急速に凍結範囲を拡大させていく。これでさっきのように一部だけ切り離して防ぐなんてことはできない。
『それが何よ、まだ動けるわ!!』
自分からスズランへ近付くミナの影。半ばまで凍結してしまった左腕が折れ、それでも這いずりながら前へ進む。巨体の侵攻に巻き込まれまいと慌てて避ける人間達。
避けつつ、しかし攻撃は続行する。
「スイレン!」
「はい!!」
アサヒの力で強化されたロウバイとスイレンは共に魔力糸を伸ばし巨体に絡めた。完全に止めることは出来ずとも多少の足止めにはなる。
「それに、あなたの中の力の流れは掴みました」
「これならもう……!」
『なにこれ!? 魔力の流れが乱される……!!』
そう、彼女達の繰糸魔法に縛られた者は魔法が使えなくなる。つまり魔力弾も魔力障壁も今は使えない。
そこへ──
「うああああああああああああああああああああっ!!」
紅い彗星が大きく旋回しながら飛来し正面からミナの影にぶつかった。魔力障壁を展開して頭部に船首をぶつけ、押し返す。
「私の残りの全魔力、お前にくれてやる!!」
それはモミジを操るオトギリだった。主の窮地に際し、モミジと融合したホウキが例外的に彼女を臨時操縦者として認めたのだ。
『く……ぐ、うううっ!?』
拮抗した。ミナの影の前進しようとする力とオトギリに操作された船の突進力とは完全に互角。
「我々も援護するぞ!」
「風の精霊達よ、呼びかけに応えたまえ!!」
ストレプト達が空中の敵と戦いつつ魔法で援護射撃を放つ。エルフ達も風を操って攻撃した。モミジの突進力とそれらが合わさり、徐々に巨体が押し返され始める。
だが、戦場をもう一つ赤い光が駆け抜ける。
魔力糸が断ち切られた。
「なっ!?」
『!』
それは窮地に陥った妹を助けるべくカイの影が放った光だった。クチナシの遠隔斬撃を模倣したかのような一撃。
『兄さん、ありがとう!!』
「ッ!?」
即応し魔力弾を放つミナの影。障壁が砕かれ、船体は半壊し、左右に張り出した翼状の枝まで折られバランスを崩すモミジ。オトギリを乗せたまま回転し、ミナの影の横を通り過ぎて墜落した。そして地面を数百ヒフも削り、ようやく止まる。
モミジはまだ辛うじて生きている。しかしオトギリは首の骨が折れ、完全に絶命した。
『人間風情が、よくもやってくれたわね!!』
今度はロウバイとスイレンを標的にして放たれる魔力弾。咄嗟に防御した彼女達は次の瞬間に気付く。
「しまっ──」
ミナの影の狙いは一撃で彼女達を倒すことではなかった。魔力弾を目くらましに遅れて発動した魔法が二人の周囲を強固な水晶で覆い尽くす。その水晶は魔力を吸収し、さらに自身の強度を上昇させる。
それは、味方が“渦巻く者”の支援をも断ち切られたことを意味していた。
妹のための援護。それを放つべく敵が自分から目を離した一瞬の隙。対するクチナシは見逃さなかった。
振り返る前に左の足首を切断。バランスを崩したカイの影は、ところがそれを逆利用し、全身をコマの如く回転させて下段から蹴り上げる。斬られた脚を使っての攻撃、本来なら虚を衝く効果があっただろう。
だがクチナシはこともなげに躱す。ネットワークから切断されたことにより予知能力は失った。だというのに、さらに立て続けに繰り出された鞭のようにしなる右腕を紙一重で避け、反対の足が首を狙って繰り出した蹴りも柄頭でいなし、自由奔放な彼女ならではの型に嵌らぬ太刀筋で縦横無尽に反撃する。
カイはカイでそれを捌き切る。しかし徐々に防御が追い付かなくなっていく。別段剣速が加速したわけではない。動きをことごとく先読みされているのだ。
「あんた、強ぇ」
でも──そう呟きつつ右肩に一撃。こちらの顔面を狙った突きが逸れたところで脇腹にさらに一撃。
ちょっとずるいが学習してしまった。アイズの眼のおかげで、この影の動きの癖や攻撃のリズムを。守る時どこに意識が偏るかを。
「わりな、もう負げね」
こちらもさっきスズラン達を援護した際にまた折られてしまい、刀身は縮んでしまっている。もはやナイフ同然。でも彼女にとっては剣もナイフも同じこと。なんならスプーンでも構わない。棒状の物さえこの手にあれば、なんだって斬れる。
滝だって、
音だって、
神だって斬れる。
次の瞬間、カイの影は赤光を纏った拳ごと右腕を両断された。刃は首にまで達して深い切れ込みを入れる。ついに破壊の力すら斬った剣が美麗な軌跡を描いて振り抜かれ、刹那の時間、戦場から音を消し去る。
『……オ、ミゴト』
カイの影は素直に賞賛した。神として悠久の時を生きたオリジナルの記憶が語る。この剣士は間違い無く、最も強い。
首を完全に断たれたわけではない。そもそもそこに“心臓”は無い。しかし彼は敗北を認め、そのまま塵と化した。