七章・魔王ナデシコ(3)
文字数 2,557文字
その瞬間、ようやく彼女の服の正体が“髪”だったことに気付きました。
「髪を自在に操作する能力……?」
「先生の繰糸魔法に似ていますね」
「ええ、しかもかなりの練度です」
「本当は裸でも構わないのだがね。私はこの身体になってから暑さも寒さも感じないんだ。しかし、それでは見ている君達が凍えてしまうだろう。少年には目の毒だしな」
「……まあ、たしかに」
ナデシコさんが一瞬裸になったからでしょう。モモハルは顔を真っ赤にして目を閉じていました。つい最近までおばさまと一緒にお風呂に入っていた子とは思えない反応ですわ。成長していますのね貴方も。
「もう大丈夫よモモハル。目を開けなさい」
「えっ? あっ、本当だ!! もうきがえてる!? はやいっ」
どうやらただの早着替えだと思ったようです。めんどくさいから訂正はしないでおきましょう。
そうして再び極寒の世界へ戻った私達。時刻はすでに夜のはずですが、元々霧の障壁で覆われていて暗いため大差はありません。猛吹雪の中、ナデシコさんが無数の光を魔法で生み出し頭上に浮かべました。
「さ、寒い」
「私の障壁に入りなさい」
凍えるモモハルを自分の魔力障壁で保護してくれるアイビー社長。私達三人もそれぞれ魔力障壁で雪と冷気を遮断します。
相変わらず空気はピリピリと張り詰めていました。先程の発言からして、おそらくナデシコさんは……。
「好きなように攻撃しなさい」
ある程度島から離れた地点で振り返った彼女は、そう言って手を広げます。命令されるまでもなく二頭の白狼はそんな彼女の傍から離れ、アイビー社長とモモハルの隣まで来て伏せました。
「スズラン、先日の巨大な雷はここからでも見えたよ。あれでも構わない。私に向かって撃ってみたまえ」
「冗談ですよね……?」
あれは二度と使う気はありません。流石に威力が強すぎました。アイビー社長にも後でこってり絞られたんですよ? まあ“崩壊の呪い”の力が想像以上に強大だったら最後の手段として用いるかもしれませんが、自ら世界を滅ぼしてしまいかねない攻撃をポンポンぶっ放すつもりも、人に向かって使うつもりもございませんわ。
「遠慮があるか。まあ、好きなようにと言った手前強要もできない。どうするかは君達に任せよう」
「では、まずはわたくしが」
「先生?」
「今、ここで最も魔力が弱いのはわたくしです。小手調べとしては最適でしょう」
そう言って先生はナデシコさんに対し右手を掲げました。
この魔力の流れは──
予想通り、次の瞬間その手から魔力弾が放たれました。単純に魔力を圧縮して放出しただけのものです。本来のロウバイ先生の魔力からは考えられないほど弱々しい攻撃。ホムンクルス体になって出力が低下しているせいですね。たしかにあれなら普通の人でも気絶する程度で済むでしょう。
ましてや相手が魔王なら簡単に防がれるはず。そう思いました。ところが私達の予想に反し、魔力弾はそのままナデシコさんの胸を直撃します。
「なっ!?」
「今、何も……」
「どうして防御しなかったんですか!?」
魔力障壁が展開された気配すらありません。慌てて駆け寄ろうとして、けれど私は再び驚愕し足を止めます。
直撃を受けたナデシコさんがケロっとしているからです。傷一つありませんし、表情も平静そのもの。
「この程度ではどうともならんよ」
「さ……流石は魔王、ということですか……?」
「なら、これはどうですか!」
どうやって防いだのかわかりませんが、多少の無茶は問題無い。そう判断したナスベリさんが立て続けに数発の魔力弾を放ちます。今度のはロウバイ先生の数倍の威力。
しかし全て直撃したそれも、やっぱりナデシコさんの身体を弾き飛ばすことさえ叶わず終わりました。どうなっていますの? 衝撃まで無効化している?
だったら今度は私の番です。
「眼前の敵を薙ぎ払え」
「えっ、ちょっ、スズちゃん!?」
「その呪文は──」
「渦巻く暴風!!」
重奏魔法。二つの圧縮魔法の相乗効果で威力を何倍にも引き上げる私のオリジナル技法。それによって生じた巨大な竜巻がナデシコさんを飲み込みました。足下の氷の大地も砕け、彼女ごと空高く舞い上げられます。
「やりすぎだよスズちゃん! 早く竜巻を消して!」
「──いいえ!!」
氷で地面に足を固定したナスベリさんの言葉を、魔力糸でやはり自分を固定した先生が空を見上げつつ否定します。
「これも通じていません!」
「なっ……そんな馬鹿な!?」
「本当よ」
暴風の中、それをものともせずにアイビー社長が近付いて来て嘆息しました。
「今の貴女でも通常の魔法では、やはり無理なのね」
「だが素晴らしい威力だ。欠けている要素さえ手に入れれば、君は私より強くなる」
竜巻が消えた後、魔力障壁に包まれてゆっくり降下してくるナデシコさん。全くの無傷。それどころか髪型にすら乱れ無し。
次の瞬間、社長と彼女の声が重なります。
「「必要なのは“深度”」」
「深度?」
「そう、重要なのは力の大小ではない。深さだ」
「深さ……」
ナデシコさんのその言葉に何故か既視感を覚える私。いつかどこかで誰かが同じことを言っていたような気がするのです。
えっと、どこで誰に聞いたんでしたかしら……?
『重要なのは力の強さや大きさではありませんの。深さです』
あの子は、かつてそう言った。
だから知っている。
教えられるまでもなく、彼女だけはそれをすでに知っていた。
『できると信じる。それが魔法を使う時に最も大切な事なのですわ』
そんなことは、ただの基本中の基本だと、そう思った。
けれど基本だからこそ、それが本当に重要なのだと、あの時に改めて教わった。
信じること。確信すること。人間が設定された枠を超えて奇跡を起こすための第一歩が、まさしくそれなのだと。
わかっている、わかっているから用意してきた。
この矮小な身が奇跡を起こすに足る一手を。
(あとは機を待つだけ……必ず、その時は来る)
彼女は信じて待ち続ける。
絶対にその瞬間は来ると。
かつて、親友が教えてくれた言葉のように──