序章・モミジの想い

文字数 3,431文字



 魔法使いの森。森という環境に慣れ親しんだ者はこの場所を訪れた時、奇妙な違和感を抱くことになる。
 やがて、その原因が不自然なほど等間隔に並んだ木々にあると気付く。これは管理者の魔女が植物を操る力で適度に距離を保たせ、定期的に間伐も行い、日光が差し込むようにしているからだ。密集した状態では地面に光が届かず若い植物が育ちにくくなる。木々の間隔を広げ、成長しきった木を伐ることは、森を健全な状態に保つ上で必要なことなのだ。
 ところが“彼女”は、この場所にかれこれ千二百年ほど立ち続けている。魔法使いの森どころか大陸全体で見ても特に長生きしている樹木で、人間達からは“お化けカエデ”と名付けられた。その名の通り並外れた巨体を誇るカエデの老木。
 伐採を免れた理由は単純で、彼女とその周囲の景観が森の管理者達のお気に入りだったからだ。すぐ傍には澄んだ泉があり、紅葉の時期には見物に来た者達がその泉の畔に席を設け酒宴を開いたりしていた。
 もっとも、彼女自身はその記憶をおぼろげにしか覚えていない。なにせ長い時間の大半を茫洋とした意識で生きてきた。それが植物というものである。明確な意思を持たず本能に従って根を張り、枝を伸ばし、葉を茂らせて光合成を行う。季節によっては種や花粉を撒いて繁殖する。それ以外のことはあまり考えていない。あまり複雑な思考を行う機能は備わっていない。
 けれど今から十三年前、彼女だけはそんな植物本来の在り方から逸脱した。枯れかけていたところを人間の少女に救われ、息を吹き返すと同時に明確な意思も得たのだ。

 今はまだ初秋。寒気の到来が遅いこのあたりの地域では、木々の葉は若干くすみつつも、まだ辛うじて緑を保っている。
 なのに彼女の葉は紅い。たまたま早く紅葉が始まったわけではなく、蘇って以来ずっとこうなのだ。どういうわけか葉が緑にならないし、それでいて光合成ができず養分が足りなくなるといった不具合も無い。なんだか別のところから活力を得られているような感覚もある。それがどこで、自分に力を与えているものが何なのかはわからないのだが、とにかく若かりし頃よりかえって強い生命力を宿したことは確かだ。
 その事実を証明するように、現在の彼女は四十ヒフ(メートル)の高さまで育っている。幹の直径は最も太いところで二十四ヒフ。たったの十三年で三割強大きくなった。とても千二百歳の老木だとは思えないほど成長が早い。

 ちなみに枯れかけた原因は虫である。木々に卵を植え付ける種類で、その際にわざと幹に複数の空洞を穿つ。そこから雨水が流れ込んで腐食すると、孵化した幼虫達の格好の餌になるらしい。
 彼女は数年に渡って繰り返しその虫達の標的になり、その結果死にかけた。いつも紅葉を見に来ていた管理者やその仲間達が懸命に治療を施してくれたものの、効果は無かった。どうやら忙しい時期だったらしく、彼女達が気が付いた時にはもう手遅れだったのだ。

 けれど、そう、奇跡が起きた。一冊の絵本を手にどこからかやって来た幼い魔女が死にかけの老木を助けてくれたのだ。誰も見たことの無い不思議な魔法を使って。

 今も体内の空洞は残っている。ただし虫達は追い出され、恩人の少女とその友人が改装を施した結果、彼女の幹は少女のための住居になった。後に聞いた話だと最初からそれを目的に訪れたらしい。持って来た絵本に描かれている“おおきな木のおうち”を再現して、そこで暮らしたかったのだそうだ。
 不満は無い。あの虫達がそうしたように、別の生物が巣食うことは樹木にとって当たり前の話である。むしろ虫でなく恩人に住まってもらうことは光栄ですらあった。復活時に高度な知性を得たことで、彼女は人間達の発露する複雑な感情を理解できるようになっている。そして自らも同様の感情を獲得した。主と定めた少女に対する敬意もまた、その中の一つなのだ。
 しばらく少女と共に過ごした日々は、千二百年の生涯を上回る濃密な体験の連続だった。人間とは短い一生の中で、なんと様々な経験を積み重ねるものだろう。驚くと共に思い出は他の何にも代えがたい大切な宝となっていった。

 しかし、そんな主が出かけてから早八年。

 少女に“モミジ”と名付けてもらい、彼女の帰る家となって共に過ごした四年弱。実にその倍の時間が経過したことになる。なのに、まだ主は帰って来ない。
 最古の老木である彼女にとって、もちろん長い歳月ではなかった。けれど今は短いとも思えない。主の魔法によって与えられた豊かな感情は、寂しい気持ちを日増しに募らせていく。
 耐えていられるのは時折訪ねて来てくれる主の友人の存在が大きい。今日もまた彼女はやって来た。前回の来訪から四十六日ぶりに。

「お久しぶりです、モミジさん」
『お久しぶりです、クルクマ様』

 赤い髪を四本のお下げにした十代半ばの少女。実際には見た目より長く生きていると聞いた。実年齢はたしか五十に近い。
 彼女とモミジの直接的な交流は主がいた頃には少なかった。だが彼女がいなくなった後は頻繁に行われている。当初は主が帰宅していないかを確認するため。今は、主の近況を伝えてもらうために。

「すいません、長く間を空けてしまって」
『お怪我をされているようですが、何かあったのですか?』
 心配する。クルクマは体のあちこちに包帯を巻いていた。
「ええまあ、これでもかなり良くなったんですよ。二ヶ月前、ようやく師匠と決着を付けましてね、その時に大分痛めつけられたんです。治るまで動けなかったものですから報告が遅れてしまうことに。申し訳ありません」
『いいえ、いつも感謝いたしております。けれど、動いてもよろしいのですか?』
「ご覧の通り、歩き回れる程度には回復していますから。ご安心ください」
『ご主人様も、ご無事ですか?』
「はい」
 クルクマはニッコリ笑い、大きく頷く。
「見事、師匠をやっつけてくれましたよ。あの人のことだし、いつかまた復活する可能性は否定できませんが、当面は大丈夫でしょう」
『そうですか』
 それは朗報だ。クルクマの師である強力な魔法使いが主の肉体を乗っ取ろうと目論んでいることは聞いていた。危機はひとまず回避されたらしい。
『ご主人様へのご助力、感謝いたします』
「好きでやったことですから、お気になさらず。弟子としての責任もありましたし」
『村の方々も、ご無事ですか?』
「ええ、あの子はきちんと全員守り抜きました」
『よかった』
 主が大役を果たしたと知り、モミジの心は安堵と誇らしさの感情で満たされた。かつてこの体内で暮らしていた頃の彼女の姿を思い出す。あの眩い笑顔が曇るようなことにならなくて本当に嬉しい。
 けれど、すぐにまた寂しさも覚える。
『では、ご主人様は今後もココノ村に……』
「それなんですがね、モミジさん」
 クルクマは指先で頬を掻きつつ彼女に訊ねる。
「あなたにお話があるという子がいまして」
『そちらの木陰の方ですか?』
 モミジが指摘すると、少し離れた場所で隠れている小柄な人物が肩を跳ねさせた。彼女は人間のように目で物を見ているわけではない。自分でも原理はわからないのだが全方位の広範囲を同時に認識できる。この知覚能力の及ぶ範囲内であれば障害物の陰にいようと関係無い。
「気が付かれてましたか。ならもう逃げられないね、出ておいで!」
 クルクマの呼びかけに応え、その小さな影が姿を現す。
 おや? モミジは驚いた。人間なら眉をひそめ首を傾げただろう。相手の姿が想像とは異なったから。

『……』

 その何者か──クマのぬいぐるみは無言で俯いている。主が以前、街で見かけて買って来た品と良く似ていた。ただし大きさは人間の子供ほどもある。
 障害物に関係無く対象を認識できる知覚能力をもってしても、それ以上のことはわからない。どうやら認識を狂わせる魔法がかかっているらしい。
 やがて意を決したように顔を上げ、話しかけてくる。

『お、お久しぶりですわね、モミジ』

 聴いたことのない声だったが、それは魔道具で変声させられているから。クマはすぐに自分の頭部を両手で掴むと、取り外して胸の前で抱える。中から現れたのはモミジの良く知る顔。
 深い海のような青い瞳。髪は白くなり背は縮み、顔も出会った頃よりさらに幼くなっていた。けれど間違いない。懐かしさと喜びが、今また胸を満たす。

『ご主人様……』
「そうです。やっと、帰りました」

 着ぐるみ姿で現れた主は、居心地が悪そうに俯いた。
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登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

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